第104講 電子カルテが止まったら診療できるか― システム障害BCP
第Ⅺ部 個人情報・IT・サイバー・生成AI
電子カルテが停止したという理由だけで、すべての診療を一律に中止する決まりはありません。ただし、必要な患者情報や安全な処方・検査の手段がなければ、通常どおり続けることもできません。患者の状態と残された機能を踏まえ、紙で継続する業務、延期する業務、他院への搬送・紹介を判断します。
この講では、システム障害時にも患者の安全と記録を守る備えを整理します。医療情報システムの安全管理に関するガイドライン第7.0版は非常時の対応を求め、令和8年度のチェックリストもサイバー攻撃を想定した事業継続計画(BCP)の策定を確認しています。紙に切り替える手順と、復旧後に診療記録をつなぐ手順を、日頃から用意することが重要です。
例えば、月曜日の朝8時40分、外来の受付が始まる20分前に、電子カルテの画面が固まりました。再起動しても戻らない。ベンダーのサポートに電話すると、「クラウド側の障害です。復旧の見込みは未定です」。
待合室には、すでに15人の患者が座っています。
院長は事務長に聞きました。「今日の予約は何人だ」
事務長は答えました。「120人です。誰が何時に来るか、システムを開かないとわかりません」。
1 止まる原因は一つではない
| 原因 | 内容 |
|---|---|
| クラウド側の障害 | 特徴:データセンターやサービス基盤の障害。影響範囲は構成により異なる。医療機関は復旧情報を得ながら、利用できる別系統や紙での診療継続を判断する。 復旧の主導権:ベンダー。復旧見込みの情報が頼り |
| 院内ネットワーク・回線の障害 | 特徴:通信障害、院内機器の故障、設定変更等。クラウド利用に支障が生じるが、代替回線やオフライン参照の有無により影響は異なる。 復旧の主導権:回線事業者・院内の保守業者 |
| 院内サーバーの故障 | 特徴:院内設置のサーバー・ストレージの故障。代替機、バックアップの状態、復元手順と要員等が復旧時間を左右する。 復旧の主導権:保守業者・自院 |
| 停電 | 特徴:計画停電、災害、建物側の電気設備の事故。無停電電源装置と非常用電源の容量が運用時間を決める。 復旧の主導権:電力会社・建物管理者 |
| ソフトウェアの更新失敗 | 特徴:更新後に起動しない、動作が不安定になる等。製品、設定、他システムとの組合せ、作業手順などを調べ、原因と対応を判断する。 復旧の主導権:ベンダー |
| サイバー攻撃 | 特徴:ランサムウェアによる暗号化、不正アクセスによる停止。復旧に週・月単位を要することがあり、警察・行政への対応が加わる。 復旧の主導権:第105講 |
備えは「原因」と「停止時間」の両方で考えます。長期化した場合の人員・物資は共通して準備できますが、サイバー攻撃が疑われる端末を代替回線につなぐと、被害を広げる危険があります。単なる通信障害と攻撃の疑いでは、切り分け・接続・復旧の手順を変える必要があります。
2 「止まっている時間」で考える
| 継続時間 | 内容 |
|---|---|
| 数十分〜半日 | 起きること:予約の確認と受付、当日の診察・処方の記録、会計の保留 必要な備え:前日終業時等に確保した予約一覧、紙の診療録用紙・処方箋、後日精算の案内。始業前に停止しても取り出せるよう備える。 |
| 1〜3日 | 起きること:既往歴・処方歴・アレルギー情報が参照できない期間の診療、検査結果の受取り、レセプト作成の遅れ 必要な備え:患者基本情報(アレルギー・禁忌・主要な処方)の定期出力または別系統での参照、検査会社との紙・電話での連絡手段、復旧後の入力手順 |
| 1週間以上 | 起きること:紙運用の恒常化、職員の疲弊、レセプト請求期限、入院なら投薬・注射の指示の連続性 必要な備え:紙運用の手順書、人員配置、レセプト請求の特例対応(支払基金・国保連への相談)、ベンダーとの復旧計画の合意 |
予約一覧は、前日終業時に翌日分を出すなど、始業前の障害にも備えて確保します。更新日時を明示し、その後の予約変更や当日受付を反映する手順を決めます。一覧があっても本人確認は省略できません。出力は必要な範囲に絞り、施錠保管と適切な廃棄も組み合わせます。
3 法律上の要求 ― 止まっている間も止まらないもの
診療録の記載と保存
医師は診療後、遅滞なく診療録に記載します(医師法24条1項)。勤務医の診療録は管理者が、それ以外は医師本人が5年間保存します(同2項)。停止中も、その場で紙等に日時・患者・記載者・内容を記録します。復旧後の入力では、実際の診療日時と入力日時・入力者が区別できるようにし、転記を確認します。原本を保存するか、適切な電子保存の要件を満たす方法で取り込み、単に転記しただけで紙を捨てないでください。
電子保存の三原則
診療録等を電子的に保存する場合、真正性(改ざんされていないこと、作成者と作成日時が明らかであること)、見読性(必要に応じて肉眼で読める状態にできること)、保存性(法定期間、復元可能な状態で保存されること)が求められます。システムが止まって記録が読めない状態は、見読性の要件と直接に関わります。医療情報システムの安全管理に関するガイドラインは、非常時に見読性を確保する手段(バックアップからの参照、紙出力の体制)を求めています。
事業継続計画
令和8年度のサイバーセキュリティ対策チェックリストは、サイバー攻撃を想定したBCPの策定を確認しています。ガイドライン第7.0版の経営管理編等では、定期的な訓練・演習と改善が求められています。「計画がある」だけでなく、実際に連絡・判断・代替運用ができるかを確かめ、記録を残します。
個人情報保護法
障害による滅失・毀損やそのおそれが、要配慮個人情報等の報告類型に当たれば、法26条の報告・本人通知を検討します。一時的に参照できないだけの状態と、復元不能な状態は区別します。同じ内容が他に保存されていれば滅失に当たらず、暗号化による復元不能についても同じデータが別にあれば毀損に当たりません。ただし、外部流出やそのおそれは別に調べます(第101講)。
4 止まった日の手順
電子カルテが止まった日にすること
- 状況を確認する 患者への影響、停止範囲、ベンダー・回線・院内機器の状況を確認し、発生時刻と判断を記録する。攻撃の疑いがあれば第105講の初動へ移る。厚生労働省等への連絡も現行の案内・ガイドラインに沿って行う。
- 紙運用を宣言する 管理者が「紙運用に切り替える」と決め、全職員に伝える。決める人と伝え方を、事前に決めておく。
- 受付 紙の予約一覧等と本人確認により受け付ける。新規患者の番号の重複を防ぎ、診察順と患者・記録・検体の対応を管理する。
- 診察 紙の診療録用紙に記載。患者の既往歴・アレルギー・処方歴は、患者本人・お薬手帳・紙で出力しておいた基本情報から確認。確認できない情報に依存する処方は慎重に。
- 処方 紙の処方箋や院内の指示書へ切り替え、必要な記載事項と医師の確認を満たす。既に電子処方箋を発行していないか、薬局で調剤済みでないかを確認し、重複処方・投薬を防ぐ。必要に応じ薬局と連絡する。
- 検査 検査部門・外注先と紙等の代替手順を確認する。患者・検体の照合、依頼の重複、結果の受領・確認漏れを防ぎ、緊急の異常値は確実に担当医へ伝える。
- 会計 概算で受領して後日精算するか、後日請求とする。患者への説明文を用意しておく。
- 患者への説明 紙運用、待ち時間、実施できる診療と延期・紹介の扱いを案内する。データへの影響が不明なら調査中と伝え、「情報は失われていません」と未確認の安全を断定しない。
- 入院(病院の場合) 投薬・注射・処置の指示を紙で。指示の連続性を看護師と確認。
- 復旧後 誰が、いつまでに、どう確認して紙の記録を電子カルテへ反映するかを決める。処方・検査指示の二重登録を防ぎ、会計・請求も照合する。紙の原本は保存または適切な電子保存を行う。
5 備え ― 止まる前に用意しておくもの
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 紙の様式 | 診療録、処方箋、受付票、検査依頼書、預り証等の現行様式。想定する診療量と停止期間に応じ、すぐ使える場所に確保する。 |
| 停止前の出力 | 前日終業時等に翌日の予約一覧を確保する。必要に応じ基本情報も準備し、更新時刻・変更の反映・施錠保管・廃棄を定める。停止してからの印刷を前提にしない。 |
| 患者基本情報の別系統参照 | 業務に必要な範囲の情報を、主システム停止時も安全に参照できるようにする。更新時点、アクセス権、暗号化、鍵の管理、漏えい防止を確認する。バックアップがあるだけで閲覧できるとは限らず、復元・参照を試す。 |
| 電源 | 無停電電源装置の容量と稼働時間。非常用電源があるなら、どの機器をどのくらい動かせるか。定期点検。 |
| 回線 | 事前に承認・整備した代替回線と接続手順。サイバー攻撃が疑われる機器を、そのまま別回線につないで迂回させない。 |
| 連絡先 | ベンダーの障害時連絡先、回線事業者、保守業者、検査会社。紙で掲示。 |
| 手順書 | 自院の様式・役割・判断基準に合わせた手順書。初動は短い一覧にまとめ、投薬・検査・入院管理等の詳しい手順を別に用意する。 |
| 訓練 | 定期的に机上訓練と模擬患者での紙運用を行い、必要に応じ段階的な実地訓練を組む。患者安全を確保し、判明した問題を手順書へ反映する。頻度・時間は機能やリスクに応じて設定する。 |
| ベンダー契約 | 障害時の連絡体制、復旧目標時間、データのバックアップの頻度と保管場所、復旧できなかった場合の責任(第106講)。 |
予約情報の事前確保と紙様式の準備は、着手しやすい対策です。さらに模擬訓練で、処方箋の様式、検査会社への連絡、本人確認、後日精算の説明等を確かめます。紙が置いてあることと、それを使って安全に診療できることは別です。
6 ベンダーに何を求めるか
クラウド型では事業者側でなければ対応できない範囲があります。だからこそ、障害情報、医療機関側の役割、代替の参照手段、復旧の条件を契約前から確認し、自院のBCPとつなげます。
- 障害時の情報提供 発生の通知、原因、復旧見込み、進捗。「未定」を繰り返されるだけでは、紙運用の期間を判断できない。
- 復旧目標 いつまでに戻すことを目指すか(RTO)と、どの時点のデータまで戻すか(RPO)を分けて確認する。サービス水準の合意や未達時の扱いも明確にする。目標が、そのまま無条件の復旧保証や賠償保証になるわけではない。
- データの安全 バックアップの頻度、分離・保管方法、復元試験、医療機関側の役割を確認する。「絶対に失われない」という説明だけに頼らない。
- オフライン参照 障害時に最低限の患者情報を参照する手段が製品として用意されているか。
- 責任 障害による損害(紙運用の人件費、診療の縮小による損失)の扱い。多くの契約では免責または上限がある。その内容を知ったうえで、自院の備えを厚くするかを判断する。
クラウド型か院内設置型かという名称だけでは、安全性や復旧力は決まりません。冗長化、保守、認証、通信、バックアップ、代替運用を具体的に比較します。自院で操作できる範囲と、事業者への依存が残る範囲を理解して備えることが必要です。
7 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 前日終業時等に翌日の予約一覧を確保し、保管・更新・廃棄する運用を決める
- 紙の診療録用紙・処方箋・受付票が院内にあるか、様式が現行かを確認する
- ベンダーの障害時連絡先と、障害情報の確認方法を受付に掲示する
- 患者の安全を確保した机上・模擬訓練を予定し、紙運用と復旧後の照合を試す
やってはいけないこと
- 復旧を待つ間、診療録を記載せずに診療を続ける
- 復旧後に、記憶で診療録を入力し、紙の記録を破棄する
- 「クラウドだから止まらない」と考えて備えをしない
- 計画を作って、訓練をしない
8 よくある質問
- 障害の間、既往歴やアレルギーが確認できません。診療を断るべきですか。
- 一律に診療を断るのではなく、緊急性と安全に実施できる範囲を判断します。本人・家族、お薬手帳、他院等から必要な情報を得ます。安全に実施できない処方や処置は見送り、急を要する場合は他院への相談・搬送を手配するなど、患者を放置しない対応が必要です。判断、情報の限界、説明を紙の記録に残します。
- 障害でレセプトの提出期限に間に合いません。
- 審査支払機関(支払基金・国保連合会)に早めに相談してください。システム障害等のやむを得ない事情がある場合の取扱いについて、個別に対応が示されることがあります。障害の発生と復旧の記録(ベンダーからの通知等)を残しておくと、事情の説明に使えます。
- 訓練は、実際に電子カルテを止めて行うのですか。
- まず、机上で役割と判断を確認し、模擬患者を使って受付・診察・処方・会計を試します。本番のシステムを止める必要はありません。実際の外来で試す場合は、患者安全、通常運用へ戻す条件、人員、記録の照合を先に整えます。「半日行えば十分」とはせず、入院・夜間対応等も自院の機能に合わせて検証します。
主な法令・参考資料
- 医療法施行規則
医療情報システムのサイバーセキュリティ確保等(14条2項)。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323M40000100050
- 医師法
診療録の記載・保存(24条)等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201
- 個人情報保護法
利用目的、要配慮個人情報、委託・第三者提供、保有個人データの開示等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057
- 個人情報保護委員会:ガイドライン(通則編)
漏えい等の報告対象、速報・確報、安全管理、第三者提供。
https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/guidelines_tsusoku/
- 厚生労働省:医療情報システム安全管理ガイドライン第7.0版
2026年6月改訂の第7.0版。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.html
- 同ガイドライン:システム運用編
電子保存、システム運用、認証、バックアップと復旧等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716295.pdf
- 厚生労働省:令和8年度の医療法に基づく立入検査の実施通知
令和8年6月12日医政発0612第10号。医療安全、オンライン診療、広告、人員配置、外来医師過多区域等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001711283.pdf - 厚生労働省:安全管理ガイドライン第7.0版・経営管理編
責任体制、定期的な訓練、BCP、事故時の連絡、金銭の支払を厳に慎む旨。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716291.pdf - 厚生労働省:安全管理ガイドライン第7.0版・企画管理編
非常時対応、役割分担、BCP、事業者との契約・管理等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716292.pdf - 厚生労働省:サイバー攻撃を想定したBCP策定の手引き
通常時、検知、初動、復旧、事後の対応。確認表と併せて利用。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001261301.pdf - 厚生労働省:医療分野のサイバーセキュリティ対策について
医療機関のサイバー攻撃等に関する連絡窓口、報告の案内、対策資料。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/johoka/cyber-security.html - 厚生労働省:令和8年度サイバーセキュリティ対策チェックリスト
医療機関・薬局の対策点検。BCP、バックアップ、アクセス管理等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716185.pdf