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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第77講】

インフォームド・コンセントの「説明した・聞いていない」紛争

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第77講 インフォームド・コンセントの「説明した・聞いていない」紛争

第Ⅷ部 医療事故・紛争対応

「説明した」「聞いていない」——医療紛争では、説明をめぐって認識が食い違うことがあります。診療行為そのものに過失がなくても、説明義務違反が別に問題になる場合があります。まず大切なのは、患者が治療を理解し、選択できるようにすることです。

この講では、最高裁判例を踏まえて説明義務の内容を確認し、同意書と診療録に何を残すかを整理します。説明は書類を整えるだけの手続ではありません。病状、治療の選択肢、患者の希望を医療者と患者が共有する過程です。

例えば、手術の後、合併症が生じました。患者は言います。「そんなリスクは聞いていない」。
担当医は言います。「説明しました。同意書にもサインをもらっています」。
同意書には、確かに患者の署名があります。しかし、書かれているのは定型の文言だけで、この患者に何をどう説明したかは、どこにも残っていませんでした。

1 説明義務とは何か ― 判例の枠組み

最高裁は、手術にあたり、特別の事情のない限り、診断(病名と病状)、予定する手術の内容と危険性、選択可能な他の治療法の内容と利害得失、予後などを説明する診療契約上の義務があるとしています(最判平成13年11月27日・民集55巻6号1154頁)。説明の具体的な範囲は、病状、治療の性質、緊急性などを踏まえて考えます。

この判決は、当時まだ医療水準として確立していなかった乳房温存療法についても、一定の条件のもとで説明義務を認めました。実施例が相当数あり、積極的な評価もあり、患者に適応する可能性があり、患者の強い関心を医師が知っていた、という事情などを踏まえた判断です。知る範囲で、適応の可能性や実施医療機関の名称・所在を説明すべきとしました。患者が関心を示しただけで、あらゆる未確立の治療を説明したり、実施したりする義務が生じるという判決ではありません。

最判平成12年2月29日(民集54巻2号582頁)は、宗教上の理由から明確に輸血を拒否する患者に、救命に必要なら輸血するという病院の方針を伝えず、手術中に輸血した事案です。最高裁は、その病院で手術を受けるかを患者が決める機会を奪ったとして、人格権侵害による精神的損害の賠償を認めました。説明義務違反があれば身体的な結果についても当然に全額賠償となる、という意味ではありません。

2 同意書と診療録 ― 内容を合わせて確かめる

同意書の署名だけで、説明も同意も十分だったと決まるわけではありません。一方、同意書の具体的な記載は、何を説明したかの証拠にもなります。文書の内容、説明の経緯、診療録、患者の理解や反応などを合わせて評価します。

同意書の状態紛争での評価
定型文のみ・署名あり定型文も説明内容を示す資料になるが、その患者に必要な説明を尽くしたかは別の問題。署名だけで理解や自由な同意が保証されるわけではない。
個別の記載あり・署名あり個別のリスク、選択肢、質問と回答が記載されていれば、説明内容を確かめやすい。ただし、実際の説明と一致していることが必要。
同意書なし・カルテに説明記載あり診療録の説明内容と患者の反応も証拠になる。ただし、法令や診療上の取扱いで書面の同意等が必要な場合は、所定の手続を省略しない。
同意書あり・カルテに記載なし同意書の内容に応じて説明の証拠になるが、口頭での補足や患者の質問が分からない場合がある。診療録等にも必要な経過を残す。

大切なのは、説明を実際に行い、その内容と患者の意思を正確に残すことです。同意書と診療録のどちらかが常に優先するわけではありません。両者を合わせて経過が分かるようにしてください。

3 記録に残すべきもの

説明した内容と患者の意思を、診療録や説明記録に残します。次は、判例を踏まえた実務上の確認事項です。治療ごとに同じ文量を要求するものではありません。

  • 診断——病名と病状を、どのように伝えたか。
  • 治療の内容——予定する治療の内容と、目的。
  • リスク——起こり得る重大な不利益や、この患者に固有のリスクを、重要性・起こる可能性等に応じて説明する。一般的な合併症の説明だけで、医療事故調査制度上の「当該死亡の予期」が認められるわけではない(第74講)。
  • 代替の選択肢と予後——他の治療法や、治療しない場合を含めた見通しについて、病状に応じて何を説明したか。
  • 患者の反応——質問の内容、懸念、関心事。「患者は○○について強い関心を示した」という記載は、判例の枠組みに直結する。
  • 同席者——家族の同席の有無と、誰が同席したか。
  • 説明の日時と説明者。

この記録は、紛争のためだけのものではありません。次に診る医師が「この患者は何を理解し、何を懸念しているか」を把握するための記録であり、診療の質そのものです。

4 説明の場の設計

記録以前に、説明の場そのものを設計することが、紛争の予防になります。

時間を確保する。説明に必要な時間は、治療の内容、患者の理解、緊急性によって異なります。「何分なら十分」という一律の基準はありません。予定する侵襲的な治療では、鎮静等で判断しにくくなる前に説明し、質問や検討の時間を設けます。

説明文書を使う。治療ごとに、内容・リスク・代替を記載した説明文書を用意し、それに沿って説明し、患者に渡す。渡した文書の写しを記録に残す。定型の文書に、患者固有の事項を手書きで加えれば、個別性も記録に残ります。

理解を支える。患者の希望に応じて、家族や支援者の同席、通訳、読みやすい資料などを用意します。判断能力のある成人では本人の意思が基本です。家族への情報共有や同席を一律に必須とせず、本人の同意とプライバシーに配慮します(第68講)。

患者の質問を引き出す。気になる点や希望を尋ね、必要に応じて、治療の目的やリスクを患者自身の言葉で確かめます。質問への回答、理解を確かめた方法、最終的な意思を記録します。特定の問いかけをしただけで、理解を確認できたことにはなりません。

記録方法も相談する。患者が録音を希望する場合は、目的、第三者の情報、院内の取扱いを説明し、理解を支える方法を検討します(第63講)。録音の有無にかかわらず、明確で誠実な説明を行ってください。

5 「説明した・聞いていない」が起きたとき

認識の食い違いが生じたら、同意書、説明文書、診療録、看護記録、録音等を保全し、関係者から事情を聴きます。記録と記憶を区別し、食い違う点もそのまま整理します。記録が乏しいと確認が難しくなりますが、それだけで説明の有無や責任が決まるわけではありません。

紛争後も、必要な追記・訂正を一律に禁じるものではありません。原記録を残し、追記した現在の日時、担当者、対象となる診療の日時、理由と根拠を明示します。事後に思い出した内容は、その旨を区別して記録してください。当時から書かれていたように日付を戻したり、普段の説明を当日の事実として補ったりしてはいけません(第72講)。

保存版 説明の記録チェックリスト(侵襲のある治療ごとに)

  1. 診断(病名・病状)をどう伝えたか。
  2. 予定する治療の内容と目的。
  3. 一般的なリスクと、この患者に特有のリスク。
  4. 代替の選択肢(治療しない選択を含む)と、その利害得失。
  5. 予後。
  6. 患者の質問・懸念・関心事と、それへの回答。
  7. 使用した説明文書と、患者に渡したか。
  8. 同席者。
  9. 説明の日時・説明者・所要時間。
  10. 同意の意思表示(同意書の署名、口頭の同意の記録)。

この一覧は、判例の説明項目を参考に、実務で必要な記録を加えたものです。すべてが一律の法定要件というわけではありません。病状、選択肢、緊急性、患者の関心に応じて説明と記録を整えます。

6 よくある質問

すべての診療で、ここまでの記録が必要ですか。
必要な説明と記録の詳しさは、治療の侵襲性、リスク、選択肢、患者の状況によって変わります。日常の処方でも重大な副作用や個別の注意が問題になる場合があります。治療の名称だけで説明を省かず、患者の質問や懸念、重要な判断を記録してください。
説明文書を渡していれば、カルテへの記載は不要ですか。
文書の内容と交付の記録は証拠になります。ただし、口頭で補足した事項、患者の質問と回答、意思決定の経過も必要です。渡した版の写しを保管し、文書にない重要なやり取りを診療録等に残してください。
患者が説明を理解していないように見えます。それでも同意書に署名すれば足りますか。
署名だけで十分とはいえません。理解を妨げている事情を確かめ、説明方法、通訳や支援者の同席、時間の確保等を検討します。判断能力が十分でない場合や救命を急ぐ場合は、病状と緊急性に応じた対応が必要です。家族の署名だけで常に解決するものでも、緊急の治療を形式的な署名のために遅らせるものでもありません(第68講)。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 厚生労働省:診療情報の提供等に関する指針

    遺族への情報提供、開示手続、非開示、記録の訂正等。

    https://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/06/s0623-15m.html
  3. 最高裁平成13年11月27日判決(乳房温存療法)

    平成10年(オ)第576号。手術に関する説明事項と、医療水準として未確立の療法の説明義務。

    https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-52226.pdf
  4. 最高裁平成12年2月29日判決(輸血拒否)

    平成10年(オ)第1081号。病院の輸血方針の説明と、手術を受けるかどうかの意思決定。

    https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-52218.pdf

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