第49講 看護師が一斉退職すると言い出した― 診療継続と組織崩壊への初動
第Ⅴ部 スタッフ労務
看護師の一斉退職は、診療の継続に直結します。院長が最初にすることは、退職を非難することではなく、退職日、有給休暇、残る職員の勤務予定を確認し、安全に続けられる診療の範囲を決めることです。退職の自由を尊重しながら、在職中の引継ぎと患者対応を具体化します。
この講では、初動、引継ぎの調整、人員確保、職場環境の見直しを整理します。同時期の退職には共通の背景がある場合も、個別の事情が重なる場合もあります。結論を決めつけず、一人ずつ事情を聞くことが出発点です。
例えば、次のような場面です。月曜の朝、看護師5人のうち4人から、同じ日付の退職届が提出されました。退職日は1か月後。有給休暇はそれぞれ20日前後残っています。
リーダーの看護師は言いました。「私たちは、この体制では患者さんに安全な看護ができないと判断しました」
院長は動揺しています。退職を止められるのか、有給消化を断れるのか、来月の外来はどうなるのか。そして——なぜ、こうなったのか。
1 退職・年休・引継ぎの基本ルール
退職の手続、年休の取得、在職中の業務義務を分けて確認します。
まず、契約と退職の意思を確認する。期間の定めのない雇用では、労働者からの解約申入れは原則として2週間の経過で効力が生じます(民法627条1項)。就業規則の申出期限があるからと、受理しないまま無期限に引き留めることはできません。有期契約は同じ扱いではなく、期間途中の退職について、合意、やむを得ない事由、労働基準法附則137条の適用等を別に確認します(第33講)。
年休の残日数と取得日を確認する。年次有給休暇は、原則として本人が指定した時季に与えます。事業の正常な運営を妨げる場合の時季変更も、退職後の日に変更することはできません。退職までに他の取得時季がなければ、「忙しいから」と拒否して働かせることはできません。年休は所定労働日について取得するため、残日数だけでなく勤務予定も確認します。
在職中の引継ぎは、業務として具体的に指示する。契約等に基づく合理的な引継ぎ指示には従う義務が問題になります。ただし、適法な年休の取得を妨げたり、退職後も無償で働かせたりはできません。引継ぎをしない場合の違約金・賠償額の予定は禁止されます(労働基準法16条)。実際の損害の請求も、義務違反・損害・因果関係等の検討が必要で、給与から一方的に差し引いてはいけません。
2 初動 ― 診療を止めないために
初動では、誰がいつまで働けるかを可視化し、人員に見合った診療体制へ切り替えます。予約を維持することよりも、患者と職員の安全を優先してください。
| 領域 | 確認・対応 |
|---|---|
| 診療体制 | 退職日と有給消化を踏まえて、実際に勤務できる看護師が何人・何日いるかを表にする。その体制で回せる診療の範囲を決め、予約の調整・診療の縮小を判断する。有床診療所や病院では、看護配置の施設基準への影響を確認する(第85講)。 |
| 採用 | 紹介会社、医師会・看護協会の求人等を並行して利用する。病院・診療所等で行う看護師の医療関係業務への労働者派遣には原則禁止と例外がある。紹介予定派遣、産前産後・育児・介護休業の代替等の条件を確認し、単なる欠員補充を例外と扱わない(第29講)。 |
| 患者への連絡 | 予約変更の対象、連絡担当、代替の受診先や継続治療の調整を決める。診療体制変更等の必要な説明にとどめ、退職者への非難や個人の退職理由を公表しない。 |
| 情報の保全 | 退職者のシステム権限の停止時期、患者情報の持出しがないかの確認(アクセスログの保全)、私物と貸与物の整理(第39講)。 |
| 残る職員への説明 | 残る職員は、いちばん不安な立場にいる。雇用の継続、診療体制の見通し、負担が増える期間の処遇(手当・休暇)を、早い段階で具体的に伝える。 |
3 退職者との交渉 ― 引継ぎと有給を組み合わせる
退職者と敵対することは、院長の利益になりません。必要なのは、引継ぎへの協力を得ることです。現実的な交渉の形は、次のようなものです。
まず、取得日と引継ぎ日程を話し合う。法定年休をあらかじめ買い上げて、取得させない運用はできません。本人が自由な意思で日程変更や勤務に協力する場合は、その内容を確認し、実際に働いた日を年休取得日として処理しないでください。退職で消滅する未消化分への金銭補償を合意する余地はありますが、法定の買取義務はなく、取得を断念させる圧力に使ってはいけません。
退職日の変更や短期の再雇用を相談する。本人が応じるなら、退職日の変更を合意し、年休の日程も調整します。退職後に短期間勤務してもらう場合は、業務、期間、時間、賃金等を改めて定めます。相手に拒否する自由があることを前提に、無理のない案を提示してください。
引継ぎを小さな作業に分ける。継続治療中の患者の申し送り、未処理事項、物品管理、業務手順など、優先順位と担当を決めます。自宅で引継ぎ書を作成してもらう場合も、業務として依頼する時間の記録と賃金の扱いを明確にします。患者情報を私用メールや私物端末へ送らせず、安全な方法を用意してください。
いずれも、協力してほしい作業・期限・条件を具体的に示すことが大切です。退職者を責め続けても、人員や引継ぎは確保できません。合意した内容を記録し、残る職員が対応できる仕組みに落とし込みます。
4 背景を確かめる ― 三つの観点
一斉退職には、たいてい背景があります。それを把握することは、今回の対応にも、再発の防止にも関わります。
リーダーによる引抜き型。看護師のリーダーが他院への移籍を決め、部下を連れていく。第40講で見たとおり、在職中の幹部による計画的な引抜きは、態様によっては不法行為になり得ます。移籍先が同じかどうか、勧誘の時期と方法を確認してください。
職場環境の問題。長時間労働、人員不足、院長や医師の言動などが共通の不満になっていることがあります。申告の内容を調べ、必要な是正を行います。退職者が常に正しいとも、単なる不満だとも決めつけず、残る職員の安全と相談のしやすさも確認してください(第Ⅵ部)。
労働条件の改善を求める動き。複数の職員が改善を求め、労働組合に加入することもあります。組合からの団体交渉を正当な理由なく拒めず、誠実に交渉する必要があります(労働組合法7条2号)。加入や正当な組合活動への不利益取扱い・支配介入も避けてください。要求への回答と、退職意思・日付の確認は分けて進めます。
背景は一つとは限りません。採用と診療体制の再建に加え、共通する問題と各人の事情を分けて確認します。職場に改善すべき点があれば、担当者と期限を決めて実行してください。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 退職日と有給消化を踏まえた「実際に勤務できる人数の表」を作る
- その体制で回せる診療の範囲を決め、予約調整の手順を決める
- 退職者と、年休取得を尊重した引継ぎ日程・作業範囲・必要な合意事項を調整する
- 残る職員に、雇用の継続と負担増の期間の処遇を伝える
- 採用活動を、複数のルートで同時に始める
やってはいけないこと
- 有給消化を拒む、引継ぎを条件に給与の支払を遅らせる
- 退職者を責める、患者や残る職員の前で非難する
- 「一斉退職は違法だ」と主張して退職を止めようとする
- 組合からの団体交渉の申入れを無視する
- 背景を確認せず、採用だけで解決した気になる
6 よくある質問
- 一斉に辞めるのは業務妨害ではないのですか。
- 退職は労働者の自由であり、複数人が同時期に退職すること自体は違法ではありません。在職中の幹部が計画的に部下を引き抜いた場合や、情報の持出しを伴う場合には別の問題が生じ得ますが、退職そのものを違法と主張することは困難です。
- 退職までの有給消化中に、他院で働き始めていました。
- 年休中の過ごし方は原則として本人の自由で、他院で働いたことだけで年休が取り消されるわけではありません。在籍中の副業規程、秘密保持や競業、健康への影響等は別に確認します。実際に必要な対応を絞り、違反と決めつけて賃金を差し止めたり、協力を強いたりしないでください。
- 残った看護師1人で外来を続けられますか。
- 人数だけでは判断できません。医師を含む全体の人員、処置の内容、患者数、緊急時の対応力、法令上の人員基準と診療報酬の施設基準等を確認します。資格が必要な行為を無資格者に任せて補うことはできません。安全を確保できなければ予約・診療を縮小し、必要な受診先や転院を調整してください。
主な法令・参考資料
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 労働基準法
法定労働時間、36協定、割増賃金、宿日直、有期契約に関する137条の例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- e-Gov法令検索:労働者派遣法
4条・40条の6等。禁止業務、派遣先の義務等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/360AC0000000088 - e-Gov法令検索:労働者派遣法施行令
2条。医療関係業務の制限と例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/361CO0000000095 - 厚生労働省:年次有給休暇の裁判例
時季指定、利用目的、時季変更権の考え方。
https://www.check-roudou.mhlw.go.jp/hanrei/yukyu/yukyu.html