『退職・競業・営業秘密29講 ― 「辞めた社員」と「持ち出された情報」の教科書 ―』【第3講】
就業規則・誓約書・個別契約 ― どの文書で何を守るのか
第Ⅰ部 退職紛争の地図 ─ 明徳法律事務所
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「うちには就業規則があるから大丈夫」「入社時に誓約書を取っている」。しかし、退職紛争が起きたときに、その文書が実際に使えるかどうかは、どの文書に、どの義務が、どの時点で、どのように書かれているかによって決まります。文書の種類ごとの役割と限界を整理します。
就業規則は、合理的な労働条件を定め、かつ労働者に周知されている場合、原則として労働契約の内容となります(労契法7条)。在職中の秘密保持・競業に関するルール、情報機器の利用、私物端末の業務利用、退職時の返還手続、退職金の不支給・減額事由などは、就業規則や付属規程に定めることが考えられます。ただし、適用範囲、個別合意、内容の合理性等により効果は異なり、「周知されていれば全従業員を一律に拘束する」と単純化することはできません。
ただし、就業規則には限界があります。第一に、退職後の競業避止義務を就業規則だけで根拠づけることについては、職業選択の自由との関係から、規定内容・周知状況・労働者の地位等を踏まえて慎重に判断されます。第二に、就業規則の不利益変更には労契法10条の合理性・周知等が問題となり、退職後の競業避止義務を後から追加したからといって、既存従業員に当然に有効となるわけではありません。
誓約書(秘密保持誓約書・競業避止誓約書)は、従業員との個別合意を示す重要な資料です。退職後の秘密保持義務・競業避止義務については、就業規則だけでなく、対象・期間・範囲等を具体化した個別合意を得ておくことが実務上有用です。入社時、重要情報に接する異動・配属時、退職時など、必要性に応じたタイミングで確認します(第26講)。
誓約書の実務上の問題は、①対象が抽象的で、従業員から見て何が秘密か分かりにくい、②退職時には新たな署名を拒否されることがある、③競業避止条項が広すぎると無効となり得る、という点です。「業務上知り得た一切の情報」といった広い秘密保持条項があることだけで秘密管理性が当然に否定されるわけではありませんが、他の管理措置と併せても秘密情報の範囲を認識できない状態であれば、秘密管理性の立証は弱くなります。
取締役と会社の関係は原則として委任であり、通常は労働者としての就業規則・労契法上の義務とは別の枠組みで判断されます。ただし、従業員兼務取締役など、実態に応じて労働者性が認められる場合があります。取締役の秘密保持・退任後の競業避止については、会社法上の義務に加え、役員委任契約や退任時合意の整備を検討します(第9講)。重要な技術者や営業幹部についても、保護すべき利益と制約の程度に応じて、個別の競業避止合意や代償措置を設計します(第8講)。
| 守りたいもの | 主な文書 | 補足 |
| 在職中の秘密保持・競業避止 | 就業規則 | 労契法上の誠実義務等も問題となる |
| 退職後の秘密保持 | 誓約書(入社時・退職時) | 秘密の特定が鍵 |
| 退職後の競業避止 | 誓約書または個別契約 | 範囲の限定と代償措置 |
| 役員の義務 | 役員委任契約・退任合意書 | 会社法356条は在任中のみ |
| 退職金の不支給・減額 | 就業規則(退職金規程) | 規程上の根拠・合理性・周知が重要 |
| 情報機器・私物端末の扱い | 就業規則・情報管理規程 | 貸与端末等の調査ルールを明確化 |
文書は「揃っている」だけでは足りない
裁判で問われるのは、文書の存在ではなく、①その文書が従業員に周知され、署名されていたこと、②文書の内容が有効な範囲に収まっていること、③文書に基づく運用(教育・管理・返還確認)が実際に行われていたこと、です。10年前に作った誓約書のひな形を、内容を確認しないまま使い続けている会社は少なくありません(第28講)。
実務ポイント
・在職中のルールは就業規則等、退職後の義務は個別合意を含めた根拠を整え、取締役は会社法上の義務と役員契約を区別して設計する。
・広範な秘密保持条項だけに依存せず、秘密情報の範囲を従業員が認識できる管理措置を組み合わせる。
・文書の存在だけでなく、周知・合意・内容の合理性・実際の運用を総合して確認する。
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