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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第62講】

暴言・暴力・長時間居座り ― 悪質患者からスタッフを守る

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第62講 暴言・暴力・長時間居座り― 悪質患者からスタッフを守る

第Ⅶ部 患者対応・クレーム・応招義務

暴力や脅迫が起きたら、職員と患者の安全を確保します。ただし、滞在が長い、声が大きいというだけで悪質な行為と決めないことも大切です。病状、認知機能、意思疎通の困難などを確認し、必要な医療対応と安全対策を並行します。使用者の安全配慮義務は、2026年10月の新たな措置義務の施行前から存在します(労働契約法5条)。

この講では、暴力や脅迫が起きたその場での行動、警察への連絡、記録、被害職員の支援を整理します。診療を続けるかどうかは、その場の危険への対応とは分けて、第65講の基準に沿って判断します。

例えば、「お前の説明が悪いから、うちの母親が悪くなったんだ」
患者の息子は、診察室の机を叩き、看護師の腕をつかみました。時計は19時を回り、他の患者はもういません。院長は110番するべきか迷いました。通報すれば、この家族との関係は終わる。しかし、看護師は震えています。
迷っている間に、息子はまた怒鳴り始めました。

1 原則 ― 職員の安全は、患者との関係より優先する

最初に、判断の順序を固定しておきます。職員の身体の安全が脅かされている場面で、その患者との関係を考慮して対応を遅らせることは、使用者として許されません。冒頭の院長が迷った「通報すれば関係が終わる」という考えは、看護師の腕がつかまれた時点で、優先順位から外れています。

この原則を職員に事前に伝えておくことが、体制の核です。「危険を感じたら、院長の判断を待たずに110番してよい」——この一言があるかないかで、職員の安全も、職員の院長への信頼も、まったく変わります。

2 行為の類型と、その場での対応

行為その場での対応法的な位置づけ
暴力
(殴る・つかむ・物を投げる)
職員や周囲の患者を退避させ、急迫した危険には110番。負傷者の救護を行い、安全確保後に写真などを保存する。危険を冒して撮影しない。暴行・傷害・器物損壊等に当たり得る。事故や病状による行動と区別しつつ、危険があれば刑事責任の判断を待たず助けを求める。
暴言・威嚇
(怒鳴る・脅す)
複数で対応し、記録(可能なら録音)。「大声を出されると対応できません」と静かに伝える。「殺す」「家に行く」など危害の告知があれば110番。脅迫・強要に当たり得る。反復すれば、応招義務との関係で信頼関係の喪失を示す事情になる(第65講)。
長時間の居座り緊急の医療対応が必要でないか確認し、苦情対応を区切る理由と退去の意思を明確に伝える。退去しない場合は状況を記録して警察に相談し、危険が迫れば110番する。正当な退去要求に応じない行為は不退去罪の問題になり得る(刑法130条)。長時間いたというだけで成立するものではなく、診療の必要性や滞在の経緯も確認する。
繰り返しの電話・来院窓口を決めて記録し、既に説明済みの同じ要求には回答を区切る。新しい症状や事情、正当な申入れまで遮断しない。内容、手段、頻度、業務への影響によっては業務妨害等の問題になる。連絡回数だけで犯罪と決めない。

3 警察を呼ぶ判断

「警察を呼ぶのは大げさではないか」という迷いは、ほぼすべての院長が持ちます。判断の基準を三つに絞ります。

暴行や差し迫った危険があれば、直ちに助けを求める。殴る、強くつかむ、物を投げるなどで安全が脅かされている場面では、院長の許可を待たず110番できるようにします。偶然の接触まで一律に通報対象とはせず、せん妄等が疑われる場合は医療上の対応も並行してください。

具体的な危害の告知は軽視しない。「殺す」「刺す」などの発言や、武器、接近する動きがあれば退避し、緊急の対応を要するときは110番します。必要な制止も安全確保に必要な範囲にとどめ、職員だけで無理に押さえ込んだり引きずり出したりしないでください。

退去を求めても帰らないときは、警察に状況を伝える。差し迫った危険がなければ警察署への相談が考えられますが、暴力がまだなくても危険が迫っているなら110番です。緊急性、発言、行動、退去を求めた経緯を具体的に説明します。

通報は安全確保のために判断し、患者との関係を理由に遅らせないでください。ただし、通報したことや暴力があったことだけで、その後のすべての診療を拒めるわけではありません。患者の状態、行為者が本人か家族か、診療を続ける安全な方法があるかを別に検討します。

4 記録 ― その場で、複数で、客観的に

記録は、何が起き、どう判断したかを後から確認するために残します。記録していることが抑止につながる場合もありますが、その場で撮影や記録を優先して危険を増やしてはいけません。安全確保と救護を先に行い、落ち着いてから関係者の説明も確認します。

  • 日時・場所・発言・行為・対応者を、対応した職員がその日のうちに記録する。評価や感情は書かず、発言はできるだけそのまま。
  • 対応を記録するための録音は、相手に告げなかったことだけで直ちに違法とはなりません。ただし、業務目的なら無制限に許されるわけでもありません。必要な範囲と方法を選び、患者情報や他の患者の会話を保護します。安全上支障がなければ録音を伝え、利用目的、保存期間、閲覧者を管理します。
  • 防犯カメラの映像は、日数が経つと上書きされる。事案が起きたら、当日中に保存する。
  • 被害職員の状態(負傷、精神的な影響)を記録し、必要なら受診させる。労災の対象になり得ます。

5 対応した職員を守る ― 事後の配慮

悪質な行為に対応した職員は、その場を切り抜けた後にも影響が残ります。措置義務の中の「被害者への配慮」は、ここで効いてきます。対応した職員から状況を聞き、負担を認め、必要なら担当を変える、休ませる。次にその患者が来院したときに、同じ職員に対応させない。「よく対応した」とねぎらうことと、「次も頼む」と言わないことを、両立させてください。

職員が精神的な不調をきたした場合、それは業務上の事由による疾病として労災の問題になり得ます。また、対応の体制が不十分だったことで職員が被害を受けた場合、使用者の安全配慮義務違反として責任を問われることもあります。体制を整えることは、患者対策であると同時に、使用者自身を守ることです。

6 その後 ― 警告と診療継続の判断へ

その場の対応が終わった後、院長が判断すべきことは二つです。警告するか、そして診療を継続するか。

警告は、第61講で述べたとおり、院長名の書面で、方針と今後の対応を伝えるものです。暴力や危害の告知があった場合には、警告を経ずに診療継続の判断に進むこともあります。

暴力や脅迫等は、診療の基礎となる信頼関係が失われたかを判断する重要な事情です。しかし、令和元年通知は「警告と記録があれば拒否できる」という基準ではありません。緊急性、継続中の治療、代替手段などを検討します。家族の行為を患者本人の責任にそのまま置き換えてはいけません(第65講)。

保存版 悪質な行為が起きたときの対応手順

【その場で】

  1. 暴行や具体的な脅迫などで緊急の対応が必要なら、院長の許可を待たず110番する。
  2. 職員を退避させ、対応は複数で行う。一人にしない。
  3. 退去要請は医療上の必要性も確認し、理由と意思を明確に伝えて記録する。
  4. 録音・防犯カメラの記録を確保する。

【その日のうちに】

  1. 日時・場所・発言・行為・対応者を、対応した職員が記録する。
  2. 被害職員の状態を確認し、必要なら受診させる。翌日以降の担当を変える。
  3. 防犯カメラの映像を保存する。
  4. 警察に通報・相談した場合、担当者名と相談番号を控える。

【数日以内に】

  1. 警告書の要否と内容を決める(院長名、方針、今後の対応)。
  2. 診療継続の判断を、緊急性・信頼関係・記録の観点から検討する(第65講)。
  3. 対応手順に不足があれば、見直して職員に周知する。

7 よくある質問

110番したら、その患者に逆恨みされませんか。
逆恨みが心配でも、差し迫った危険への対応を遅らせないでください。通報後の接近や嫌がらせのおそれも警察に伝え、連絡窓口、職員の帰宅時の安全、個人の連絡先を明かさない運用などを検討します。通報や相談をしただけで安全が保証されるわけではありません。
患者に無断で録音してよいのですか。
告知しなかっただけで直ちに違法とはなりませんが、目的・方法・必要性や他の患者の情報に配慮が必要です。安全上支障がなければ録音する旨を伝え、保存先と閲覧者を管理します。私的端末への放置や、必要のない共有は避けてください。
暴力をふるった患者の家族が、翌日「本人は反省している。診療を続けてほしい」と言ってきました。
医師が病状と診療上の必要性を確認し、管理者等が安全な体制を検討します。担当変更、複数対応、同伴者の調整、問題行為への警告などが考えられます。再発時は安全確保や通報を行いますが、直ちにすべての医療対応を打ち切ると約束することはできません。被害職員を無理に同じ対応に戻さないことも重要です。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医師法

    免許処分、応招義務、異状死体等の届出(21条)、診療録(24条)。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201

  2. 刑法

    証拠隠滅、秘密漏示、窃盗・横領。成立要件と対象を区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045

  3. 個人情報保護法

    個人データの取扱い、委託、仮名加工情報・匿名加工情報の区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057

  4. e-Gov法令検索:労働契約法

    16〜19条。解雇、有期契約、無期転換、雇止め。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
  5. 個人情報保護委員会・厚生労働省:医療・介護ガイダンス

    診療情報の取扱い、漏えい等の報告、第三者提供。

    https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/
  6. 厚生労働省:応招義務と診療の求めへの対応

    令和元年12月25日医政発1225第4号。緊急性、診療体制、患者の迷惑行為等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000581246.pdf
  7. 厚生労働省:カスタマーハラスメント指針(令和8年厚生労働省告示第51号)

    2026年10月1日施行。定義、判断要素、事業主の措置、合理的配慮等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf

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