『税理士法人・社労士法人の内部紛争30講 ― 共同経営「解消」の教科書 ―』【第13講】
「のれん」の値段
― 評価の減額と、事業承継の対価を分けて計算する ―
顧問契約を継続して報酬を得られる見込みは、法人の価値を考えるうえで重要です。ただし、年間報酬そのものが資産になるわけではありません。担当者が辞めても法人に残る収益力と、その担当者が今後働くことで初めて生まれる収益を区別する必要があります。
持分払戻しと顧客の移転が重なる場面では、①脱退時に法人にどれだけ価値があるか、②法人から脱退社員に何を有償で承継させるか、③顧客がどの契約先を選ぶか、を分けて検討します。顧客が移ったという事実だけから、法人の承継対価請求権が当然に発生することはありません。
1 のれんの算入は、評価の目的と対象から考える
会社法611条2項が基準とするのは、脱退時の法人財産の状況です。簿外の価値を検討する出発点はここにありますが、「時価評価だから売上の一定倍を必ず加える」という規定ではありません。定款の払戻条項、法人に帰属する収益力、事業を継続する条件を順に確認します。
第12講の医療法人に関する東京高裁平成7年6月14日判決は、継続を前提とする評価を考える参照例です。しかし、医療法人の定款解釈から、士業法人ののれんの算入額まで決まるわけではありません。また、最高裁平成22年7月16日判決は医療法人の出資持分の贈与税評価の事件であり、社員の民事上の払戻請求額と同じ問題ではありません。
本講では、のれんの価値を「法人に残る顧客関係・組織・名称等から期待される収益」として検討します。個人にしか維持できない関係、脱退者の将来の労務、既に失われることが具体化した契約は、法人に残る価値と同じ条件で評価できません。価値が残る部分と失われる部分を、契約・人員・収益予測で説明することが必要です。
2 評価方法とM&A価格の使い方
収益から考えるときは、過去の売上ではなく、必要経費と適正な資格者・職員の人件費を控除した収益を出発点にします。代表社員が低報酬で働いていた場合、そのままの利益を将来利益に置くと過大評価になります。顧客の継続率、報酬単価、担当者依存、顧客集中、引継ぎに必要な期間を反映します。
超過収益を別途評価して修正純資産に加える方法と、将来キャッシュフローから事業全体を評価する方法は、計算の対象が異なります。事業全体をDCF法で評価した金額に、同じ収益力から求めたのれんを再び加えてはいけません。評価額から債務を控除する位置も統一します。
M&Aの公表価格は比較資料になります。ただし、売上倍率で表される金額が、顧客基盤だけの対価なのか、事業譲渡対価なのか、現預金・借入れを含む持分全体の対価なのかを確認します。買い手との相乗効果や売り手の引継ぎ勤務の対価も切り分けます。税理士業界向けの記事を社労士法人に一律に転用しません。具体的な公表資料との照合は第27講に示します。
3 共通の設例 ― 評価額と手元資金は別
以下は計算構造を説明する設例です。社員A・Bの出資・損益分配割合はいずれも2分の1、定款に特別の払戻制限はないものとします。のれん以外の修正純資産は2,000万円、事業全体ののれんを合意で3,000万円と評価し、Aへ有償承継する事業部分の価値を1,200万円とします。これらは裁判所が採用する倍率や評価額を示す数字ではありません。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| のれん以外の修正純資産 | 2,000万円 |
| のれん | 3,000万円 |
| 調整前の法人価値 V | 5,000万円 |
| Aの持分割合 p | 50% |
| 調整前の払戻額 P=V×p | 2,500万円 |
| 合意で有償承継する事業部分 T | 1,200万円 |
2,000万円は純資産の評価額であり、預金残高ではありません。現金でいくら支払えるかは別の資金繰り表で確認します。以下の比較は税金・取引費用・借入費用を除いた価値の配分です。
4 1,300万円と1,900万円は、前提の違う計算
A 有償承継を払戻しの一部に充てる合意。調整前の払戻額2,500万円を確定し、そのうち1,200万円を合意した事業の承継によって履行するなら、現金部分は2,500−1,200=1,300万円です。法人価値は5,000−1,200−1,300=2,500万円となり、Aには現金1,300万円と承継事業1,200万円が配分されます。会社法611条3項は金銭による払戻しを認める規定であり、法人が一方的に顧客を現物払いできる根拠ではありません。代物弁済等の合意と、対象財産・契約の移転手続が必要です。
B 別途の有償譲渡と相殺。法人からAへの払戻債務2,500万円と、Aから法人への事業承継対価1,200万円を別々に合意し、相殺するなら、差額の現金は同じく1,300万円です。移転前の法人価値で払戻額を計算し、譲渡対価債権と承継事業の価値を重複して控除しないことが要点です。
C 価値が法人に残らないことを評価に反映するだけの場合。基準日時点で1,200万円の価値が法人に残らないと評価し、有償譲渡も対価債権もないとするなら、法人価値は5,000−1,200=3,800万円、払戻額は3,800×50%=1,900万円です。この計算から、別の根拠なしに現金を1,300万円へ減らすことはできません。Aが独立後に得る顧客関係が、そのまま法人から移した財産に当たるかも別問題です。
| 構成 | 現金計算 | 現金 |
|---|---|---|
| 有償承継を払戻しの一部として履行 | 5,000×50%−1,200 | 1,300万円 |
| 別途の有償譲渡債権と相殺 | 2,500−1,200 | 1,300万円 |
| 承継対価債権なし。基準日の法人価値を減額 | (5,000−1,200)×50% | 1,900万円 |
A・Bは価値をどう配分するかの合意、Cは基準日の評価の問題です。A・Bで現金を相殺しても、払戻しの税務上の金額が当然に差額だけになるわけではありません。源泉税の資金手当てと、事業譲渡側の課税も別途計算します(第17講)。
5 顧客の選択と条項の設計
承継対象の顧客名簿は、顧客の所有権を移す一覧ではありません。顧問契約上の地位の移転には相手方の承諾が必要であり(民法539条の2)、新たに契約を結ぶ場合も顧客の意思によります。法人とAの合意だけで顧客を拘束できません。委任・準委任の解除には民法651条・656条と契約条項の検討も必要です。
合意書では、対象となる事業・契約・データ、評価基準日、譲渡対価、顧客の承諾が得られない場合の調整、引継ぎの範囲、精算日を定めます。顧客ごとの年間報酬を使う場合も、単価だけでなく利益率や継続性の違いを反映します。回答しない顧客を自動的に承継に同意したものと扱いません。
「自分が開拓した顧客だ」という主張には、契約の当事者と貢献の評価を分けて答えます。開拓への貢献が既に報酬で評価済みかどうかは、実際の合意と支払を確認すべき事実です。また、のれんには組織に残る部分と個人に依存する部分があり、「のれんを全て入れるか全て外すか」の二者択一ではありません。
6 評価の争いと、基準日後の損害
評価が割れたら、まず双方の前提を同じ表に並べます。正常収益、人件費、顧客残存率、予測期間、割引率、資産・債務の範囲が違えば、結論だけを比べても合意できません。共同で評価者に依頼する場合は、その判断を拘束的とするか参考意見とするかも合意します。
基準日後の違法な顧客流出による損害賠償は、評価からの減額と別に検討します。ただし、同じ損失を二重に回収しないよう、法人に帰属する損害賠償債権の評価・払戻計算・相殺を一枚の計算表につなぎます。適法な顧客の移転については、合意がなければ承継対価を当然には請求できません。
会社法611条・622条/民法482条・505条・539条の2・651条・656条。医療法人判例の参照関係は第12講・第15講、M&A資料の対象と限界は第27講。