ホーム ─ 連載コラム ─ 病院・クリニック経営150講 ─ 第129講

『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第129講】

院長が認知症・脳卒中になったら ― 誰が病院と財産を動かすのか

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第129講 院長が認知症・脳卒中になったら― 誰が病院と財産を動かすのか

第ⅩⅢ部 相続・事業承継・院長の万一

院長が病気になったときは、診療を安全に続けられるか、法人の職務を担えるか、個人の財産について判断できるかを分けて考えます。認知症や脳卒中という病名、麻痺や言語障害だけで、すべての判断能力が失われるわけではありません。本人の意思を支えながら、診療と経営が止まらない体制を整えます。

この講では、診療、法人の機関、個人財産、持分、遺言への影響を整理します。後見・任意後見・信託が扱う財産管理と、法人の代表者・施設の管理者の権限は別です。病気になった後も利用できる手続と、元気なうちに本人の希望で準備することを区別します。

例えば、理事長は74歳、まだ週4日診療しています。半年前から、同じ患者に同じ説明を繰り返す、処方を間違えて看護師が気づく、理事会で前回決めたことを覚えていない、ということが続いています。
息子(副理事長)は妻に言いました。「父に診療をやめてもらいたい。でも、誰がそれを言う。そして、父が首を縦に振らなかったら、どうする」
その翌週、父は脳梗塞で倒れました。命は助かりましたが、右半身に麻痺が残り、言葉が出にくくなりました。理事長の印鑑と、持分と、遺言の話は、まだ何も済んでいませんでした。

1 五つの面で何が起きるか

面内容
診療

認知機能が低下した場合:診療内容と支障を具体的に評価し、危険があれば担当変更・診療の中止等を速やかに行う。法人の勤務上の対応、管理者の交代、行政への相談を検討する。免許に関する医師法4条・7条の手続を待たなければ安全確保ができないわけではない。

脳卒中等で療養が必要な場合:症状・回復状況に応じて診療を休止・制限し、代診・紹介を手配する。個人開設でも、知事の許可を得て別の適格な管理者を置く制度がある。休止・再開と管理者変更の手続を保健所に確認する。

法人の機関

認知機能が低下した場合:病名や後見開始だけで役員資格が一律に失われるわけではない。医療法46条の5第5項による46条の4第2項の準用と、施行規則所定の職務遂行能力の基準を確認する。理事長の解職・後任選出、理事の解任等は別途適法に行う。

脳卒中等で療養が必要な場合:病状、定款、代理・代表権の根拠を調べる。代行条項だけで代表権が当然に移るとは限らない。欠格・解任等で欠員が生じた場合は、一時役員・一時理事長の制度の要件も確認する。

個人の財産

認知機能が低下した場合:取引の内容ごとに本人の理解と意思、既存の代理権等を確認する。必要に応じて法定後見や、契約済みの任意後見の開始等を検討する。家族というだけで預金や不動産を自由に処分する権限はない。

脳卒中等で療養が必要な場合:本人の判断能力と意思表示を支援する。話す・書くことが難しい場合も、理解や判断まで失われているとは限らない。

持分

認知機能が低下した場合:必要な意思能力を欠く本人による処分は無効。後見人等による処分は、本人の意思・利益、代理権、利益相反等を踏まえる。家族の節税や承継の都合だけで高額な持分を無償放棄できる制度ではない。

脳卒中等で療養が必要な場合:症状と処分内容への理解を確認し、本人による判断が可能か、代理・支援が必要かを個別に検討する。

遺言

認知機能が低下した場合:作成時の遺言能力が必要で、後見人が代わりに遺言することはできない。成年被後見人が一時的に事理弁識能力を回復して遺言する場合には、民法973条の医師2人以上の立会い等の特則がある。

脳卒中等で療養が必要な場合:遺言能力があれば、言語障害等に応じた法定の方式を検討できる。公正証書遺言では通訳・自書等による方法もある。公証人に意思確認と作成方法を相談する。

設例では、脳梗塞後の身体症状と判断能力を分けて評価します。相続はまだ始まりませんが、必要な支援・代理や法人の交代手続まで止まるわけではありません。患者対応、法人の決裁、個人財産の管理を、それぞれ誰が担えるかを確認します。

2 その時点で使える手段と限界

手段内容
法定後見(成年後見・保佐・補助)

内容:判断能力の程度等に応じて家庭裁判所が後見・保佐・補助を開始し、適任者を選ぶ。成年後見人の財産管理・代理と、保佐人・補助人の同意権・取消権・審判で付与された代理権は同一ではない。

限界:申立人の希望どおりの人が選ばれるとは限らない。本人の意思・生活・財産を守る制度であり、家族への有利な財産移転が目的ではない。後見人等に就任しても、法人の理事長や管理者の職務を当然に代行できない。審理期間は個別に異なる。

任意後見

内容:本人が契約内容を理解できる時期に、任意後見受任者と公正証書で契約する。判断能力が不十分となり、家庭裁判所が任意後見監督人を選任すると効力が生じる。

限界:契約で定めた代理権に基づく制度で、後見人に一般的な取消権はない。監督人選任前には任意後見人としての権限は発生しない。法人代表権や医療行為への包括的な同意権が当然に付与されるものでもない。

家族信託

内容:信託契約等で特定の財産を受託者に託し、目的・権限に従って管理・処分する。誰を受益者とし、何を管理するか、監督、受託者の交代・終了時の帰属を定める。

限界:契約には必要な意思能力が要る。信託した財産の範囲外や、本人の身上保護全般を当然にカバーしない。社員資格・理事長の職務は財産の信託と別で、持分を扱う場合も定款・処分可能性・税務等を個別に検討する。

理事会による交代

内容:理事長を解職し、新理事長を選出する。本人の同意は不要(理事会の決議)。

限界:招集、定足数、決議要件、特別利害関係を確認する。解職対象の理事長がその解職議案に当然に投票できるとは限らない。理事長の解職と理事そのものの解任は別の手続。

管理者の変更

内容:適格な医師等を後任管理者として確保し、開設形態に応じた許可・変更届等を行う。管理者の変更と開設者の変更は区別する。

限界:個人開設者が管理者となれる場合は自己管理が原則だが、医療法12条1項ただし書の知事許可により他の者に管理させる制度がある。管理者の資格・勤務要件、許可・変更届等を保健所と確認する。

本人による新たな契約・遺言には、その行為に必要な能力が要ります。一方、法定後見の利用、契約済みの任意後見の開始、既存信託による管理、法人の適法な役員交代等は、それぞれの条件で進められます。財産管理の制度だけで診療・代表者の問題がすべて解決するわけではありません。

3 本人の意思を確かめながら準備すること

院長の判断能力喪失に備えて

  1. 遺言 第122講。持分・事業用資産・土地建物の承継先、遺言執行者。
  2. 任意後見契約 公正証書で受任者と代理権の範囲を定める。預金・不動産管理や医療・介護の契約等を具体化し、発効前の対応も検討する。医療行為そのものへの同意と契約の代理は別。
  3. 家族信託 本人の希望と必要な管理に応じて対象財産、受託者、受益者、管理・処分の条件を定める。自宅や預金をすべて託すことが当然の選択ではない。法人との取引における利益相反や税務も検討する。
  4. 持分の処理 保有継続・譲渡・持分なし移行を、本人の希望、必要な生活資金、税、他の権利者への影響から比較する。能力低下を理由に放棄や贈与を急がせない。
  5. 法人の機関 後任候補と適格性、招集・選任・欠員時の手続、代表権と銀行届出を整える。副理事長という肩書や家族内の合意だけに依存しない。
  6. 理事長交代の時期 本人の希望と職務の状況を踏まえて協議する。理事長・理事・管理者・診療医それぞれの役割を分けて判断する。
  7. 診療体制を見直す基準 具体的な診療上の支障、健康状態、担当業務を定期的に評価し、相談相手と対応手順を決める。年齢だけで診療能力を判断せず、患者の安全に必要な制限・支援・引継ぎを行う。
  8. 情報の一覧と職員への指示書 第121講。
  9. 医療・介護の意思 望む治療・療養場所、意思を伝えにくくなった際に相談してほしい人を話し合い、記録・共有して見直す。家族の指定だけで医療同意の法定代理権が生じるわけではない。

4 冒頭の事案 ― 脳梗塞の後に何ができるか

父に麻痺や言語障害があっても、内容を理解し意思を示せる場合があります。意思疎通を支える方法を整え、治療・回復と本人の負担に配慮しながら、必要な事項を順に検討します。

  • 判断能力と意思の確認 主治医の所見を参考に、取引内容の理解、意思の一貫性、説明への応答を確認する。法律上の意思能力・遺言能力は行為ごとに判断し、医師の一言だけで全取引の有効性を決めない。
  • 遺言 本人が作成を望む場合、遺言能力と利用できる方式を公証人等に相談する。出張の可否や意思表示の方法を調整する。診療安全・必要な生活費の確保との優先順位も考える。
  • 任意後見・信託 内容を理解して契約できるかを確認する。任意後見契約は公正証書が必要。家族信託は一律に公正証書が法定要件ではなく、信託の内容・方式・登記等を別途検討する。
  • 理事長の交代 後任の資格・就任意思を確認し、適法な理事会の決議と必要な登記・届出を行う。本人の退任意思を確認できない場合も、解職等の手続を検討する。
  • 持分 本人の能力・意思、他の権利者、税・資金負担と工程を確認する。本人の同意があるだけで、法人の定款変更や税の特例が完了するわけではない。
  • 管理者の変更 後任の資格・勤務体制を確認し、開設形態に応じた許可・届出等を行う。法人の理事長交代だけで管理者も交代したことにはならない。
  • 診療の休止・制限と引継ぎ 患者への危険を防ぐ体制を確保する。将来の復帰は症状・職務遂行能力・勤務体制等を評価して判断し、病名だけで一律に終了と決めない。

認知症でも脳卒中でも、状態と行為の内容によって判断能力は異なります。「倒れた後が最後の機会」と決めつけて署名を急がせず、意思決定支援、適切な代理、法人の交代手続を組み合わせます。

5 診療をやめてもらう ― 誰が、どう言うか

診療を続けたいという本人の希望に配慮しつつ、患者への危険には速やかに対応します。必要な情報を共有し、具体的な診療行為と安全に担える役割を検討します。

  • 相談相手 本人が信頼する医師・主治医等と相談する。家族より同業者の言葉が必ず届くと決めつけず、意思疎通を支える人を選ぶ。
  • 伝え方と対応 懸念のある具体的事実と、安全確保のために必要な対応を説明する。管理者を退けば診療を安全に続けられるとは限らず、監督下の診療も含め、職務ごとの能力とリスクを評価する。
  • 職員の役割 処方の誤りに気づいた看護師が、院長に直接言えない場合、誰に言うか(副理事長、事務長、医療安全管理責任者)を決めておく。気づいた事実を記録する。
  • 患者の安全 危険があれば、必要な診療制限・担当変更・患者の紹介等を直ちに検討する。理事長の解職、管理者の変更、雇用上の対応はそれぞれ権限と手続を確認し、行政にも相談する。

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 財産管理・医療介護・法人運営それぞれに必要な備えを整理し、本人の意思に基づいて方式・権限を整える
  • 定款の理事長職務代行の定めと、理事会が交代を決議できる構成かを確認する
  • 「診療をやめるべきときは言ってほしい」と頼む相手を決め、家族の前で約束する
  • 持分の内容と選択肢を整理し、本人が理解し選べる時期に希望を確かめる

やってはいけないこと

  • 「まだ大丈夫」を、判断能力の問題が出てから言い続ける
  • 本人の意思・有効な代理権を確認せずに、家族が署名・押印して契約を進める。遺言を本人に代わって作る
  • 後見人が家族の希望どおりに法人の承継や無償の財産処分を進めてくれると考える
  • 処方の誤りに気づいた職員の報告を、放置する

7 よくある質問

父が認知症になった後、母が父の印鑑で法人の書類に署名しています。
まず、書類の内容、本人の意思、代理権、署名・押印の経緯を確認します。家族が書いた書類すべてが無効・犯罪になるわけではありませんが、無権限の作成や本人の意思に反する処理は、無権代理や文書偽造等の問題になり得ます。新たな処理を止めて権限を整理し、必要な本人保護と法人の交代手続を進めてください。
成年後見人がつけば、後見人が持分放棄に同意してくれますか。
本人の意思・利益を踏まえた財産管理が必要であり、家族の節税・承継の希望だけで価値のある持分を無償放棄することはできません。ただし、あらゆる処分が法律上一律に不可能なわけでもありません。権利の内容、対価、本人の利益、代理権・利益相反と必要な手続を個別に検討します。家庭裁判所に一般的な「持分放棄の許可」を求めれば解決する制度ではありません。
任意後見と家族信託は、両方必要ですか。
必ず両方が必要なわけではありません。任意後見は、監督人の選任後、契約で定めた範囲の財産管理・医療介護契約等を代理する制度です。信託は特定財産を目的に沿って管理する制度で、本人の身上保護全般を担うものではありません。対象財産、受任者・受託者、費用、監督と終了まで比較します。いずれも法人の代表権を当然に移す制度ではありません。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    開設・管理者、医療安全、立入検査・監督、医療法人の役員資格・機関等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 医師法

    診療録の記載・保存(24条)等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201

  3. 民法

    委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  4. 厚生労働省掲載:身寄りがない人等への支援に関するガイドライン

    研究班作成、2019年5月。医療の意思決定支援、成年後見人の役割、保証人がいない場合の支援。

    https://www.mhlw.go.jp/content/000516181.pdf
  5. e-Gov法令検索:医療法施行規則

    附則57条の2等。認定医療法人の運営要件・手続。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323M40000100050
  6. e-Gov法令検索:任意後見契約に関する法律

    公正証書による契約、監督人選任と代理権。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/411AC0000000150
  7. e-Gov法令検索:信託法

    信託の設定、受託者の権限・義務等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/418AC0000000108
  8. 裁判所:成年後見制度

    後見・保佐・補助、任意後見の手続。

    https://www.courts.go.jp/saiban/koukenp00/index.html

病院・クリニック経営150講 目次へ戻る