第113講 子どもに経理を任せていたらお金が消えた
第Ⅻ部 家族経営・離婚・名義持分
医療法人のお金は、院長個人や家族のお金ではありません。子が経理を担当していても、無断の流用には返還・損害賠償や刑事責任が問題になります。ただし、不明な送金を見つけただけで横領と決めてはいけません。権限、使途、承認、契約を確かめ、被害拡大を止めることが先です。将来の後継者かどうかと、今回の対応は分けて判断します。
この講では、子による資金流出が発覚したときに、何を、どの順で判断するかを整理します。返還と処分の選択肢、税務上の処理、他の子や後継者への影響、そして「なぜ気づかなかったか」への答えとしての仕組み。第112講と重なる部分は簡潔にし、子に固有の問題に重点を置きます。
例えば、院長は、医学部を出なかった長男を事務長にし、経理を任せていました。「将来、弟が院長になったとき、経営を支えてもらう」つもりでした。
その長男が、この3年で法人の口座から約2,800万円を、自分の口座と、知らない会社に送っていました。税理士が気づいたとき、長男は言いました。「投資で増やして戻すつもりだった。父さんには言えなかった」
院長は、警察に行くべきか、返してもらえばよいのか、弟にどう説明するのか、そして自分がなぜ3年間気づかなかったのかを、同時に考えなければなりませんでした。
1 「消えた」の類型 ― 何が起きていたのか
| 類型 | 内容 |
|---|---|
| 私的な費消 | 内容:生活費、遊興費、借金の返済に法人の資金を使う 法律上の位置づけ:業務上預かる法人資金を不法に自己のために使った場合は、業務上横領等を検討する。占有、権限、不法領得の意思等の要件を確認し、法人への返還・損害賠償も検討する。 |
| 「増やして戻す」投資 | 内容:法人の資金を株式・暗号資産・投資話に回す。冒頭の事案 法律上の位置づけ:返すつもりだったことだけで免責されない。誰の名義・計算で投資し、どの権限があったかを確認する。法人として承認された投資の損失と、自己のための無断流用は区別する。 |
| 投資詐欺・ロマンス詐欺の被害 | 内容:子自身が詐欺に遭い、法人の資金を送金した 法律上の位置づけ:子が詐欺被害に遭っていても、法人資金の流用の責任は別に検討する。だまされたことだけで横領が当然に成立するわけでもない。速やかに銀行・警察・弁護士へ相談し、送金先への回収可能性を調べる。 |
| 架空経費・水増し | 内容:存在しない業者への支払、取引先との共謀による還流 法律上の位置づけ:資金の管理状況、だます行為、図利加害目的等に応じて、横領・背任・詐欺等を検討する。共謀した取引先の民事・刑事責任も別に調べる。 |
| 貸付・立替の未整理 | 内容:本人は「借りた」つもりで、返す予定だが、記録も承認もない 法律上の位置づけ:貸付契約・承認・返済義務の実態を調べる。理事会承認の有無だけで横領か貸付けかが決まるわけではなく、帳簿に貸付金と書いただけで適法にもならない。 |
| 会計の混乱 | 内容:横領ではなく、記帳の誤りや家計との混同で「消えた」ように見える 法律上の位置づけ:第114講。まず事実の確認 |
まず、法人の口座、帳簿、証憑、送金操作の記録を適切に保全し、継続中の流出を止めます。給与や診療に必要な支払を確保しながら、弁護士・税理士と取引を整理してください。記録の改変が懸念される場合は保全を先行させますが、本人の説明を聞くこと自体を一律に避ける必要はありません。説明と資料を照合し、権限のない私用口座・端末を無断で調査しないことも重要です。
2 院長が同時に抱える四つの判断
返還と処分
返還請求、経理権限の変更、役員・職員としての処分、警察相談・告訴は、それぞれ判断します。返還を受けても、不正がなかったことにはなりません。金額・根拠・期限・分割条件を記録し、必要なら担保や執行認諾文言付き公正証書等を検討します。法人の利益に照らした決定過程と、会計処理、再発防止を残してください。内部対応を選んでも、法定・契約上必要な報告を省けるわけではありません。
理事が法人に著しい損害を及ぼすおそれのある事実を発見した場合、直ちに監事へ報告する義務があります(医療法46条の6の3)。監事にも重大な不正等について所定の報告義務があります(46条の8)。家族内だけの口約束で処理せず、関係する機関へ適切に報告します。
税務
不正流出を、返還されたから最初から貸付けだったことにするのは適切ではありません。損害と返還・損害賠償請求権、回収、債権放棄等を、事実と発生時期に応じて処理します。回収できないだけで給与や貸倒損失に自由に振り替えられるものでもありません。貸倒れには所定の条件があり、家族への安易な免除は別の責任・課税を生みます。隠蔽・仮装等があれば重加算税も問題になりますが、記録不足だけで当然に課されるわけではありません。税理士と対象年度・申告を確認します。
他の子と後継者への影響
法人の返還請求を免除するかどうかは、法人の利益と決定権限に基づいて判断します。法人の債権は父個人の財産ではないため、返還を免除したことが当然に「父から長男への贈与」や父の相続における特別受益になるわけではありません。法人・役員の責任、債務免除等の課税、父個人が別途負担した金銭の有無を分けて整理します。
「なぜ気づかなかったか」
設例の長期の流出については、なぜ発見できなかったかを調べます。口座確認、支払承認、監事の監査、税理士との連絡のどこに不足があったのか、記録と担当者の説明から確かめます。原因を推測で決めず、院長や他の理事の監督上の問題も検討します。子の責任追及だけで終わらせないことが重要です。
3 刑事告訴を選ぶとき、選ばないとき
医療法人が被害者である以上、親族相盗例は適用されず、告訴は可能です(第112講)。実際に告訴するかは、次の要素で判断します。
- 被害と回収の状況 金額、期間、返還能力、継続のおそれを確認する。告訴は犯罪の捜査・処罰を求める手続であり、支払を強いるための脅しとして使わない。刑事手続だけで返金が保証されるわけでもない。
- 共謀者の有無 取引先や第三者が関与している場合、その者への責任追及には刑事手続が有効なことがある。
- 法人内部への説明 家族であることだけを理由に免責せず、事実、回収方針、処分の根拠を必要な範囲で説明する。告訴と解雇等は別の判断であり、一方が他方の法的な代替になるわけではない。
- 当事者への影響 捜査や処分が子、家族、法人に与える影響を考える。ただし、親としての意向だけで法人の利益を犠牲にしない。告訴したこと自体で直ちに前科が付くわけではない。
- 保険 役員・従業員の不正による損害を補償する保険に加入していれば、保険金の請求に警察への届出が条件になっていることがある。
警察への相談と民事上の回収は並行して検討できます。刑事告訴をしないと決めた場合も、権限制限、返還合意、適切な処分、監事への報告、再発防止は別に検討します。理由を記録し、隠蔽せずに法人の利益を守ることが必要です。
4 子を経理に置くなら
子(親族)に経理を任せる場合の条件
- 管理の仕組みを入れる 支払の作成と承認、口座・証憑の照合、届出印・認証手段の管理、月次報告、監査を組み合わせる。個人口座への振込は一律禁止ではなく、適法な根拠と承認を確認する。
- 職務と権限を文書にする 支払の上限額、承認を要する取引、禁止事項。「事務長」という肩書で全権を渡さない。
- 報酬を職務に見合う額にする 業務内容、責任、勤務実態等に応じて適切に決める。報酬への不満があっても、法人資金の流用が正当化されるわけではない。
- 相談と早期発見 資金面の問題や業務上の悩みを相談できる窓口を設ける。家族であることを理由に私生活を無制限に監視せず、まず送金・承認等の客観的な異常を確認する。
- 税理士・監事との経路を子以外にも持つ 院長と税理士、院長と監事が直接話す機会を定期的に持つ。
- 後継者計画と切り離す 経理を任せることと、法人を継がせることは別。経理担当の子が後継者になる場合、社員・理事・持分の設計は第Ⅻ部・第ⅩⅢ部の考え方で別に行う。
- 説明の範囲を決める 親族間の公平と後継者への影響を考える。ただし、他の子だから当然に法人資料や患者・職員の情報をすべて見せてよいわけではない。立場と必要性に応じて説明する。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 子が経理を担当しているなら、第112講の仕組みが入っているかを確認し、なければ入れる
- 子の職務と権限(支払の上限、承認事項)を文書にする
- 税理士と監事に、院長への直接報告を依頼する
- 役員・従業員の不正に関する保険の加入状況と条件を確認する
やってはいけないこと
- 証拠保全や流出防止を考えずに問い詰める、または必要な説明聴取をせず推測だけで処分する
- 「返してもらえば終わり」として、記録も会計処理も残さない
- 流出を放置して使途不明金にする
- 子だからという理由で、他の職員なら行う処分を省略する
6 よくある質問
- 個人診療所です。息子が事業用口座から使い込みました。
- 院長本人が所有・管理する財産について、子による横領等が成立する場合は、直系血族間の親族相盗例により刑が免除されることがあります。ただし、預かり金など第三者の財産、銀行等を被害者とする別の犯罪、親族でない共犯者が関係する場合は別に検討します。刑の免除があっても、民事上の返還・損害賠償義務までなくなるわけではありません。無断流用を直ちに親からの贈与と処理せず、事実と回収・免除の有無を確認します。
- 息子は理事ではなく、職員として雇用しています。処分はどうなりますか。
- 就業規則等の根拠・周知、事実、本人の説明、処分の相当性を確認します。懲戒には労働契約法15条、解雇には同16条等の条件があり、使い込みの疑いだけで直ちに懲戒解雇できるわけではありません。親族でない職員にも通用する基準で判断します。給与から損害額を一方的に差し引くことも避け、回収は適法な方法で進めてください。
- 返還を受けたあと、息子を法人に残すべきですか。
- 再発リスク、事実の重大さ、反省・返還、他の職員への影響、配置できる職務等から判断します。残す場合は資金への権限を見直し、必要な処分・監督を行います。配置転換等も雇用契約上の条件を守り、決定理由を監事や理事会等へ説明できるようにしてください。
主な法令・参考資料
- 医療法
開設・管理者、医療安全、立入検査・監督、医療法人の役員資格・機関等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 民法
委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 労働基準法
16条の賠償予定の禁止、24条の賃金全額払い、労働時間・割増賃金、有期契約等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- 刑法
211条の業務上過失致死傷、証拠隠滅、秘密漏示等。成立要件と対象を区別。
https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045
- 厚生労働省:医療法人運営管理指導要綱
医療法人の機関運営、資産・会計・人事等の指導事項。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000548754.pdf
- e-Gov法令検索:労働契約法
15〜19条。懲戒・解雇、有期契約、無期転換、雇止め。
https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128 - 国税庁:貸倒損失として処理できる場合
No.5320。金銭債権の切捨て、全額回収不能等の要件。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5320.htm - e-Gov法令検索:法人税法
22条・34条。損益、役員給与の損金算入条件、過大・隠蔽仮装給与等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/340AC0000000034 - e-Gov法令検索:国税通則法
68条。隠蔽・仮装等と重加算税の要件。
https://laws.e-gov.go.jp/law/337AC0000000066