第46講 医師の「自己研鑽」は労働時間か
第Ⅴ部 スタッフ労務
医師は、診療の傍らで学び続けます。学会、論文、新しい手技、診療ガイドラインの改訂。その時間が労働時間かどうかは、「自己研鑽」という名称では決まりません。使用者の指揮命令下にあるかを、実態から判断します。自主的な学習と、業務として必要な準備や指示された作業を区別することが大切です。
厚生労働省は、この線引きについて考え方を示す通知を出しています。この講では、その内容を院長の立場から整理し、「研鑽」と「業務」を運用で区別する方法をお示しします。
例えば、次のような場面です。外来が終わった後、勤務医は毎晩2時間ほど院内に残っています。学会発表の準備、症例のまとめ、新しい治療法の文献を読む。
院長は「熱心でいいことだ」と思っていました。ところがその医師が退職するとき、代理人から「終業後の在院時間は労働時間であり、割増賃金を請求する」という通知が届きます。
院長は言いました。「あれは自己研鑽だ。誰も命じていない」。相手はこう返しました。「学会発表は院長の指示でしたよね」
1 通知が示した考え方
「医師の研鑽に係る労働時間に関する考え方について」(令和元年7月1日基発0701第9号)は、医師が本来業務の傍らで行う学習・研究等(研鑽)について、労働時間に該当する場合としない場合を区別する基本的な考え方を示しました。骨子は次のとおりです。
所定労働時間内の研鑽。使用者に指示された勤務場所(院内等)で行う場合は、当然に労働時間です。
所定労働時間外の研鑽。本来業務と直接の関連性がなく、かつ、業務の遂行を指揮命令する上司の明示・黙示の指示によらずに行われる限り、院内で行う場合であっても、一般的には労働時間に該当しません。逆に、上司の明示・黙示の指示により行われる場合は、所定労働時間外であっても、本来業務と直接関連しなくても、一般的に労働時間に該当します。
冒頭の場面では、院長の指示による学会発表の準備は、原則として労働時間に当たります。ただし、終業後の在院時間のすべてが自動的に労働時間になるわけではありません。作業内容、指示の範囲、診療への対応、自由に帰れたかなどを確認します。
2 類型ごとの考え方
通知は、研鑽の類型ごとに判断の考え方を示しています。院長が押さえておくべき部分を整理します。
| 類型 | 考え方 |
|---|---|
| 一般的な知識・技能の習得 | 所定労働時間外に、業務上必須でない学習を本人が自由に申し出て、明示・黙示の指示なく行う場合は、一般に労働時間に当たらない。診療に不可欠な予習・後処理、指示された学習や事実上参加を強制される勉強会は労働時間。 |
| 研究・論文作成・学会発表 | 本人が自由に行う任意の研究でも、教育・研究自体がその医師の本来業務なら、まず業務としての実態を確認する。業務上必須の研究や指示された発表準備は労働時間。施設に発表枠があるだけで、全医師の活動が業務になるわけではない。 |
| 手技の習得・見学 | 所定労働時間外の、業務上必須でない任意の見学は、明示・黙示の指示がなければ一般に労働時間に当たらない。見学中に診療・診療補助を行えばその時間は労働時間。診療への参加が慣習化・常態化していれば、見学時間全体が労働時間になる。 |
確認の軸は、①本来業務やそれに不可欠な準備・後処理か、②明示・黙示の指示があるか、③行わなければ制裁等の不利益があるか、です。同じ文献を読む行為でも、経験や担当業務によって扱いが変わります。指示がないように見えても、業務上必要で、事実上行わざるを得ないなら、任意の学習として外してはいけません。
3 線引きを機能させる「手続」
通知は、労働時間に当たる研鑽と当たらない研鑽を明確にするための手続と、適切な運用のための環境整備を示しています。本人と上司の認識をそろえ、実態に沿った時間管理につなげるためのものです。
例えば、労働時間に当たらない研鑽について、医師本人から申出を受け、上司が話し合って確認する方法があります。確認するのは、①本来業務や不可欠な準備・後処理ではないこと、②行わなくても制裁等の不利益がないこと、③指示された活動ではなく、開始時には必要な業務が終わり、業務から離れてよいこと、です。申出・確認の内容と指示の記録を保存します。
申出書に「自己研鑽」と書けば労働時間から外せる、という制度ではありません。実際に業務をしていたなら、その時間は把握して賃金を計算します。令和6年1月15日改正の留意事項では、教育・研究を本来業務に含む医師について、研鑽との区分を十分に確認することが明確にされています。
労働時間に当たらない研鑽をしている医師は、診療体制に含めない運用にします。看護師・事務職にも周知し、場所や服装等で通常勤務と区別できるよう工夫してください。突発的に診療を依頼した場合は、その業務時間を記録します。呼ばれたら対応する当番として待機させる時間を、一律に自己研鑽扱いにはできません。
4 クリニックでの現実的な運用
大病院のような研鑽申出の仕組みを、クリニックにそのまま持ち込むのは大げさに見えるかもしれません。それでも、次の三点は最低限お勧めします。
指示と任意の支援を区別する。「発表してほしい」という言葉だけで判断せず、担当の割当て、期限、断れるか、評価への影響を確認します。任意と説明していても、実際には断れず遂行を求めていれば、黙示の指示が問題になります。業務として求める活動は、必要な時間を勤務予定に組み込んでください。
在院時間と活動内容を照合する。入退館・電子カルテ等の客観的な記録と、本人の申告を確認します。「研鑽」の一行だけで済ませず、何を行い、業務への対応があったかを残してください。申告と記録にずれがあれば理由を調べ、必要な時間を補正します。
勉強会は実態に合わせて扱う。参加を義務づけるものは労働時間です。任意とするなら、欠席による不利益を与えず、自由に参加・不参加を選べる運用にします。法令上必要な研修などを「任意」と呼び換えて、労働時間から外してはいけません。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 勤務医に指示している学会発表・研究・勉強会があれば、それが労働時間として扱われているか確認する
- 終業後の在院時間について、本人の申出と上司の確認を残し、客観的な記録と照合する運用を作る
- 院内勉強会の必要性と指示の実態を確認し、業務として求めるものは労働時間として扱う
やってはいけないこと
- 「自己研鑽」という言葉で、指示した作業を労働時間から外す
- 終業後の在院時間を記録せず、後から「あれは研鑽だった」と主張する
- 「任意参加」と言いながら、欠席した医師を評価で不利に扱う
6 よくある質問
- 勤務医が自主的に残って論文を書いています。労働時間ですか。
- 所定労働時間外で、本来業務や不可欠な準備・後処理ではなく、明示・黙示の指示も不実施による不利益もない任意の活動なら、一般に労働時間に当たりません。研究が本人の本来業務である場合や、本人に発表を割り当てている場合は別です。申出と確認の記録は役立ちますが、記録だけで実態を変えたり、紛争を必ず防げたりするものではありません。
- 学会参加の費用を法人が負担しています。その場合は労働時間ですか。
- 費用負担だけでは決まりません。所定労働時間外の任意の参加への費用補助と、業務命令による参加は区別します。本来業務との関係、指示、不参加による不利益等から判断し、費用を出していないことを理由に業務時間を除外しないでください。
- 研修医を受け入れています。研修中の時間は労働時間ですか。
- 研修であっても、指導医の指示の下に医療行為等に従事する時間は労働時間です。研修プログラムに組み込まれた活動は、原則として労働時間として扱う前提で設計してください。
主な法令・参考資料
- 労働基準法
法定労働時間、36協定、割増賃金、宿日直、有期契約に関する137条の例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- 厚生労働省:労働時間の適正把握ガイドライン
準備・待機・研修の労働時間、始業終業の記録、自己申告制の運用。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html - 厚生労働省:医師の研鑽と労働時間
令和元年7月1日基発0701第9号。研鑽の類型、手続と環境整備。
/files/Attachment/216/ 「医師の研鑽に係る労働時間に関する考え方について」(令和元年7月1日付基発0701第9号厚生労働省労働基準局長通知).pdf - 厚生労働省:宿日直・研鑽の運用上の留意事項
令和6年1月15日改正版。経験・担当業務、教育・研究、費用補助等。
/files/Attachment/534/基監発0701第1号医師等の宿日直許可基準及び医師の研鑽に係る労働時間に関する考え方についての運用.pdf - 厚生労働省:医師の研鑽の適切な理解のために
研鑽の判断、診療への参加、院内の手続・環境整備の解説。
https://iryou-kinmukankyou.mhlw.go.jp/files/Attachment/537/医師の研鑽の適切な理解のために.pdf