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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第65講】

診療を断ることはできるのか ― 応招義務と迷惑患者

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第65講 診療を断ることはできるのか― 応招義務と迷惑患者

第Ⅶ部 患者対応・クレーム・応招義務

第61講・第62講で、患者の行為がカスタマーハラスメントに当たる場合の体制と初動を見てきました。この講は、その先——診療を断るという最終手段が、法律上どこまで許されるのか——を扱います。

応招義務は無条件の診療を求めるものではありません。ただし、「迷惑な患者だから」という評価だけでは断れません。緊急性、診療を引き受けている状況、具体的な行為と安全への影響、診療を続ける別の方法を確認します。警告書や転医先の案内は大切ですが、それだけで拒否が適法になるわけでもありません。

第62講の続きです。看護師の腕をつかんだ患者の息子に、院長は書面で警告しました。それでも翌週、その家族はまた来院し、受付で30分怒鳴りました。
院長は決めました。「もう、この家族の診療はお断りする」。
そして、次に考えました。母親の患者本人は高齢で、定期の処方を受けている。断るとして、どうやって断ればいいのか。

1 応招義務とは何か ― 二つの義務

診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではなりません(医師法19条1項)。これが応招義務です。令和元年12月25日の厚生労働省通知(医政発1225第4号)は、この義務の性質を、医師が国に対して負う公法上の義務であって、患者に対する私法上の義務ではないと整理しました。あわせて、医療機関には、正当な理由なく診療を拒まないという責務があることも確認されています。

応招義務が公法上の義務でも、医療機関の民事責任がなくなるわけではありません。診療契約上の義務違反や不法行為の要件を満たす場合には、民法415条・709条等に基づく責任が問題となります。損害、因果関係、帰責事由又は故意・過失などを含めて個別に判断され、診療しなかったことだけで当然に賠償責任が成立するわけではありません。

2 通知が示した判断の枠組み

通知は、診療しないことが正当化されるかどうかについて、最も重要な考慮要素は、患者に緊急対応が必要かどうか(病状の深刻度)だとしたうえで、診療時間内か否か、患者と医療機関の信頼関係、を重要な要素として挙げています。整理すると次のようになります。

緊急対応が必要緊急対応が不要
診療時間内・勤務時間内専門性・診察能力・設備・他の医療機関による対応の可能性を勘案しても、事実上診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化される。最も厳しい基準。原則として診療に応じる。専門性や設備、患者との信頼関係等を総合して、診療しないことが正当化される場合がある。他院の紹介だけで常に正当化されるわけではない。
診療時間外・勤務時間外通知は、応急的な処置が望ましいが、診療時間外・勤務時間外は原則として公法上・私法上の責任に問われないと整理している。ただし、既に引き受けた診療や当直・救急担当等の義務まで免除する趣旨ではない。通知の一般的な整理では、即時対応は不要で診療時間内の受診を案内する。継続中の診療や個別の契約等に基づく対応義務がある場合は別に検討する。

そのうえで、通知は個別の類型についても考え方を示しています。本講に関わるのは次の三つです。

  • 患者の迷惑行為。診療・療養等において生じた迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合(例:診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続ける等)には、新たな診療を行わないことが正当化される。
  • 医療費の不払い。過去の未払いだけで拒否しない。緊急対応が不要で、支払能力があるのに悪意をもって支払わない場合は、診療しないことが正当化され得る。資力や事情を調べず悪意と決めつけない。
  • 差別的な取扱い。特定の感染症にかかっていること等を理由に、必要な感染防止策を講じることなく一律に診療を拒むことは、正当化されない。

3 「新たな診療を行わない」の意味 ― 継続中の患者にどう対応するか

通知の文言は「新たな診療を行わないことが正当化される」です。ここに、実務上の重要な含みがあります。すでに診療を継続している患者について、治療を途中で打ち切ることと、新たな診療を受け付けないこととは、同じではありません。

冒頭の例では、迷惑行為の主体は家族です。まず患者本人と家族を分け、安全に診療を続ける方法を検討します。同伴者の変更、当該家族の同席制限、連絡窓口の変更などで対応できないかを確認し、そのうえで転医の必要性を判断します。

緊急性の確認。患者の現在の状態と、治療の中断による影響を医師が評価します。必要な診察・処方、応急処置、他院との連携などを検討しますが、転医先が決まるまで無条件に薬を出し続けるという意味ではありません。医師法20条に留意し、診察なしの処方や医学的に不適切な継続を避けます。

転医の案内。診療の継続が困難と判断した場合は、その理由を説明し、患者の病状と希望に応じて紹介や診療情報の提供を行います。必要な治療の継続に受入先との調整が欠かせない場合もあり、「転医先を探す義務は一切ない」とは言い切れません。患者に必要な支援を個別に検討します。

書面での通知。診療を継続できない旨、その理由(迷惑行為の事実と警告の経過)、転医の案内、緊急時の対応を、書面にして渡す。口頭ではなく書面であることが、後の争いで効きます。

本人の意向を確認する。家族の言動だけで本人との信頼関係まで失われたと決めず、本人が受診を続けたいか、別の付き添いや連絡方法を選べるかを確認します。説明や意思確認に支援が必要な場合は、その方法も調整します。

4 断る判断の正当性を支えるもの ― 記録と警告

第61講・第62講で繰り返してきたことが、ここで結実します。「信頼関係が喪失している」という評価は、院長の感覚ではなく、記録された事実によって示されます。日時・発言・行為・対応者の記録。院長名の警告書。それでも改まらなかった経過。

記録と警告は有用ですが、そろえば必ず拒否できるというものではありません。また、何週間も記録を集めなければ危険に対応できないわけでもありません。一度の重大な暴力でも速やかな判断が必要です。行為の重大性、病状、安全確保の方法を確認し、その時点で得られた事情と判断理由を残してください。

5 断り方の実務

項目内容
誰が伝えるか医師が診療上の必要性を判断し、管理者等の責任で決定する。説明は内容に応じて責任者、担当職員、弁護士等が分担できる。受付職員だけに判断や危険な対応を押し付けない。
何を伝えるか当院での診療を継続できないこと、その理由(事実と経過)、転医の案内、緊急時の対応(救急医療機関の案内)。
どう伝えるか書面で。対面で渡す場合は複数で対応し、記録する。郵送なら配達の記録が残る方法で。
その後来院した場合の対応(受付での案内文、退去要請)を職員に周知する。緊急の症状を訴えて来院した場合は、緊急性を判断し、必要な対応(応急処置・救急搬送の手配)は行う。
記録通知書の写し、渡した日時と方法、その後の来院・連絡の記録を保管する。

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 診療を断ることを検討する場合は、具体的な行為、病状、安全対策、記録と警告の経過を確認する
  • 緊急性の有無と、継続中の治療の扱い(処方の空白を作らない)を確認する
  • 転医先の案内と診療情報提供書の準備をする
  • 通知書の文面を、書面で用意する

やってはいけないこと

  • 記録も警告もなく、感情的に「もう診ない」と告げる
  • 緊急性のある患者に、迷惑行為を理由に応急対応まで拒む
  • 継続中の治療を、転医の案内なしに突然打ち切る
  • 受付職員だけに拒否の判断や危険な説明を押し付ける
  • 特定の疾患や属性を理由に、一律に診療を拒む

7 よくある質問

迷惑行為を繰り返す患者を、今日から断ってよいですか。
緊急性、継続中の診療、具体的な行為、安全を確保する代替手段を確認して判断します。信頼関係が失われた非緊急の場面では、新たな診療を行わないことが正当化され得ます。記録と警告は有用ですが、一定期間の蓄積は一律の要件ではありません。重大な暴力に対して、警告を繰り返すために職員を危険にさらす必要はありません。
断った患者が「救急で来た」と言って来院しました。
まず医師が緊急性を判断します。診療時間内・勤務時間内の緊急対応では、通知は事実上診療が不可能な場合に限り診療しないことが正当化されるという厳しい基準を示しています。時間外でも当直・継続中の診療等の事情を確認し、安全確保と並行して、可能な応急対応や救急搬送の手配を行います。
医療費を払わない患者を断れますか。
過去の未払いだけでは断れません。緊急性がなく、支払能力があるのに悪意をもって支払わない場合には、診療しないことが正当化され得ます。督促への反応だけで資力や悪意を決めず、支払困難の事情、相談・支援の必要性、継続中の治療も確認してください(第66講)。
診療を断ったことで訴えられる可能性はありますか。
提訴される可能性はあります。責任が認められるかは、診療契約等の義務、拒否の理由、損害と因果関係などの要件によります。緊急性と治療継続への影響を確認し、安全対策、説明、必要な転医支援、判断の記録を行うことが重要です。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医師法

    免許処分、応招義務、異状死体等の届出(21条)、診療録(24条)。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201

  2. 民法

    契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  3. 厚生労働省:応招義務と診療の求めへの対応

    令和元年12月25日医政発1225第4号。緊急性、診療体制、患者の迷惑行為等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf

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