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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第25講】

賃料を上げる・出ていけと言われた ― 移転困難なクリニックの賃貸借紛争

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第25講 賃料を上げる・出ていけと言われた― 移転困難なクリニックの賃貸借紛争

第Ⅲ部 不動産・開業コンサル・取引業者

クリニックの移転には、内装や機器、患者の通院、開設や保険医療機関の指定に関する手続を考える必要があります。そのため、賃料や明渡しの交渉では、契約上の権利と移転の現実的な負担の両方を把握することが大切です。

増額や明渡しを求められても、通知に書かれた条件がそのまま通るとは限りません。一方、有効な賃料増額請求は、合意がなくても相当額の範囲で効力を生じます。また、明渡しには普通借家の更新拒絶、定期借家の満了、債務不履行解除などがあり、必要な要件は異なります。この講では、契約の種類と請求の理由を分けて対応を考えます。

例えば、開業から12年目に「来月から月額35万円増額する」という内容証明が届いたとします。院長は応じられないと伝え、従前額を送金しましたが、貸主から返金されました。その後の支払や供託の対応は、まだしていません。
「増額分を払わないと解除されるのか。返金された分はどうするのか」——この二つは、分けて考える必要があります。

1 賃料を増額すると言われたら

(1)どういうときに増額できるのか

借地借家法32条では、公租公課等の負担、土地・建物の価格や経済事情、近隣同種の賃料との比較によって現在の賃料が不相当となった場合、将来に向かう増減請求を認めています。貸主の希望額がそのまま通るのではありません。契約時からの事情、前回の改定、比較物件の条件などを確認します。通知に資料が添付されていないだけで、請求が当然に無効になるわけではありません。

一定期間の不増額特約があれば、その定めに従います(32条1項ただし書)。また、有効な定期借家で賃料改定の特約がある場合は、38条9項により32条が適用されません。まず契約の種類と改定条項を確認してください。以下の相当額の支払や年1割の利息は、32条が適用される場合の説明です。

32条の増額請求は、法的な要件を満たせば、相手に意思表示が到達した時以降の指定時点から、客観的に相当な額の範囲で効力を生じます。合意や判決があるまで一切増額されない、という制度ではありません。増額幅を争っている間の支払方法は、次の特則によります。

(2)払わなければ解除されるのか

32条が適用され、増額について協議が調わない場合、増額を正当とする裁判が確定するまでは、借主は相当と認める額を支払えば足ります(同条2項)。従前額を払い続ける対応が一般的ですが、任意の少額でよいわけではありません。有効な増額合意や32条を適用しない定期借家の特約がある場合などは、別の検討が必要です。

ただし、裁判で増額が正当と認められた場合には、既に支払った額に不足があるときは、その不足額に年1割の割合による支払期後の利息を付して支払う必要があります(同項ただし書)。争っている間の未払分には、後からこの利息が乗るということです。長期化すれば負担は小さくありません。

貸主が受領を拒んだ場合は、適切な弁済の提供をしたうえで、要件を満たす弁済供託を検討します(民法493条・494条)。単に「払うつもりだった」と言ったり、自分の口座に資金を残したりするだけでは支払に代わりません。供託額や手続を確認し、毎月の支払期にも対応してください。

(3)話し合いがつかないとき

賃料増減額の訴えは、原則として先に調停を行う調停前置の対象です(民事調停法24条の2)。先に訴えを提起した場合も、裁判所が調停に付するのが原則です。調停では、双方の資料をもとに調停委員会が間に入るため、近隣の賃料相場、公租公課の推移、契約時からの経緯といった客観的な資料をどれだけ用意できるかが結果を左右します。

2 出ていってほしいと言われたら

建物の建替え、売却、貸主の自己使用など、明渡しを求められる理由はさまざまです。ここで確認すべきは、契約の型です。

普通借家の更新拒絶や貸主からの解約申入れには、正当事由が必要です(借地借家法28条)。双方の使用の必要性、これまでの経過、利用状況・現況、立退料の申出等を総合して判断します。期間の定めがある普通借家の更新拒絶は、原則として満了の1年前から6か月前までの通知が必要です(26条)。期間の定めがない場合の解約申入れは、原則として6か月の期間と正当事由が必要になります(27・28条)。

賃料滞納などを理由とする債務不履行解除は、更新拒絶や解約申入れとは別です。28条の正当事由が必要な場面と混同せず、違反の内容や信頼関係への影響を確認します。満了後の使用継続と貸主の異議の有無によって、法定更新が問題になる場合もあります(26条2項)。

有効な定期借家は期間満了で終了し、正当事由は不要です。ただし、事前説明等の要件と、1年以上の契約に必要な終了通知を確認します。通知が遅れれば、原則として通知から6か月間は満了による終了を対抗できません(38条6項)。詳しくは第23講で扱います。

移転困難性は、交渉における事実の強み

正当事由の判断で「借主が建物の使用を必要とする事情」が考慮される以上、クリニックの移転の難しさは、そのまま主張の材料になります。具体的には次のような事情です。

  • 内装・設備への投資額と、その回収状況。
  • 診療圏に根ざした患者との関係。移転距離、交通手段、患者の年齢や状態による通院への影響。
  • 移転に伴う行政手続と、その所要期間。
  • 移転先の候補が、診療圏の中に現実に存在するか。
  • 移転までの休診期間と、その間の収入と職員の雇用。

これらは立退料を協議する際の資料にもなります。ただし、計算した費用の全額を当然に請求できるわけではありません。立退料は正当事由を補う要素であり、支払の申出だけで必ず明渡しが認められるものでもありません。費用の見積りと、診療を継続する必要性の資料を合わせて準備します。

3 やってはいけない対応

賃貸借の紛争で、借主が自ら立場を悪くしてしまう典型があります。

賃料の支払を止めること。滞納は解除の原因になり得ます。32条が適用される増額争いでは、相当と認める額の支払を継続し、受領拒否なら供託等に対応します。契約上の増額合意や定期借家の特約がある場合は、従前額でよいかを別に確認します。

感情的なやり取りを重ねること。事実、相手の請求、こちらの回答を分け、書面やメールで記録に残してください。関係悪化だけで法的な結論が決まるわけではありませんが、協議を難しくするおそれがあります。

患者を交渉の圧力として巻き込むこと。未確定の紛争を一方的に掲示したり、署名を強く求めたりすると、不安を招くおそれがあります。一方、移転や休診が具体化した場合は、診療継続に必要な情報を適切な時期に患者・職員へ伝えます。説明を一切しないという意味ではありません。

期限を過ぎてから相談すること。更新拒絶の通知にも、増額の請求にも、対応の時期があります。手元に届いた書面の日付を確認し、早い段階でご相談ください。

4 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 契約書で、普通借家か定期借家か、不増額の特約があるかを確認する
  • 賃料改定の条項と、これまでの改定の経緯を書き出す
  • 移転する場合の費用(内装・機器移設・行政手続・休診期間の損失)を概算する
  • 近隣の賃料相場の資料を集めておく

やってはいけないこと

  • 増額に納得できないからといって、賃料の支払を止める
  • 受領を拒まれた状態を放置する(供託などの手当てを検討してください)
  • 口頭のやり取りだけで交渉を進める
  • 患者に交渉への協力を強く求めたり、未確定の情報を断定して伝えたりする

5 よくある質問

増額に応じないと、契約を解除されますか。
借地借家法32条が適用される増額争いでは、裁判確定まで相当と認める額の支払で足り、増額要求に応じないことだけで直ちに解除となるわけではありません。ただし、増額の合意や同法38条9項の特約がある場合などは別です。受領拒否への対応も含め、契約と支払状況を確認してください。
調停を申し立てられました。出席しないとどうなりますか。
正当な理由なく呼出しに応じない場合、5万円以下の過料の対象になり得ます(民事調停法34条)。欠席だけで相手の請求が当然に認められるわけではありませんが、反論の機会を失いかねません。出席できなければ早めに裁判所へ連絡してください。調停に代わる決定が出た場合は、告知を受けた日から2週間という異議期間にも注意が必要です(同法18条)。
立退料はどのくらい請求できますか。
立退料に一律の相場や、見積額全額を請求できる一般的な権利があるわけではありません。移転・内装・機器再設置、休診の損失等を整理し、正当事由をめぐる事情や合意条件とともに検討します。有効な定期借家の満了や債務不履行解除は、普通借家の更新拒絶等と分けて考えてください。
建物を買った新しい所有者から、明渡しを求められました。
建物の引渡し等による対抗力があれば、通常の売買では新所有者にも賃貸借を主張できるのが原則です。普通借家の更新拒絶等には正当事由が必要で、所有者交代だけで退去義務が生じるわけではありません。ただし、先順位抵当権の実行による競売等は別です。登記、契約、明渡しを求める根拠を確認してください。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・公的資料

  1. 民法

    契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  2. e-Gov法令検索:借地借家法

    建物賃貸借の更新・解約申入れ・借賃増減請求等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/403AC0000000090
  3. e-Gov法令検索:民事調停法

    18条・24条の2・34条。異議期間、調停前置、不出頭。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC1000000222

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