第38講 「名前だけ院長になって」― 名義貸し・雇われ院長の危険
第Ⅳ部 医師の採用・退職・独立
第9講では、適法な管理医師の起用と違法な名義貸しの境界線を、開業の段階で整理しました。この講は、その先——すでに名前を貸してしまった医師のための各論です。何の責任を負っているのか、どこから危ないのか、どうやって抜けるのか。
「名前だけ」と説明されても、管理者の法的な義務がなくなるわけではありません。一方、院内の出来事すべてについて自動的に賠償や処分を受けるわけでもありません。何を管理すべき立場で、実際に何ができ、どのように対応していたかを整理します。
例えば、次のような場面を考えてみてください。「先生は週に一度、顔を出してくださるだけで結構です。診療は他の医師が回しますし、経営はこちらでやりますから」
月額の報酬は、常勤の給与に迫る額でした。医師は引き受け、半年が過ぎました。
ある日、地方厚生局から個別指導の通知が届きます。宛名は管理者である自分。指導の対象は、自分が一度も診ていない患者の、自分が知らない請求でした。
1 管理者は何を負っているのか
病院・診療所の管理者には、医師その他の従業者を監督し、施設の管理・運営に必要な注意をする義務があります(医療法15条1項)。自分が直接診療していない患者の対応も、管理体制の問題になり得ます。医療安全や診療録、職員の連携について、実際に把握し是正できる仕組みが必要です。
ここから、責任は三つの方向に広がります。
行政上の責任。施設で不適切な診療や請求があれば、行政の目は管理者に向きます。医師法は、医師としての品位を損するような行為があった場合などに、戒告・医業停止・免許取消の処分を定めています(医師法7条)。名義貸しの構造に加担していたと評価されれば、処分の対象になり得ます。
保険診療上の責任。管理者には、適正な保険診療・請求、施設基準の届出等を監督する責務があります(健康保険法70条の2)。責務を怠った不正・不当請求等は、機関の指定や本人の保険医登録の取消しにつながる場合があります。ただし、単に管理者だっただけで当然に取消しになるわけではなく、法定の要件と実際の監督状況等を確認します。
民事上の責任。患者への損害について、管理者個人の監督義務違反と因果関係等が認められれば、賠償責任を負う場合があります。開設者の責任と管理者個人の責任は区別します。賠償責任保険は、個人・施設のどちらを対象とし、管理業務が補償されるかも確認してください。
2 どこから危ないのか ― 兆候
「名前だけ」の状態は、最初から明白なわけではありません。以下のような兆候があれば、自分の立場を見直してください。
- 医療の管理に必要な権限がない。人員配置や医療安全上の問題を指摘しても是正できず、必要な情報にもアクセスできない状態は危険です。すべての採用・料金・設備投資を管理者一人で決められないというだけで、名義貸しになるわけではありません。
- 請求の内容を見せてもらえない。レセプトの内容、算定している加算、施設基準の届出。管理者が把握していない請求が行われている状態は、それ自体が危険信号です。
- 診療録や請求の名義が実態と違う。自分が担当していない診療について、自分を担当医として記録・請求していないかを確認します。単に管理者名が書類に表示される場合と、実際の診療者を偽る場合を区別してください。
- 非医師の経営担当者が医学的判断を押し切る。診療の適否や処方を売上だけで指示し、医師が必要な判断・是正をできない状態は問題です。経営上の提案や事務管理への関与を、すべて禁止する趣旨ではありません。
- 退任の相談に具体的な回答がない。後任の確保や引継ぎについて協議すること自体は不適切ではありません。ただし、期限も示さず名義だけを残すよう求められたり、違法な状態への関与を続けるよう迫られたりしたら、早急に対応が必要です。
3 抜けるとき ― 順番を間違えないこと
名義貸しの状態にあると気づいたとき、二つの失敗があります。ひとつは「今さら抜けられない」と現状を続けること。もうひとつは、感情に任せて即日離脱すること。どちらも、傷を深くします。
まず、現状を記録する。役割分担、勤務実態、指摘した問題、是正を求めた日と回答を整理します。電子メール等は適法な範囲で保全し、証拠確保を理由に患者情報を私物端末へ大量に持ち出さないでください。必要資料の保全方法は弁護士と相談します。
退任の意思と対象を明確にする。管理者・理事・雇用のどの立場を、いつ終了させるかを整理して開設者へ通知します。管理者として加えられた理事は管理者退任に伴い失職しますが、理事単独の辞任に伴う権利義務の継続は別に確認します。雇用・委託の終了条件も確認してください(第37講)。
引継ぎと是正を並行する。患者への影響を抑える期間・業務を協議しますが、その間も違法・危険な行為を続けてよいわけではありません。管理の実態を確保できない、又は重大な危険がある場合は、期間満了を待たず、保健所等と相談して診療制限・停止を含む対応を検討します。無期限に名義だけを残さないでください。
行政への連絡を先送りしない。保健所と地方厚生局に、現在の管理体制と退任予定、必要な是正を相談します。変更届は原則として開設者が行いますが、届出がされない場合は、本人からも通知の到達記録等を示して相談してください。届出上の名前と、契約・役員の退任の効力は別に確認します。弁護士への相談と患者の安全確保は並行して進めます。
4 引き受ける前に戻れるなら
引き受ける前には、医療の管理に必要な権限、情報へのアクセス、問題を是正する手順、勤務体制を確認してください。開設者と管理者の役割を、書面でも明らかにします。そのうえで、例えば次の質問をします。
「請求の内容を、毎月、私が確認する体制になっていますか」
請求の確認方法や疑義への対応者が曖昧なら、体制を整えてから就任を判断します。毎月確認すると約束しただけでは足りません。医療安全や従業者の監督も含め、自分が責務を果たせる体制かを確かめてください。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 自分が管理者を務める施設について、直近のレセプトの内容と施設基準の届出を確認する
- 医療の管理に必要な権限・情報、是正要求と回答を、日付つきで記録する
- 医師賠償責任保険の契約内容(自分が関与していない診療の扱い)を確認する
- 退任の効力・届出・患者対応を弁護士と整理し、安全確保や行政への連絡を遅らせない
やってはいけないこと
- 「今さら抜けられない」と現状を続ける
- 感情に任せて即日離脱する(患者・行政との関係で別の問題を生みます)
- 実際の診療者と異なる名義での記録や請求を黙認する
- 「知らなかった」で済むと考える
6 よくある質問
- 週1回しか行っていませんが、それでも管理者としての責任を負うのですか。
- 管理者に就任している以上、監督等の義務があります。週1回しか行かないというだけで免責されることはなく、勤務体制と管理の実態を確認する必要があります。ただし、個々の損害賠償や行政処分の結論は、義務違反の内容や関与・監督状況等によって判断されます。
- 名義貸しだったと認めると、自分も処分されませんか。
- 処分の可能性はあり、退任しても在任中の責任がなくなるわけではありません。関与の内容、監督状況、認識、是正対応等を正確に整理します。記録を改変したり、説明を口裏合わせしたりせず、患者対応と是正を進めてください。早く退任すれば必ず処分が軽くなる、という保証はありません。
- 開設者が「辞めるなら損害賠償を請求する」と言っています。
- 請求すると言われただけで、無期限に残る義務は生じません。ただし、契約違反や不利な時期の委任終了等について賠償が問題となることはあり、終了の根拠、やむを得ない事情、損害と因果関係を分けて検討します。通知と経緯を記録し、違法な状態を続けないための是正・退任手続を相談してください。
主な法令・参考資料
- 医療法
社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 厚生労働省:保険医療機関の管理者の要件・責務
臨床研修修了時期による経験要件、勤務要件、代替要件、経過措置。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_70739.html
- e-Gov法令検索:医師法
7条(行政処分)、17条(無資格者の医業の禁止)。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201 - e-Gov法令検索:健康保険法
64条、70条の2、80・81条。保険医登録と管理者の責務等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/211AC0000000070