第42講 始業前の準備・昼休み・終業後の片付け― どこからが労働時間か
第Ⅴ部 スタッフ労務
始業前の準備、昼休みの電話番、終業後の片付け。毎日の短い時間も、積み重なると未払賃金の問題になります。「診療時間」と「職員の労働時間」は同じではありません。
この講では、労働時間の判断基準を、医療現場の具体的な場面で確認します。実際に働いた時間に応じた賃金の支払と、業務・休憩・勤務体制の見直しを合わせて進めることが大切です。
例えば、次のような場面です。受付の始業は8時30分。しかし職員は8時には来ています。前日の会計の確認、器具の準備、待合の清掃、電話の留守番設定の解除。8時30分にはすでに患者が並んでいるからです。
昼休みは12時30分から。ただし電話は鳴り、予約の変更があれば誰かが出る。
退職した職員の代理人から、過去2年分の「始業前30分」と「昼休みの電話対応」について、時間外労働の割増賃金を請求する通知が届きました。
1 労働時間とは何か ― 最高裁の基準
労働基準法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、それに当たるかどうかは、労働契約や就業規則の定めではなく、客観的に定まります。最高裁は、作業服や保護具の着脱などが事業所内で行うことを義務づけられていた事案で、使用者から義務づけられ、またはこれを余儀なくされた業務の準備行為等を事業所内で行った時間は労働時間に当たると判断しました(最判平成12年3月9日・三菱重工長崎造船所事件)。
この基準を医療現場に当てはめると、判断の軸は二つです。その行為をすることを、使用者が義務づけていたか(または、しなければ業務が回らない状態にしていたか)。そして、その時間、労働者は労働から解放されていたか。
2 医療現場で問題になる場面
| 場面 | 考え方 |
|---|---|
| 始業前の準備 | 器具の準備、清掃、会計の確認、電話設定の解除。始業時刻に患者を受け入れるために必要で、事実上それをしなければ業務が回らないなら、労働時間と評価される方向。「自主的に早く来ている」という説明は、準備がなければ診療が始まらない実態の前では通りにくい。 |
| 朝礼・ミーティング | 参加が求められていれば労働時間。「任意参加」と言いつつ欠席すれば注意される運用なら、実質は義務。 |
| 昼休みの電話番・患者対応 | 休憩は労働から完全に解放されていることが必要で、休憩時間は自由に利用させなければならない(労働基準法34条3項)。電話に出る義務がある、来院した患者に対応する義務があるなら、その時間は休憩ではなく手待ち時間=労働時間。休憩を交代で取らせるか、電話を留守番電話にするかが対策。 |
| 終業後の片付け・記録 | 器具の洗浄・滅菌、カルテ整理、翌日の準備。業務の一部であり労働時間。「診療が終わった後は自由」という感覚と、実態のずれが大きいところ。 |
| 研修・勉強会 | 参加が義務づけられていれば労働時間。業務に必要な知識で、参加しないと業務上不利益があるなら、形式上任意でも義務と評価されやすい。医師の自己研鑽については第46講。 |
| 持ち帰り作業 | 自宅での資料作成等も、明示・黙示の指示の下で行えば労働時間。業務量、期限、使用者の認識等から判断する。成果物を受け取っただけで常に該当するわけではないが、受取りを拒否すれば既に働いた時間が消えるわけでもない。 |
| 着替え | 院内での白衣・ユニフォームへの着替えが義務づけられていれば、その時間は労働時間に当たる方向(三菱重工長崎造船所事件の考え方)。 |
3賃金の支払と、勤務体制の見直し
労働時間に当たる時間は正確に把握し、賃金を精算します。所定時間を超えたから必ず法定割増が付くわけではなく、法定時間外・法定休日・深夜に当たるかを区別します。そのうえで、今後の業務を所定時間内に収めるか、勤務時間や人員配置を見直します。
例えば、準備を含めた始業時刻にし、片付けまで勤務表に入れます。勤務条件の変更は適切な手続で行い、法定時間外・休日労働には36協定と上限規制も確認します。これから運用を変えても過去の未払分は消えません。賃金請求権の時効は、2020年4月1日以降に支払期日が到来するものについて、当分の間3年です。
不要な早出や持ち帰りをやめる場合には、業務量・期限も見直します。「禁止」と伝えながら、時間外に働かなければ終わらない仕事を割り当てれば、黙示の指示が問題になります。昼休みの電話対応は当番制等にして、担当者の休憩を別に確保します。
休憩は、労働時間が6時間を超えれば45分以上、8時間を超えれば1時間以上を勤務の途中に与え、自由に利用できるようにします。保健衛生業では一斉休憩の例外があるため、交代での休憩も可能です。電話対応等で休憩が中断した場合には、必要な休憩を別に確保してください。
4 労働時間の把握は使用者の義務
賃金の計算と労働時間規制のため、使用者は始業・終業時刻と実際の労働時間を把握します。厚生労働省のガイドラインでは、現認やタイムカード・ICカード・パソコン記録等による確認を原則としています。自己申告を用いる場合も、正しい申告を説明し、入退場記録等との食い違いを調べ、必要に応じて補正します。別に、健康確保のための「労働時間の状況」の把握義務もあります(労働安全衛生法66条の8の3)。両者は目的と対象を区別して管理します。
実務で見かける失敗は、タイムカードを「所定の始業時刻に打つように」と指導している例です。実際には8時に来て準備をしているのに、8時30分に打刻させる。これは、記録の改ざんに近い運用であり、紛争になったとき、他の証拠(電子カルテのログイン時刻、防犯カメラ、メールの送信時刻)によって実態が立証されれば、記録そのものへの信頼が失われます。タイムカードは実態を記録するためのものであって、実態を隠すためのものではありません。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 入退場・打刻・電子カルテ等の記録と本人への確認を組み合わせ、実際の準備開始から終業までを調べる。ログの時刻だけで全労働時間を断定しない
- 昼休みに電話・患者対応をしているスタッフがいるかを確認し、交代制か留守番電話かを決める
- 終業後の片付け・記録の所要時間を把握し、所定労働時間に組み込むか検討する
- タイムカードの打刻が実態を反映しているかを確認する
やってはいけないこと
- 「自主的に早く来ている」という説明で、始業前の準備を労働時間から外す
- 昼休みに電話番をさせながら、休憩時間として扱う
- 所定の始業時刻に打刻するよう指導する
- 持ち帰りを禁止しただけで、時間内に終わらない業務量や黙示の指示を放置する
6 よくある質問
- 始業前の準備は、職員が自主的にやっています。それでも労働時間ですか。
- 始業時刻に診療を始めるため、早出の準備を事実上求めていたなら、労働時間に当たり得ます。院長の指示、業務量、準備の必要性と実施状況を確認します。単に早く来て私用をしている時間まで、すべて労働時間になるわけではありません。
- 昼休みに電話に出るのは、月に数回程度です。
- 電話に備えて待機する義務があれば、応答していない時間も労働時間に当たり得ます。一方、待機義務がなく、たまたま対応した場合には、その対応時間と残りの時間の実態を分けて確認します。頻度だけで判断せず、担当者の休憩を別に確保してください。
- 退職した職員から2年分の残業代を請求されました。払うしかないのですか。
- 記録と実際の業務を照合し、労働時間、通常賃金と割増賃金、既払額、時効等を確認します。請求額がそのまま正しいとは限りませんが、未払が確認された分は適切に精算します。記録を改変せず保全し、弁護士・社労士等と対応を整理してください。
主な法令・参考資料
- 労働基準法
法定労働時間、36協定、割増賃金、宿日直、有期契約に関する137条の例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- e-Gov法令検索:労働基準法施行規則
5条。労働条件の明示事項・方法。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322M40000100023 - 厚生労働省:労働時間の適正把握ガイドライン
準備・待機・研修の労働時間、始業終業の記録、自己申告制の運用。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html - 全基連:三菱重工業長崎造船所(二次訴訟)事件
最高裁平成12年3月9日判決の理由等。作業服等の装着と労働時間。
https://www.zenkiren.com/Portals/0/html/jinji/hannrei/shoshi/07519.html