第48講 能力不足の医師を辞めさせられるか― 医療安全と雇用保障
第Ⅴ部 スタッフ労務
医師の診療能力に不安があるとき、患者の安全を確保しながら、雇用上の対応も考えなければなりません。解雇には客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要です(労働契約法16条)。能力不足の程度、採用時に約束した役割、指導と改善の可能性などを、具体的に検討します。
この講では、医師の能力不足という事案の特殊性を踏まえて、何を記録し、どう指導し、どの段階でどの選択肢を取るのかを整理します。医療安全と雇用保障は対立するように見えますが、実際には、医療安全のために記録し指導することが、そのまま雇用の問題を解決する土台になります。
例えば、次のような場面です。採用から1年、勤務医の診療に不安が募っています。処方の誤りが2回、検査結果の見落としが1回。患者からの苦情も増えました。看護師からは「あの先生の外来は怖い」という声が上がっています。
院長は迷います。患者の安全を考えれば、外来から外したい。しかし、医師として採用した人に、医師以外の仕事はない。
「辞めてもらうしかないのか。しかし、能力不足で解雇できるのか」
1 能力不足を理由とする解雇の考え方
能力不足は、院内の相対評価が低いというだけでは判断できません。どの職務に必要な能力が、どの程度不足しているのかが問題です。採用時に求めた専門性や経験、教育を予定していたか、実際の診療上の支障、改善の見込み等を確認します。高い処遇や医師という資格だけで、解雇が容易になるわけではありません。
検討の基本は、①事象の確認、②本人の説明と原因分析、③必要な指導・支援と改善の評価、④解雇以外の対応の検討です。重大性や採用時の役割によって必要な対応は異なります。すべての事案で、一定回数のミスや一定期間の指導があれば解雇できる、という基準はありません。
2 医師の事案に固有の三つの点
(1)記録は医療安全の記録でもある
処方の誤り、検査結果の見落とし、記録や説明の不備などは、医療安全の観点から報告・検討すべき事象です。ただし、インシデント報告があることだけで、医師個人の能力不足が証明されるわけではありません。人員配置、情報伝達、電子カルテ等の仕組み、過重勤務など、組織側の原因も調べます。
医療安全のための事実確認と、雇用上の評価・指導は、目的を区別して記録します。安全上の記録を必要に応じて参照しつつ、本人への説明、指導内容、支援、改善結果を労務上の記録として残してください。患者情報の共有は必要な範囲に限定し、報告した職員が不当に不利益を受けない運用も重要です。
(2)職種限定の合意と、できる業務調整
職種・業務内容を限定する合意がある場合、使用者は本人の同意なく、その範囲を超える配置転換を命じる権限を持ちません(最高裁令和6年4月26日判決・滋賀県社会福祉協議会事件)。医師についても、契約書、採用時の説明、勤務実態から合意の範囲を確認します。本人の同意による職務変更まで禁じられるわけではありません。
職種限定の合意があっても、それだけで解雇が有効になるわけではありません。契約の範囲内で担当を調整できるか、指導医の同席や症例の制限で安全を確保できるかを検討します。合意による別の職務への変更も選択肢ですが、同意を強要してはいけません。上記判決は配置転換命令権についての判断で、医師の能力不足による解雇を直接判断したものではありません。
(3)患者の安全を守る緊急の措置
患者に危険が及ぶ具体的なおそれがある場合は、調査や改善評価の完了を待たず、単独診療の制限、他の医師への担当変更、指導医の同席等を検討します。理由、範囲、期間、見直し時期を本人に示し、必要性と程度の相当性を確認してください。「医療安全のため」と書面に書くだけで、過剰な隔離や嫌がらせが正当化されるわけではありません。
診療を制限することと、給与を減らしたり支払わなかったりすることは別です。就労可能な業務、契約、待機を命じた理由等により、賃金や休業手当の支払が問題になります。安全措置を理由に自動的に無給とせず、処遇も合わせて確認します。
3 段階と選択肢
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 事象の記録 | 事象・患者への影響・当日の体制・対応を記録し、本人と関係者の説明を確認する。報告件数だけで能力不足と決めない。 |
| 指導 | 事象ごとに、何が問題で何を改善すべきかを具体的に伝え、書面に残す。院長自身が指導医として関与するか、外部の指導医を依頼する。 |
| 業務の調整 | 担当する診療の範囲を絞る、単独での処置を制限する、症例のレビューを義務づける。医療安全上の措置として実施し、理由と期間を明示する。 |
| 改善の確認 | 一定期間後に、事象の発生状況と指導への反応を評価する。改善が見られれば調整を緩め、見られなければ次の段階へ。 |
| 合意退職の協議 | 合意退職を提案する場合は、具体的な事象と対応経過、条件を説明する。断る自由と検討時間を保障し、威圧や執拗な説得をしない(第47講)。 |
| 解雇 | 能力不足の程度、契約上の役割、改善可能性、代替措置等を踏まえ、合理性・相当性を個別に判断する。有期契約では途中解雇・雇止めの要件も確認する。 |
4 患者への責任 ― もう一つの視点
診療上の問題が生じたら、患者の状態の確認、必要な治療・説明、記録の保全等を優先します(第Ⅷ部)。雇用上の調査とは並行して進め、責任の所在が未確定だからと患者対応を遅らせないでください。
医療機関の開設者には、診療契約や使用者責任等に基づく責任が生じることがあります。管理者には勤務する医師等を監督し、管理・運営上必要な注意をする義務があります(医療法15条1項)。管理者個人の損害賠償責任は、具体的な過失や因果関係等により判断されます。問題を認識しながら放置せず、実態に応じた安全措置と指導を行ってください。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 診療上の事象を、インシデント報告として記録する仕組みが機能しているか確認する
- 問題の事象について、本人に報告書を書いてもらい、指導の内容を書面で示す
- 患者の安全に関わる具体的なおそれがあるなら、業務の調整を理由と期間を明示して行う
- すでに生じた事象について、患者への説明が必要かを確認する
やってはいけないこと
- 「医師だから能力不足で解雇できる」と考えて、指導と記録を省く
- 「解雇できないから」と、問題を認識しながら何の措置も取らない
- 理由を示さずに外来から外し、給与も減らす
- 申告だけで能力不足や解雇を決める、又は裏づけが整うまで安全措置も取らない(事実確認と必要な保護措置を並行して行う)
6 よくある質問
- 看護師から「あの先生は危ない」と言われています。それだけで解雇できますか。
- 抽象的な不安だけで直ちに解雇を決めることはできません。具体的な出来事を聞き取り、診療記録等と本人の説明を確認します。ただし、差し迫った危険を示す申告なら、確認の完了を待たず必要な安全措置を検討します。
- 外来から外して事務作業だけさせることはできますか。
- 職種・業務内容を限定する合意があれば、その範囲を超える事務職への変更を一方的に命じることはできません。医師の業務に付随する記録・整理作業か、別職種への変更かも実態から判断します。安全上必要な診療範囲の調整や、本人の同意による職務変更を検討し、期間と処遇も明確にしてください。
- 能力不足を理由に退職勧奨したら、「医師としてやっていけないと言われた」と言われました。
- 本人の人格や医師としての将来全体を否定せず、具体的な事象と対応経過、自院で求める役割について説明します。ただし、言葉遣いだけで適法性は決まりません。回数・時間・圧力、断る自由、検討時間等も含めて、自由な意思決定を妨げないようにします。
主な法令・参考資料
- 医療法
社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 労働基準法
法定労働時間、36協定、割増賃金、宿日直、有期契約に関する137条の例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- e-Gov法令検索:労働契約法
16〜19条。解雇、有期契約、無期転換、雇止め。
https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128 - 最高裁:令和6年4月26日判決
令和5年(受)第604号。職種・業務内容を限定する合意と配置転換命令。
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-92928.pdf - 厚生労働省:解雇に関する裁判例
能力不足・勤務態度等を理由とする解雇の判断。
https://www.check-roudou.mhlw.go.jp/hanrei/kaiko/kaiko.html