『税理士法人・社労士法人の内部紛争30講 ― 共同経営「解消」の教科書 ―』【第27講】
売る・継がせる
― M&A・親子承継と内部紛争の交差点 ―
大手の会計事務所グループへの売却話が、基本合意の直前まで進んでいました。ところが、そのタイミングで共同経営者が脱退を切り出し、主要な顧問先数社に独立の挨拶を始めた。買い手は「顧客基盤が固まるまで話は保留にしたい」と言い、売却話は事実上の破談。残った代表社員の手元には、痩せた法人と、脱退社員への払戻請求だけが残りました。
内部紛争とM&A・承継は、別々の主題に見えて、実務では絡み合って現れます。紛争が売却の引き金になることもあれば、売却の話が紛争の引き金になることもあり、紛争の存在が売却の値段と成否を直撃することもあります。第Ⅴ部の締めくくりとして、この交差点を残る側の視点から整理します。
1 内部紛争とM&Aの相互作用 ― 双方向に引き金を引き合う
まず、紛争がM&Aの引き金になる方向です。共同経営者に脱退され、後継の目算が立たなくなった代表社員が、外部への売却に舵を切る。あるいは、紛争で消耗し切った双方が、「第三者に売って、売却代金を分けて終わりにする」ことで初めて合意点を見つける。連載で見てきた紛争の出口として、売却は解散(第25講)と並ぶもうひとつの「畳み方」であり、清算より営業価値を残せる分、検討に値する選択肢です。
次に、逆方向。M&A・承継の話が紛争の引き金になる場合です。売却の条件――対価の分け方、売却後の処遇(買い手の下で勤務を続けるか)、どの顧客を連れて行けるか――をめぐって、それまで潜在的だった社員間の温度差が一気に表面化します。承継の場面でも同じで、代表社員が子を後継者として迎える方針を示した途端、非親族の社員が自分の処遇に見切りをつけて脱退を準備し始める、という展開は典型です。
そして三つ目の関係が、冒頭の設例です。紛争の存在がM&Aを壊す方向。買い手が士業法人に見ているのは、顧問先の質と継続性です。社員の脱退と顧客流出が進行中の法人は、買い手から見れば「買った瞬間に中身が減っていく箱」であり、値段が下がるだけでなく、取引自体が流れます。残る側が「いざとなれば売ればいい」という腹積もりでいるなら、その選択肢の値打ちは紛争の進行とともに日々目減りしていることを、先に知っておくべきです。
| 承継前の確認 | 価格・実行への影響 |
|---|---|
| 資格者と社員構成 | 加入・脱退・常駐の実行条件 |
| 顧客と人員 | 継続する収益と移管同意 |
| 債務・保証・係争 | 買い手の負担と解決条件 |
| 取引対象 | 持分か事業か、資産・債務・税・手数料の範囲 |
図1 内部紛争とM&A・承継の相互作用
2 社員の入替えによる承継 ― 加入前の債務への責任がデューデリの核心
士業法人には株式がありません。持分譲渡では会社法585条1項・4項の準用、定款の別段の定め、譲受人の資格を確認します。社員の加入・脱退による承継、合併、個別の事業譲渡等では効果が異なります。資格者体制と、どの法人が契約・債務を承継するかを先に決めます。
加入する側にとって最大の関門は、加入前に生じた法人の債務についても、社員として無限連帯責任を負うことです(会社法605条の準用)。株式会社の株主なら出資額までの責任で済みますが、合名会社型の社員はそうはいきません。過去の申告に潜む損害賠償リスク、簿外の債務、係争中の紛争――加入する者は、法人の過去を丸ごと背負います。だから、士業法人の承継のデューデリジェンスは、財務内容の確認にとどまらず、過誤の兆候、顧客とのトラブル、そして社員間の紛争の有無にまで踏み込みます。脱退した元社員との払戻紛争が残っていれば、それも「加入前の債務」として新社員の責任範囲に入り得るのです。
残る側の視点で言い換えると、こうなります。紛争を抱えた法人に後継社員を迎え入れることは、相手に紛争リスクを背負わせることを意味します。誠実な説明なしに加入させれば、後日それ自体が新たな紛争(説明義務違反の主張)の種になります。承継を進めたいなら、紛争は先に畳むか、少なくとも払戻額の上限を合意で固定して、後継者が背負うリスクを数字で示せる状態にしておくことです。
3 親族承継の紛争類型 ― 親子・兄弟・古参社員
親族への承継は、士業法人でも王道の選択肢ですが、紛争の型もはっきりしています。
親子共同代表の方針対立。子を社員に迎え、共同代表として並走する移行期に、経営方針(値上げ、クラウド化、人事)の対立が世代間対立と重なって先鋭化します。親側が「まだ譲らない」、子側が「いつまでも譲らないなら出る」となれば、構造は本連載の2名法人紛争そのものです。とりわけ税理士法人で親が高齢の場合、子の脱退は、親を「社員1人・6か月」の時計(第4講)と後継者不在の両方に直面させます。
兄弟間のデッドロック。社員2名では、出資が半分ずつでなくても、社員の過半数を要する業務決定で意見が割れれば決まりません。出資比率と人数による意思決定を混同せず、定款、役割分担、代表者、退社・払戻しの設計を整えます。
非親族の古参社員との緊張。長年法人を支えてきた非親族の社員より、後から加入した子が処遇で上に立つ。この瞬間に、古参社員の忠誠心は打算に変わり得ます。古参社員が顧客との関係を握っていれば、その脱退は第Ⅳ部型の顧客流出に直結します。親族承継を設計するときは、非親族社員の処遇――持分、報酬、肩書、そして「子の下では働けない」となった場合の円満な出口――を同じテーブルで設計しておかないと、承継の成功と引き換えに法人の中身を失います。
4 紛争を抱えたまま売れるか
紛争の存在は、買い手が取得する事業・持分、残る債務、顧客の継続性、解決条件の評価に影響します。必ず売れない、必ず特定割合だけ安くなるという結論ではありません。開示と契約条件を具体化して検討します。
士業法人の買収価格は、顧問先の質と継続性を源泉に組み立てられます。社員間の紛争は、この源泉を二重に毀損します。脱退予定の社員に付いて顧客が流出する見込みがあれば、その分は価格から直接差し引かれます。さらに、紛争の帰趨が読めないこと自体がリスクとして扱われ、価格の一部を後払いにして顧客の残存率で精算する条件(いわゆるアーンアウト型の設計)や、大幅なディスカウントを求められます。
加えて、売り手には紛争を開示する要請が働きます。M&Aの最終契約では、売り手が法人の状態について表明保証を求められるのが通常で、係属中・発生見込みの紛争はその典型項目です。脱退紛争を隠して売却し、後に発覚すれば、表明保証違反として補償請求や解除の問題になります。「黙って売り抜ける」は、出口ではなく次の紛争の入口です。
売却前に紛争を解決する方法、解決を実行条件とする方法、買い手の関与を得て一体で調整する方法等を比較します。相手の退社・払戻し、顧客の承諾、保証、資格者体制のうち何が実行条件かを明記します。
5 価格の物差しの二重性 ― 払戻額とM&A対価のギャップ
ここで、第12講・第13講で扱った持分払戻しの議論と、M&Aの値付けを、ひとつの座標に載せてみます。
船井総研あがたFASの2026年4月9日公表の記事「会計事務所のM&A相場|年間売上の1倍が基準?評価を分ける『単価50万』と『採用コスト』の正体」は、顧問料・決算料という安定報酬に対する0.8〜1.2倍を掲げています。他方、同日公表の「税理士事務所M&A相場の正体|譲渡価格を最大化する評価基準と仲介手数料の仕組み」は、年間顧問料収入の0.5〜1.5倍と説明しています。いずれも仲介事業者による価格説明で、成約全件を集計した統一的な相場や裁判所の評価基準ではありません。
両記事には譲渡価格・譲渡対価とのれんという語が用いられていますが、個別取引で現預金、債務、設備、運転資金等をどこまで含めるかは記事の倍率だけでは決まりません。したがって、0.8〜1.2倍を「営業権だけの確定価格」として純資産に加えません。比較するなら、持分か事業か、対象資産・債務、売り手の引継ぎ勤務、税金・手数料、顧客継続条件をそろえます。社労士法人にも同じ倍率を転用せず、実際の利益・契約継続・担当体制から評価します。M&A価格を持分払戻額の当然の上限とすることもできません。
6 最高の紛争予防は、承継の道筋を早く描くこと
承継は、年齢にかかわらず、社員の退出と法人の継続を準備する課題です。業界の高齢化から内部紛争が必ず増えると推論せず、候補者、必要資格、加入時の責任、対価の負担、古参社員との処遇を具体化します。
順序を逆にしてください。紛争が起きてから出口として承継を探すのではなく、承継の道筋を先に描いておくことが、紛争の芽を摘みます。誰が継ぐのか、継がないなら売るのか、そのとき各社員の持分はいくらで清算されるのか。この問いに答えが用意されている法人では、社員の脱退は「設計された出口のひとつ」になり、答えのない法人では、同じ脱退が「すべてを賭けた消耗戦」になります。その設計を平時の定款と社員間契約に書き込む方法が、次の第Ⅵ部の主題です。
残る側の視点で押さえておくこと
内部紛争とM&A・承継は双方向に引き金を引き合い、紛争の進行は「いざとなれば売る」という選択肢の値打ちを日々削ります。士業法人の承継は社員の入替えの形を取り、加入者は加入前の債務に無限連帯責任を負うため、紛争の存在はデューデリの核心になります。売るなら先に紛争を畳むのが定石で、合意脱退・払戻額の固定・不勧誘をセットにしてからクロージングへ進みます。M&Aの想定対価は、持分払戻交渉の現実的な枠を示す市場の物差しとして使えます。そして、承継の道筋を早く描くことが、結局は最も安上がりな紛争予防です。
【本講で引用した主な法令・資料】会社法605条・585条1項(税理士法48条の21・社会保険労務士法25条の25による準用)/税理士法48条の18第2項/日本税理士会連合会「第7回税理士実態調査」(令和6年4月実施)/会計事務所M&Aの営業権の目安(船井総合研究所等の仲介実務における説明。法的基準ではない)
【価格資料の特定】船井総研あがたFAS「会計事務所のM&A相場|年間売上の1倍が基準?評価を分ける『単価50万』と『採用コスト』の正体」2026年4月9日・第1節/同「税理士事務所M&A相場の正体|譲渡価格を最大化する評価基準と仲介手数料の仕組み」同日・第1節・FAQ。参照対象は税理士事務所・会計事務所。個別取引の純粋なのれん額と同一とはしない。