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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第76講】

勤務医のミスを病院はどこまで負うか

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第76講 勤務医のミスを病院はどこまで負うか― 個人責任と法人責任

第Ⅷ部 医療事故・紛争対応

勤務医の診療で患者に損害が生じたとき、勤務医個人だけでなく、医療機関の開設者も責任を負う場合があります。ただし、事故が起きただけで責任が決まるわけではありません。それぞれの責任の根拠、注意義務違反、因果関係、損害を確認する必要があります。

この講では、患者に対する責任、開設者と勤務医の内部の負担、保険、院内での処分を分けて整理します。以下では法人が開設する医療機関を中心に扱います。個人開設の場合、開設者個人が対応する立場になります。

例えば、勤務医の処置に過失があり、患者に後遺症が残りました。賠償額は数千万円になる見込みです。
理事長は考えました。過失があったのは勤務医だ。法人がなぜ払うのか。払うとして、勤務医に返してもらえるのか。
そして、その勤務医を辞めさせるべきなのか。

1 患者に対する責任 ― 法人にも責任が生じる

法人の責任について、主に次の二つの根拠を検討します。

使用者責任(不法行為)。勤務医が法人の事業として行った診療で、過失により患者に損害を与えた場合、法人は使用者責任を負い得ます(民法715条1項)。条文上は、選任・監督に相当の注意をした場合や、その注意をしても損害が生じた場合の例外があります。ただし、専門資格のある医師を採用していたというだけで、法人が当然に免責されるわけではありません。

債務不履行(診療契約)。通常、診療契約の当事者は患者と開設者です。法人開設なら法人、個人開設ならその開設者個人であり、院長という役職だけで契約当事者になるわけではありません。勤務医を通じた診療が契約上求められる注意を欠き、損害を生じさせた場合、法人の債務不履行責任が問題になります(民法415条)。治癒や良い結果を必ず保証する責任ではありません。

勤務医個人には、不法行為責任が成立し得ます(民法709条)。法人にも責任が成立すれば、患者は両者に請求できます。同じ損害について両者が全額の責任を負う場合でも、患者がその損害を二重に回収できるわけではありません。患者への賠償と、その後の法人・勤務医間の負担割合は、分けて考えます。

2 法人と勤務医の内部関係 ― 求償は制限される

法人が患者に賠償した後、勤務医に対して「その分を払え」と求めること(求償)は、法律上は可能です(民法715条3項)。しかし、最高裁は、この求償を大きく制限しています。

最判昭和51年7月8日(茨石事件)は、使用者から被用者への求償等を、損害の公平な分担の観点から、信義則上相当な限度に制限しました。事業の性格・規模、施設、業務内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、事故予防や損失分散への使用者の配慮などを考慮します。この事案では使用者の請求が損害の4分の1に制限されましたが、すべての事故に共通する割合ではありません。

医療の場面でも、法人がどのような診療体制、指導・確認の仕組み、保険による損失分散を用意していたかが重要です。勤務医の行為だけでなく、法人側の対応も含めて負担を検討します。体制に不備があれば必ず求償できないという一律のルールではありませんが、全額を当然に勤務医へ転嫁することはできません。

最判令和2年2月28日(福山通運事件)は、被用者が先に第三者へ賠償した場合、損害の公平な分担に照らして相当な額を、使用者に求められるとしました(逆求償)。勤務医が先に賠償した場合も、法人との関係で負担を検討します。勤務医が支払った全額を、常に法人へ請求できるという意味ではありません。

3 体制の不備と、法人・管理者の責任

事故の原因を調べる際は、医師の診療判断に加え、確認の仕組み、人員配置、情報共有、指導体制も検討します。個人の過失か組織の問題かを先に決めつけず、両方の可能性を調べることが大切です(第75講)。

医療法は、管理者に職員の監督を求め(15条1項)、医療安全の指針、研修等の措置も求めています(6条の12)。体制の不備は、法人や管理者の法的責任を判断する事情になり得ます。ただし、損害との因果関係等を含めた個別の検討が必要です。体制に問題が見つかったことだけで、勤務医自身の責任や内部負担がすべてなくなるわけではありません。

4 保険 ― 誰の保険が使えるか

医師賠償責任保険は、賠償に備える重要な手段です。誰の保険が、誰のどの責任を補償するかを確認します。

保険填補の対象
法人(医療機関)の保険法人の使用者責任・契約上の責任など、約款で定めた範囲を補償する。勤務医個人の責任や弁護士費用まで対象かは、被保険者と補償内容の確認が必要。
勤務医個人の保険勤務医個人の責任を、契約の範囲内で補償する。勤務先の保険と対象が重なる場合は、保険会社間の支払調整等を確認する。

法人と勤務医が同じ損害について責任を負う場合、法人の賠償により、重なる範囲で勤務医の患者に対する債務も消滅します。「法人の分」と「勤務医の分」を必ず別々に支払うわけではありません。一方、勤務医だけが請求を受けた場合の対応や、勤務医自身の弁護士費用、内部の求償は別途確認が必要です。採用時に双方の保険の対象を確認し、事故後は関係する保険会社へ連絡してください(第31・79講)。

法人と勤務医の主張や利害が対立する場合は、同じ弁護士が双方を代理できるとは限りません。原因や内部負担をめぐる対立があれば、それぞれの相談体制も検討します。

5 院内処分 ― 懲戒・解雇は個別に判断する

冒頭の理事長の最後の問い——その勤務医を辞めさせるべきか——について。

診療上の過失も、内容によっては懲戒や解雇の判断材料になります。「過失なら処分できない」というルールではありません。懲戒では就業規則上の根拠に加え、行為の性質、重大性、経緯等に照らした合理性と相当性が必要です(労働契約法15条)。解雇にも客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要です(同16条)。

まず事実を確認し、本人の説明を聴き、教育・指導、担当変更、改善の可能性を検討します。一度の重大な行為でも処分が問題になる場合があり、反復が常に必要なわけではありません。逆に、悪い結果だけを理由に処分を決めることもできません。有期契約の期間途中の解雇には「やむを得ない事由」が必要です(労働契約法17条)。安全確保の措置と制裁を区別し、報告をためらわせない運用にします(第48講)。

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 法人の医師賠償責任保険の被保険者に、勤務医が含まれているかを確認する
  • 勤務医の個人保険の加入状況を、雇用契約時に確認する運用にする
  • 事故の背景に体制の問題がなかったかを、院内調査で必ず検討する
  • 安全確保・原因分析と懲戒等の判断を区別し、就業規則と個別事情を確認する

やってはいけないこと

  • 「過失があったのは勤務医だから法人は関係ない」と患者に主張する
  • 体制の問題を検討せずに、勤務医に全額の求償を求める
  • 事故の結果だけで懲戒・解雇を決め、本人の説明や体制上の問題を検討しない
  • 保険の被保険者の範囲を確認しないまま、事故を迎える

7 よくある質問

賠償金の一部を勤務医に負担させることはできますか。
求償は、損害の公平な分担に照らして相当な範囲に制限されます。法人の体制、事故の態様、保険等を確認してください。損害賠償額をあらかじめ定める契約は労働基準法16条に抵触し得ます。また、法人が賠償金を賃金から一方的に差し引くことは、賃金全額払いの原則に反します(同24条)。内部負担と賃金の支払は区別します。
勤務医が保険に入っていませんでした。勤務医個人の責任部分はどうなりますか。
保険がないこと自体で責任の範囲は変わりません。勤務医に責任が認められれば自己負担が生じ得ますが、法人にも責任があり同じ損害を賠償すれば、重なる範囲で患者への債務は消滅します。その後の内部負担は求償・逆求償の考え方で検討します。法人の保険で勤務医自身の対応費用まで賄えるとは限らないため、事前確認が大切です。
事故を起こした勤務医を、患者の目に触れる外来から外したいのですが。
患者の安全や本人の心身の状態から必要な担当変更、指導医の同席等を検討します。理由と期間を示すだけで、どのような措置も許されるわけではありません。必要性、労働契約・就業規則、賃金、本人の意見を確認し、定期的に見直してください。患者の目を避けるためだけの排除や、調整を名目にした制裁にならないようにします(第48講)。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 民法

    415条・709条・715条の損害賠償、695条・696条の和解等。契約、委任、責任、相続・財産分与。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  3. 労働基準法

    16条の賠償予定の禁止、24条の賃金全額払い、労働時間・割増賃金、有期契約等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049

  4. e-Gov法令検索:労働契約法

    15〜19条。懲戒・解雇、有期契約、無期転換、雇止め。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
  5. 最高裁昭和51年7月8日判決(茨石事件)

    昭和49年(オ)第1073号。使用者の被用者に対する損害賠償・求償の制限。

    https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-54209.pdf
  6. 最高裁令和2年2月28日判決(福山通運事件)

    平成30年(受)第1429号。被用者から使用者への求償と、公平な損害分担。

    https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-89270.pdf
  7. 日本医師会:日医医賠責特約保険の内容

    法人への請求、対象施設、支払対象、他の保険との調整等。

    https://www.med.or.jp/doctor/ibaiseki/tokuyaku.html

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