第66講 治療費を払わない患者― 医療費未収金をどう回収するか
第Ⅶ部 患者対応・クレーム・応招義務
医療費の未収金は、少額でも件数が増えれば経営に影響します。一方、未払いがあるというだけで診療を断ることはできません。病状と緊急性、支払困難の事情などを確認し、診療の判断と回収の対応を分けることが大切です(第65講)。
この講では、未収金を減らす仕組み、発生後の対応、回収が難しい場合の整理を扱います。請求の根拠と期限を管理しながら、患者の生活事情や情報の保護にも配慮する運用を考えます。
例えば、受付が閉まる直前、患者が言いました。「今日、財布を忘れてしまって。次回まとめて払います」
次回、その患者は来ませんでした。3か月後、電話をかけると「もう別の病院に行っている。払う気はない」。金額は8,400円。
院長は考えました。8,400円のために、どこまでやるのか。
1 発生させない ― 入口の設計
未収金を減らすには、受付時の確認と費用の説明から整えることが有効です。
- 受付時の確認。マイナ保険証や資格確認書等で保険資格を確認し、住所と連絡方法を確認する。従来の健康保険証を現行の確認手段として案内しない。連絡先の利用目的を説明し、家族への連絡の可否も確認する。
- 自由診療の事前説明。見込総額、追加費用が生じる条件、支払時期を説明し、書面等で合意を残す。書面があれば説明不足の争いがなくなるわけではない。
- 「次回払い」の扱い。認めるなら、未払額、支払期日、方法、連絡先を確認し、書面等に残す。署名がなくても診療契約等に基づく請求権がなくなるわけではないが、確認書は金額や合意を示す資料になる。
- 入院等の保証契約。将来発生する一定範囲の不特定の債務を保証するのが根保証であり、個人根保証は極度額を定めなければ無効となる(民法465条の2)。保証契約と極度額の合意は書面又は電磁的記録で行い、対象債務や期間も明確にする。2020年4月より前の契約や更新は経過措置も確認する。保証人・緊急連絡先・医療の意思決定支援者の役割を混同せず、保証人がいないだけで必要な入院を拒まない。
2 回収の手順 ― 三段階
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| ①院内での督促 | 本人に金額・根拠・期限を伝え、応答を記録する。請求誤りや支払困難の事情を確認し、必要なら分割払い、公的支援の相談につなぐ。督促に応じないだけで悪意と決めない。第三者への情報漏えいに注意する。 |
| ②書面での催告 | 内容証明郵便等で請求内容と期限を明確にし、到達も確認する。催告には原則6か月の時効完成猶予があるが、催告だけで時効が更新するわけではない。猶予中に再度催告しても、その効果を延長できない(民法150条)。 |
| ③法的手続 | 支払督促、60万円以下の金銭請求に利用できる少額訴訟等を検討する。送達先、証拠、相手の資力、費用を確認する。支払督促への異議や通常訴訟への移行もあり、勝訴しても自動的には入金されない。必要なら強制執行を行う。 |
少額の未収金では、回収見込みと手間・費用を比較して対応を決めます。事情に応じて、督促、分割協議、法的手続、回収困難としての整理(第6章)を選びます。倒産等の事情が明らかな場合まで、電話と内容証明を必ず順に行う必要はありません。判断理由を残してください。
3 時効 ― 5年、ただし進み方に注意
2020年4月施行の改正民法では、原則として、権利を行使できることを知った時から5年、又は権利を行使できる時から10年で消滅時効が完成します(民法166条1項)。診療日から一律に数えるのではなく、支払期日や請求の合意を確認してください。改正前の診療報酬債権には3年の短期消滅時効があり、改正前の契約等に基づく債権は経過措置の検討が必要です。
時効が近い場合には、裁判上の請求等を検討します。催告は一時的な完成猶予にとどまり、債務の承認は時効の更新につながります(民法150条・152条)。分割合意や一部払いも、承認の内容を確認してください。請求書を出し続けるだけでは足りません。未収金台帳には支払期日、催告の到達、承認や裁判手続の経過を記録します。時効の援用がされた場合や完成後の対応は、別途慎重に検討します。
4 保険診療の一部負担金 ― 保険者による徴収
健康保険法74条2項、国民健康保険法42条2項には、医療機関が相応の注意を払って徴収に努めても支払われない一部負担金について、医療機関の請求に基づき保険者が徴収を行える仕組みがあります。ただし、保険者が医療機関への支払を保証したり、必ず立て替えたりする制度ではありません。
利用を検討する場合は、加入する保険の担当窓口に、対象、請求方法、必要資料を確認します。請求額と督促・相談対応の記録を整理し、要件を満たすか検討してください。内容証明の送付が条文上の一律の条件になっているわけではありません。
5 労災・自賠責 ― 請求先が違う
医療機関の未収金には、患者本人の不払いとは性質の違うものがあります。
労災。業務災害・通勤災害等で労災保険の対象となるかを確認します。指定医療機関での療養の給付と、指定外で患者が費用を立て替えて療養の費用を請求する扱いでは、手続が異なります。健康保険で処理していた場合の切替えや調整も必要です。事業主が労災を認めないことだけで給付が否定されるわけではなく、患者と労基署等に請求状況を確認します。
交通事故。加害者側の任意保険会社による一括対応は、治療費等の支払をまとめて扱う運用です。その連絡があるだけで、将来のすべての治療費の支払が保証されるわけではありません。一方、個別の支払約束等により保険会社の義務が問題になる場合もあります。終了の連絡を受けたら、約束の内容、対象期間、患者との診療契約を確認し、患者への説明と支払方法の調整を行います。支払打切りと治療の必要性は別の判断です。
労災保険等の対象でない交通事故では、第三者行為による傷病でも健康保険を利用できる場合があります。保険者への届出等が必要になるため、患者と手続を確認してください。自賠責や加害者への請求、本人負担を含め、誰がどの範囲を支払うかを整理し、二重請求を避けます。
6 整理 ― 回収できないときの扱い
回収困難な未収金は、資力、債権額、督促等の経過を確認し、会計上の扱いと税務上の貸倒損失の要件を税理士に相談します。一定期間が過ぎた、少額だからというだけで、常に損金や必要経費にできるわけではありません。法人と個人事業でも適用する規定を確認します。
帳簿上の処理と、法律上の債権の存否は別です。単なる貸倒処理なら債権が残る場合がありますが、債務免除、和解、時効の援用等で請求できなくなっていれば、再来院したからといって再請求はできません。未収の経緯と診療の可否も分けて判断します。
7 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 未収金の一覧(患者・金額・支払期日・請求根拠・督促や相談対応の経過)を作る
- 「次回払い」を認める際の未収金確認書の様式を作る
- 入院保証書があるなら、極度額の記載を確認する
- 支払期日と時効の起算点・完成猶予・更新を確認し、期限前に必要な対応を決める
やってはいけないこと
- 債権の内容や回収困難の根拠を確認せず、機械的に貸倒処理する
- 督促の際に、家族や職場に病名や診療内容を告げる
- 未払いを理由に、緊急時の診療を拒む
- 一括対応があれば、将来の治療費もすべて保険会社が必ず支払うと説明する
8 よくある質問
- 8,400円の未収金です。法的手続まで進む価値はありますか。
- 8,400円という金額だけでは決まりませんが、費用と手間、証拠、回収見込みを比較します。まず請求の誤りや支払困難の事情を確認し、適切な連絡方法で支払を求めて記録します。支援や分割払いが適切な場合もあります。
- 患者の家族に連絡して支払を求めてよいですか。
- 家族というだけで本人の債務を負うわけではありません。保証契約や代理権、本人の同意等を確認します。緊急連絡先を当然に督促先として使わず、伝言を依頼する場合も必要最小限にとどめます。「医療費の未払い」と告げること自体が受診や債務の情報を伝えるため、病名さえ伏せればよいわけではありません。
- 保険会社から交通事故の治療費の打ち切りを告げられました。
- 一括対応の終了理由・時期と個別の支払約束を確認します。その後の診療費の負担は、診療契約や保険の利用状況に応じて患者と調整し、書面等で説明を残します。健康保険の利用や第三者行為の届出、自賠責等への請求も確認します。保険会社の判断だけで治療を終える必要があるとは限りません。
主な法令・参考資料
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 健康保険法
保険医療機関の指定・辞退・取消し等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/211AC0000000070
- 個人情報保護法
個人データの取扱い、委託、仮名加工情報・匿名加工情報の区別。
https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057
- 個人情報保護委員会・厚生労働省:医療・介護ガイダンス
診療情報の取扱い、漏えい等の報告、第三者提供。
https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/ - 厚生労働省:応招義務と診療の求めへの対応
令和元年12月25日医政発1225第4号。緊急性、診療体制、患者の迷惑行為等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf - e-Gov法令検索:国民健康保険法
42条2項。一部負担金の徴収に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/333AC0000000192 - 国税庁:貸倒損失として処理できる場合
法人税における貸倒損失の要件。個人事業の必要経費は適用規定を別途確認する。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5320.htm - 厚生労働省掲載:身寄りがない人等への支援に関するガイドライン
研究班作成、2019年5月。医療の意思決定支援、成年後見人の役割、保証人がいない場合の支援。
https://www.mhlw.go.jp/content/000516181.pdf - e-Gov法令検索:労働者災害補償保険法
13条・22条等。療養の給付、療養の費用、通勤災害。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000050 - e-Gov法令検索:民事訴訟法
368条・382条等。少額訴訟、支払督促。
https://laws.e-gov.go.jp/law/408AC0000000109