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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第70講】

患者・家族が院長をストーカーする ― 医療者を守る法的対応

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第70講 患者・家族が院長をストーカーする― 医療者を守る法的対応

第Ⅶ部 患者対応・クレーム・応招義務

患者や家族からの待ち伏せ、私生活への執拗な接触、脅迫は、職員と家族の安全を脅かします。診療の終了後や患者の死亡後に生じることもあります。ただし、正当な説明要求と危険な行為を混同せず、具体的な言動と経緯を確認することが必要です。

この講は第Ⅶ部の締めくくりとして、執着・脅迫・私生活への侵入にどう対応するかを整理します。法律の道具はいくつかありますが、それぞれに適用の条件があります。どの道具が使えるかを見極め、使えない場合の備えを持つことが、この講の目的です。

例えば、診療を断った患者から、院長の自宅に手紙が届きました。宛名は院長の本名、住所は正確です。
「先生は私を見捨てた。必ず責任を取ってもらう」
翌週、クリニックの前に、その患者が立っていました。何もせず、ただ立っている。職員は怖がって、裏口から出るようになりました。

1 行為の性質で、使える法律が変わる

行為法的な位置づけと対応
危害の告知
「責任を取らせる」「殺す」
生命・身体・自由・名誉・財産への害悪の告知は脅迫罪等の問題になる。「責任を取らせる」だけで一律に犯罪とは決まらず、前後の言動や関係も確認する。危険が迫れば退避して110番する。
反復する電話・来院・待ち伏せ威力・偽計等の要件に応じ業務妨害等が問題になる。恋愛感情その他の好意又はそれが満たされない怨恨という目的があればストーカー規制法も検討し、それ以外でも地域の条例等の適用を確認する。
自宅への手紙・訪問手紙や訪問自体が直ちに違法とは限らない。内容、頻度、拒否後の継続、立入りの場所や正当な理由の有無により、脅迫・住居侵入等を検討する。住所が知られた経路と追加の情報流出にも注意する。
クリニック前に立つ待ち伏せ、見張り、進路の妨害に当たる場合もある。立っているだけで違法とは決めないが、場所、時間、頻度、視線・発言や接近の状況を伝えて早期に警察へ相談する。
SNSでの攻撃内容によって名誉毀損、侮辱、プライバシー侵害、脅迫等が問題になる。正当な批判との違いを確認し、投稿を保存して削除・法的対応や安全対策を検討する(第50・64講)。
職員への接触職員個人への執着に転じることがある。事業主として職員を守る義務(第61・62講)。

ストーカー規制法は、単なる苦情や報復一般を対象とする法律ではありません。ただし、患者と医療者の関係でも、好意やその不充足による怨恨が背景にあれば適用が問題になります。「診療への不満だと言っているから対象外」と自己判断せず、手紙や会話、接触の経緯を警察に伝えます。同法による警告・禁止命令と、犯罪への捜査や条例による対応は分けて検討します。

2 警察との関係の作り方

被害が深刻になるまで待たずに相談してください。犯罪への該当性がはっきりしなくても、早期の相談と安全対策は重要です。警察には恐怖を感じる理由、接近の頻度、相手が知っている住所等を具体的に伝え、巡回や連絡方法など、今できる対応を相談します。差し迫った危険は110番です。

  • 最初の段階で、所轄の警察署の生活安全課に相談し、相談番号と担当者名を控える。
  • 行為があるたびに、日時・内容・証拠(手紙、録音、映像)を記録し、相談に追加する。
  • 犯罪被害が疑われる場合は、被害届の提出等を相談する。危害の告知が出るまで待たず、緊急時は110番する。
  • クリニック周辺のパトロールを依頼する。

「大げさではないか」という迷いは、第62講と同じです。職員が裏口から出るようになった時点で、それは大げさではありません。

3 自宅住所は、どこから知られるか

冒頭の院長は、自宅に手紙が届いたことに驚きました。しかし、院長の自宅住所は、思っているより簡単に知られます。

医療法人の登記。代表権を有する理事長の氏名・住所は登記事項であり、登記事項証明書から住所が知られる場合があります。ただし、被害者等の住所を非表示とする制度があるため、常に無条件に公開されるとはいえません。個人開設でも、公開資料、不動産登記、過去の名簿やSNS等から住所が分かる場合があります。

商業登記規則31条の2は、ストーカー被害者等について、住所の公開により被害を受けるおそれがある場合の住所非表示措置を定めています。法人登記への準用も踏まえ、医療法人の理事長について利用要件と添付資料を法務局に相談してください。株式会社の代表取締役等についての同規則31条の3の制度とは別です。非表示になっても、既に知られた住所や他の公開情報まで消えるわけではありません。

住所が知られた可能性があれば、施錠、インターホン、家族への連絡、不審な郵便物を不用意に開けないことなどを確認します。警察への相談と、住所情報の保護に利用できる制度の確認を並行してください。危険が高い場合は、一時的な避難や警備、接近等を禁じる仮処分も検討します。

4 院長と職員を守る ― 日常の運用

執着する患者への対応は、特定の事件への対処ではなく、日常の運用として組み込む必要があります。

項目内容
受付での対応来院した場合の対応(対応者、伝える内容、退去要請の手順)を決め、職員に周知する。一人で対応させない。
電話の対応窓口と対応範囲を決め、私的な面会や連絡には応じない方針を伝える。必要なら着信制限を検討するが、継続診療に必要な連絡や正当な申入れの方法を別に確保する。
職員の安全出退勤の経路、一人での退勤を避ける、防犯ブザーの携帯。職員が怖がっている状態を放置しない。
情報の管理私的な住所、連絡先、行動予定を安易に伝えない。職員名の表示は本人確認や制度上必要な表示との関係を確認し、必要以上の情報公開を避ける。
診療の引継ぎ執着の対象になっている医師や職員を、その患者の診療から外す。診療そのものを継続するかは第65講の枠組みで判断する。
記録日時、場所、言動、対応者、手紙や映像等を安全な範囲で記録する。証拠が十分でない段階でも相談をためらわず、記録を取るために相手へ近づかない。

5 法的手続 ― 使える場面

民事では、人格権等に基づいて面談の強要や接近等を禁じる仮処分を検討できます。警察の対応が終わるまで待つ必要はありません。保全すべき権利と、著しい損害や急迫の危険を避けるための必要性等を示し、禁止する行為・場所・期間を具体化します。申立てれば当然に認められるものではなく、担保が必要となることもあります。違反時の間接強制も、命令の内容と法定要件に応じた別の手続です。

手続を進める際は、その通知や命令の後も安全が確保されるよう、警察や警備担当と連携します。命令が出れば必ず接近が止まるとは限りません。相手への刺激を恐れて必要な救済を諦めるのではなく、危険性に応じて、連絡窓口、避難、記録、警察・裁判所の手続を組み合わせます。

6 第Ⅶ部を終えるにあたって

第Ⅶ部では、患者との関係が難しくなる場面を扱いました。どの場面でも、必要な医療と職員の安全を守り、具体的な事実に基づいて判断することが大切です。2026年10月1日施行のカスタマーハラスメント防止措置義務への準備と、既に必要な安全配慮を並行して進めてください。

次の第Ⅷ部では、患者との関係が最も深刻な形で問われる場面——医療事故——に進みます。

7 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 執着する患者からの接触を、日時・内容・証拠の形で記録する運用を始める
  • 所轄の警察署に相談し、相談番号を控える
  • 職員に、来院・電話への対応手順と、退勤時の注意を周知する
  • 自宅の防犯と、家族への注意喚起を行う

やってはいけないこと

  • 「立っているだけだから」と記録も相談もしない
  • 職員一人に対応させる、一人で退勤させる
  • 相手に直接、感情的に反応する
  • ストーカー規制法が使えると決めてかかる(恋愛感情等の要件があります)

8 よくある質問

警察に相談しても「事件になっていない」と言われました。
相談記録だけで終わらせず、現在の危険と、できる安全対策を具体的に相談します。新しい接触や脅迫、住所を知られた事情があれば追加で伝えてください。犯罪の成立がはっきりしなくても相談は可能です。危険が迫れば110番し、必要なら弁護士等と連携して相談内容や法的手段を整理します。
患者が診療の継続を求めています。断りたいのですが。
担当の変更や複数対応など、安全に必要な医療を提供できる方法を検討します。診療自体を断るかは、緊急性、継続中の治療、具体的な行為、信頼関係、代替手段等から判断します。記録と警告の有無だけでは決まりません。本人と家族の行為も分けて考えてください(第65講)。
職員の一人が、患者からの執着の対象になっています。
事業主として職員を守る義務があります。その職員をその患者の対応から外し、出退勤の安全を確保し、職員自身の警察への相談を支援してください。職員個人の問題として放置することは、安全配慮義務の観点から許されません。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 刑法

    証拠隠滅、秘密漏示、窃盗・横領。成立要件と対象を区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045

  2. e-Gov法令検索:労働契約法

    16〜19条。解雇、有期契約、無期転換、雇止め。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
  3. 厚生労働省:応招義務と診療の求めへの対応

    令和元年12月25日医政発1225第4号。緊急性、診療体制、患者の迷惑行為等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf
  4. 厚生労働省:カスタマーハラスメント指針(令和8年厚生労働省告示第51号)

    2026年10月1日施行。定義、判断要素、事業主の措置、合理的配慮等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf
  5. e-Gov法令検索:ストーカー行為等の規制等に関する法律

    目的・対象行為、警告、禁止命令等の要件。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/412AC0100000081
  6. e-Gov法令検索:商業登記規則

    31条の2の被害者等の住所非表示措置と、31条の3の株式会社に係る制度の区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/339M50000010023
  7. e-Gov法令検索:各種法人等登記規則

    5条による商業登記規則31条の2等の準用。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/339M50000010046
  8. e-Gov法令検索:組合等登記令

    2条2項4号。代表権を有する者の氏名・住所・資格の登記。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/339CO0000000029
  9. 警察庁:ストーカー総合対策

    2026年7月28日改訂。早期の相談、安全確保、情報保護等。

    https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/stalker/260728_taisaku.pdf
  10. e-Gov法令検索:民事保全法

    13条・23条等。仮処分の申立てと保全の必要性。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/401AC0000000091
  11. e-Gov法令検索:民事執行法

    172条。間接強制の手続。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/354AC0000000004

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