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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第103講】

退職者が患者データを持ち出した ― USB・クラウド・メール

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第103講 退職者が患者データを持ち出した― USB・クラウド・メール

第Ⅺ部 個人情報・IT・サイバー・生成AI

退職者が患者リストを無断で持ち出した場合、個人情報保護法、不正競争防止法、雇用契約上の守秘義務等に基づく対応を検討します。それぞれ成立の条件は異なります。事前のアクセス管理や誓約書は重要ですが、管理が不十分だったから何もできないとは限りません。まず、持出しと使用の事実を確かめ、患者への影響を抑えることが先です。

この講では、証拠保全、被害拡大の防止、患者への対応と報告、退職者への法的措置、日頃の情報管理を整理します。無断持出しと、患者自身が希望する転院に必要な適切な情報提供は区別して考えます。

例えば、整形外科クリニックの院長は、自院の患者に元勤務医の開業案内が届いていると聞きました。とくに、リハビリに通っていた患者が多いようです。事務長がログを調べると、退職前の週に元勤務医のアカウントで患者リストが出力され、私用メールへ送られていました。約3,000件です。「無断で持ち出して、使ったのだろうか」。院長の問いに、事務長は答えました。「操作と送信の記録を保全しましょう。誰が何に使ったのかと、うちの管理や契約を確認する必要があります」。

1 主な法的手段 ― 何が使えるか

法律内容
個人情報保護法

使える場面と効果:元従業者を含め、業務に関して扱った個人情報データベース等を自己・第三者の不正な利益を図る目的で提供・盗用した場合、法179条の犯罪が問題となる。法人の両罰規定は、その法人の業務に関する違反等が条件であり、被害を受けた医療機関が当然に処罰されるわけではない。漏えい等の報告・本人通知は別に判断する。

前提条件:行為者の立場、扱った情報、不正な利益を図る目的、提供・盗用等の各要件。開業の営業活動に使うための無断持出しは問題となり得るが、開業目的だけで犯罪の成立が確定するわけではない。営業秘密の秘密管理性は、この犯罪の要件ではない。

不正競争防止法

使える場面と効果:営業秘密について法定の不正取得・使用・開示に当たる場合、差止め(3条)、損害賠償(4条・5条)、信用回復措置(14条)等を検討する。刑事罰には別途、目的・行為態様等の要件がある。21条1項・2項の所定の犯罪は10年以下の拘禁刑または2,000万円以下の罰金、もしくは併科。国外使用等には加重された規定がある。

前提条件:患者リストが「営業秘密」であること。①秘密管理性(秘密として管理されていた)、②有用性、③非公知性の三要件。患者情報は②③を満たしやすいが、①は医療機関の管理次第。

雇用契約・誓約書

使える場面と効果:秘密保持等の義務に違反した場合、損害賠償や差止め等を検討する。ただし、誓約書があるだけで請求が認められるわけではない。退職金の不支給・返還も、規定があるだけで当然には認められず、行為の重大性やそれまでの勤続への評価等を踏まえた慎重な判断が必要。

前提条件:契約・就業規則・信義則上の義務の内容と違反を確認する。退職後の競業避止等は、保護する利益、期間、地域、職務、代償措置等に照らした合理性が必要。署名だけで有効になるわけではない。

刑法

使える場面と効果:電子データ自体の複製は、通常、有体物を対象とする窃盗罪・横領罪とは別に評価します。紙のカルテや記録媒体の持出しは、その占有関係等により窃盗・横領等が問題となります。他人の認証情報の不正利用等は不正アクセス禁止法の要件、データの不正取得・利用は個人情報保護法や不正競争防止法等の要件を検討します。

前提条件:有体物の持出しか、権限のないアクセスか。

設例のログは重要な資料ですが、アカウント名だけで実際の操作人物まで確定できるとは限りません。端末・認証・送信の履歴、受信先、開業案内に使われた宛先等と照合します。誓約書の有無だけに頼らず、各法律の要件と、その裏付けとなる証拠を整理します。

2 「秘密として管理されていた」と言えるか

不正競争防止法の営業秘密には、秘密管理性、有用性、非公知性が必要です(2条6項)。秘密管理性では、秘密として管理する意思が、情報に接する従業者に分かる状態かが重要になります。患者リストについては、次のような事情を総合して検討します。

  • 患者データへのアクセスが、職務上必要な者に限定されていたか(アクセス権限の設定)
  • データの出力・外部送信が制限され、または記録されていたか
  • 就業規則・誓約書・研修で、患者情報が秘密であり持出しを禁じることが示されていたか
  • 電子カルテや患者名簿に「秘」「機密」等の表示や、取扱規程での指定があったか
  • 退職時に、データの返還・消去と守秘義務を確認していたか

無制限に出力でき、秘密の範囲や扱い方も示されていない状態は、秘密管理性の立証を難しくします。アクセス制御、規程、研修、秘密表示等は重要な証拠です。ただし、個人情報保護法上の安全管理と、営業秘密としての秘密管理性は同じ要件ではありません。一方の対策を整えたから他方も自動的に満たすとは考えないでください。

3 発覚したときの手順

発覚から確報までの手順

  1. 証拠を保全し、アクセスを止める ログ、出力・送信履歴、端末の記録を改変されない形で確保し、必要に応じ専門業者に依頼する。同時に、退職者の残存権限や共有設定を停止して被害拡大を防ぐ。調査のために権限を開けたままにせず、ログを失う初期化も避ける。
  2. 持ち出された範囲を特定する どの患者の何の情報が、いつ、どこへ送られたかを確認する。約3,000件の記録と3,000人は同じとは限らない。重複や内容を調べ、通知対象者を特定する。全体の確定を待たず進めるべき通知も検討する。
  3. 院内で報告し、担当を決める 個人情報保護の責任者、管理者、弁護士。
  4. 速報 事態を知った後速やかに、判明事項を委員会に報告する。目安は概ね3〜5日以内。不正目的の類型では、確報は知った日から60日以内。
  5. 退職者への通知 使用・開示の停止、使用先・複製先の説明、証拠保全、データの返還等を求める。必要な証拠を確保したうえで不要な複製を消去させ、その方法と結果を確認する。「すべて消せ」という要求で証拠まで失わないよう、通知と保全の順序・内容を弁護士と調整する。
  6. 患者への通知 状況に応じて速やかに、判明事実、対象情報、対応、勧誘等の二次被害への注意、問い合わせ先を伝える。未確定事項を区別し、必要に応じ追加通知する。通知困難時の公表等による代替には法定の条件があり、人数だけで省略しない。
  7. 仮処分の検討 使用・開示の継続や証拠消失の危険に応じ、差止めの仮処分や証拠保全等を早期に検討する。事前の警告や相手の拒否が常に必要なわけではない。権利の根拠と緊急性、秘密管理等の資料を準備する。
  8. 刑事告訴の検討 個人情報データベース等提供罪、不正競争防止法違反等の可能性を検討する。すべての証拠がそろうまで待たず、判明事項を整理して警察に早期に相談する。
  9. 損害賠償 不正使用による逸失利益、合理的な調査・通知費用等について、義務違反、損害、因果関係を検討する。不正競争防止法5条の損害額の推定等も、それぞれの要件を満たす必要があり、秘密管理性だけで使えるものではない。
  10. 確報 事態を知った日から60日以内に、不正目的の漏えい等について原因、影響範囲、再発防止策等を報告する。

4 患者の「移動」と「データの持出し」は別

患者には受診先を選ぶ自由があり、医師の開業や、患者が希望して転院すること自体を、データ持出しと同一視してはいけません。一方、記憶した情報でも、営業秘密の不正使用や守秘義務違反になり得ます。合理的な競業避止義務や不当な勧誘の問題も別にあるため、「記憶だけなら自由」「患者が移ったから違法」とは判断しないでください。

設例で問題になるのは、無断で出力・送信した患者リストを営業に使った疑いです。持出しと使用の証拠を確かめ、どの義務に違反するかを特定します。患者が転院したという結果だけで、不正使用や損害額が証明できるわけではありません。

担当患者の継続診療に必要な引継ぎは、本人の意思、適切な同意等の根拠、医療機関の手続に沿って行います。退職時には、転院案内の範囲や紹介状・情報提供の窓口を決めておきます。競業をめぐる争いを理由に、患者に必要な情報提供を妨げないことも重要です。

5 USB・クラウド・メール ― 経路ごとの対策

経路内容
USBメモリ・外付け媒体

典型的な持出し:患者リストや画像をコピーして持ち帰る

対策:端末のUSBポートの無効化または許可媒体の限定。媒体の使用記録。持出し時の承認手続。

クラウドストレージ

典型的な持出し:私用のクラウドにアップロードする

対策:業務端末からの私用クラウドへのアクセス制限。業務用クラウドの共有設定の管理と、退職時の共有解除。

メール

典型的な持出し:私用アドレスに添付で送る

対策:外部宛て送信の記録、大量添付・私用ドメイン宛ての検知、必要に応じた承認。

スマホ撮影

典型的な持出し:画面を撮影して持ち帰る

対策:技術的に防ぎにくい。私物端末での撮影禁止の規程、研修、誓約書(第102講)。ログで出力履歴が残らないため、発覚後の立証が難しい。

印刷

典型的な持出し:紙で出力して持ち帰る

対策:印刷ログ、大量印刷の検知、書類の持出し管理。

退職後のアクセス

典型的な持出し:退職後もアカウントが生きていて外部からアクセスする

対策:退職日当日のアカウント停止(第107講)。

対策の目的は、持出しを難しくすること、発生時に事実をたどれること、秘密としての管理を明確にすることです。ログは重要ですが、ログだけで操作人物が確定するとは限らず、ログがなくてもメール、配布物、関係者の説明等が証拠になり得ます。退職者の私用クラウド等へ無断で侵入して調べることはせず、適法な調査・裁判手続を検討してください。

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 電子カルテ・レセプトコンピュータのアクセス権限が職務ごとに設定されているか、出力・送信のログが残り、保存期間が十分かを確認する
  • 就業規則・誓約書に、患者情報の秘密性と持出し禁止、退職後の守秘義務があるかを確認する
  • 退職時の手続(データ返還・消去の確認、誓約書の再確認、アカウント停止)を文書にする
  • 医師の退職に際して、担当患者の引継ぎと転院案内の扱いを取り決める運用にする

やってはいけないこと

  • 調査のために不正アクセスを放置する、または消去・初期化によって必要な証拠を失う
  • 「患者を取られた」ことを問題にし、「データを持ち出された」ことを後回しにする
  • 不正目的の漏えいを、患者に通知せず、個人情報保護委員会に報告しない
  • 全職員が全患者のデータを自由に出力できる設定のまま放置する

7 よくある質問

退職者が「自分が診ていた患者だから、自分の情報でもある」と言っています。
担当医だったことは、患者データを自由に持ち出す権限にはなりません。医師法24条は医師の記載義務と管理者等の保存義務を定め、患者情報の利用・提供には個人情報保護法等の制約があります。継続診療に必要な情報は、患者の意思と正規の引継ぎ手続に沿って提供します。記憶した秘密情報の利用についても、守秘義務等の問題は残ります。
誓約書を取っていませんでした。何もできませんか。
個人情報保護法の刑事罰と漏えい等報告義務は、誓約書の有無にかかわりません。不正競争防止法は秘密管理性が問われますが、誓約書がなくてもアクセス制御や規程で秘密管理性が認められる余地はあります。誓約書がない場合でも、雇用契約に付随する信義則上の守秘義務は認められうるので、損害賠償の余地は残ります。ただし、立証は難しくなります。
患者リストを持ち出した職員が、競合ではなく、家族や知人に情報を漏らしただけの場合はどうなりますか。
自己や第三者の不正な利益を図る目的がなければ、法179条の犯罪は成立しません。しかし、家族・知人への提供だからその目的がないとも限りません。目的や態様を確認し、漏えい等の報告・本人通知、民事責任、懲戒、各職種の守秘義務違反について、それぞれの要件に基づき検討します。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 民法

    委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  2. 刑法

    211条の業務上過失致死傷、証拠隠滅、秘密漏示等。成立要件と対象を区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045

  3. 個人情報保護法

    利用目的、要配慮個人情報、委託・第三者提供、保有個人データの開示等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057

  4. 個人情報保護委員会:ガイドライン(通則編)

    漏えい等の報告対象、速報・確報、安全管理、第三者提供。

    https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/guidelines_tsusoku/

  5. 個人情報保護委員会・厚生労働省:医療・介護ガイダンス

    令和8年4月一部改正。医療情報の取得・利用・提供、安全管理、開示等。

    https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/
  6. e-Gov法令検索:保健師助産師看護師法

    看護師等の業務範囲、医師の指示に基づく診療補助、守秘義務等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000203
  7. e-Gov法令検索:不正競争防止法

    営業秘密(2条6項)、差止め、損害賠償・損害額の推定、刑事責任等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/405AC0000000047
  8. e-Gov法令検索:個人情報保護法施行規則

    7条の報告対象、8条の報告、9条の委託元通知、10条の本人通知。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/428M60020000003

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