第1講第Ⅰ部 基礎編――立ち退き要求の正体を知る
「出て行ってください」と言われた日に読む、立ち退きの全体地図
紙一枚で権利は消えない。三つの関門と、最初の一週間にすること
この講の結論
貸主から「建物を取り壊すので○月末までに退去してください」という通知が届いても、その一枚で賃貸借契約は終わりません。普通の建物賃貸借では、貸主が契約を終わらせるには借地借家法28条の「正当の事由」が必要で、正当事由の有無は、貸主と借主のどちらがその建物を必要としているかを軸に、契約の経過、建物の利用状況と現況、そして立退料の申出を合わせて判断されます。立ち退き問題は、①契約のタイプ、②正当事由の強さ、③立退料の額という三つの関門を順に通る構造になっており、結論の大半は裁判所ではなく、通知が届いてからの数週間の対応で決まります。署名しない、口頭で承諾しない、賃料は払い続ける、この三つを守ったうえで、契約書と通知を手元に揃えるところから始めてください。
その通知で、契約は終わっていない
ある日、大家さんや管理会社、あるいは名前を聞いたことのない不動産会社から封書が届きます。「建物が老朽化したため取り壊すことになりました。○月末日までに退去をお願いします」。美容室でも、飲食店でも、会社の事務所でも、長く住んできた自宅でも、この文面はほとんど同じです。
最初に確かめておきたいのは、この通知の法律上の意味です。建物の賃貸借には借地借家法が適用され、借主に契約違反がない場合に貸主の側から契約を終わらせる方法は、二つしかありません。期間の定めがある契約について、期間満了の1年前から6か月前までの間に「更新しない」と通知する方法(借地借家法26条1項)と、期間の定めがない契約について解約を申し入れ、6か月の経過を待つ方法(27条1項)です。そしてどちらの方法についても、貸主の側から行うときは、「正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない」と定められています(28条)。借主の契約違反を理由とする解除は、これとは別の枠組みで、別の法理によって制約されます(第12講)。
28条は、正当事由の有無を判断するときに考慮する事情を、条文の中に書き込んでいます。貸主と借主(転借人を含みます)が建物の使用を必要とする事情のほか、賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況、建物の現況、そして貸主が明渡しの条件として、または明渡しと引換えに財産上の給付をする旨の申出をした場合にはその申出、の五つです。最後の「財産上の給付の申出」が、実務で立退料と呼ばれているものです。
この仕組みは契約書で外すことができません。借地借家法30条は、26条から29条までの規定に反する特約で借主に不利なものを無効としています。「貸主が申し出たときは6か月後に退去する」「建替えのときは無条件で明け渡す」といった条項が契約書にあっても、正当事由の要求そのものを消すことはできないのです。通知の期限を過ぎて建物を使い続けたとしても、それだけで不法占拠になるわけではありません。貸主が期間満了後の使用継続に遅滞なく異議を述べなければ、契約は法定更新されます(26条2項・27条2項)。
もちろん、この保護がそのまま働くのは「普通の建物賃貸借」の場合です。定期建物賃貸借(38条)や一時使用目的の賃貸借(40条)、賃料を払っていない使用貸借では話が変わります。ですから、通知の中身を検討する前に、まず自分の契約がどのタイプかを確かめる必要があります。これが第一の関門です。
立ち退き問題は三つの関門でできている
立ち退きの相談は「出て行かなければならないのか」「いくらもらえるのか」という二つの質問から始まりますが、法律の側から見ると、答えは三つの関門を順に通った先にあります。順番を入れ替えることはできません。契約タイプの確認を飛ばして金額の話をすれば、定期借家だったと後で分かって交渉の前提が崩れますし、正当事由の吟味を飛ばして「相場」の話をすれば、本来は明渡しを拒める事案で安く手を打つことになります。
図1 立ち退き要求への対応――三つの関門
- 1第一の関門 契約タイプの確認(第2講)普通借家か、定期借家か、使用貸借か、一時使用か。契約書の題名ではなく、締結時の書面一式で判定する。定期借家なら、正当事由は不要で期間満了により終了する。ただし事前説明書面を欠くと「更新がない」という定めは無効になり、普通借家として扱われる(38条3項・5項)。
- 2第二の関門 手続と正当事由の吟味(第3講、第9〜12講、第14講)通知は期限内か。貸主の言い分は老朽化か、再開発か、自己使用か、それとも「契約違反」か。それぞれの言い分に対応した反論の型がある。正当事由が認められなければ、いくら立退料を積まれても明渡し義務は生じない。「契約違反だから0円」という主張には、信頼関係破壊の法理で反撃する。
- 3第三の関門 立退料の攻防(第4〜8講)移転実費、借家権価格、(事業なら)営業補償を、資料に基づいて積み上げる。「賃料の何か月分」という発想から離れる。住居と店舗では中身が違う。店舗は営業補償が主戦場になり、桁が変わる。
- 4出口 合意か、訴訟か(第15〜18講)交渉で合意すれば合意書を締結して退去する。まとまらなければ貸主が明渡訴訟を提起し、判決か、訴訟上の和解で終わる。合意書には金額以外の条件(明渡時期、原状回復の免除、敷金の清算、税務上の内訳)まで書き切る。
三つの関門は順に通る。前の関門で有利な事実が見つかれば、後の関門の条件がそのまま良くなる。
三つの関門は、それぞれ独立した論点であると同時に、互いに影響します。第一の関門で「定期借家のはずが、事前説明書面がなかった」という事実が見つかれば、正当事由と立退料の土俵に戻れます。第二の関門で「貸主の必要性は抽象的で、借主の営業は立地に強く依存している」という見立てが立てば、第三の関門での金額は大きく動きます。逆に、第二の関門で貸主の必要性が具体的で強ければ、借主側は「出るかどうか」ではなく「どういう条件で出るか」に早く軸足を移すほうが得策です。この見立てを最初につけることが、代理人の仕事の半分を占めます。
正当事由の天秤――立退料は「重り」であって「切符」ではない
28条の考慮要素のうち、判例と実務が一貫して中心に置いてきたのは、貸主と借主の双方が「建物の使用を必要とする事情」です。従前の経過、利用状況、建物の現況、立退料の申出は、この双方の必要性の比較を補う従たる要素と位置づけられています。
この構造を、最高裁は早い時期に明確にしています。最判昭和46年11月25日(民集25巻8号1343頁)は、立退料などの金員の提供は「それのみで正当事由の根拠となるものではなく、他の諸般の事情と綜合考慮され、相互に補充しあつて正当事由の判断の基礎となるもの」であると述べ、同時に、その金員が「明渡によつて借家人の被るべき損失のすべてを補償するに足りるものでなければならない理由はない」と判示しました。二つの命題は、借主側にとって表裏の意味を持ちます。前段からは、貸主側に使用の必要性が乏しければ、立退料をいくら積んでも明渡しは認められないという帰結が導かれます。後段からは、裁判所が認める立退料は借主の損失を全額補償する額とは限らない、という現実が導かれます。だからこそ、「出なくてよい事案」なのか「条件を争う事案」なのかの見立てを誤らないことが、金額の議論の前に来るのです。
図2 正当事由の天秤
- 生活の本拠であること、居住年数
- 営業の基盤であること、立地への依存
- 移転の困難(高齢、持病、通学・通院)
- 投下した内装・設備、常連客
- 建物の利用状況(適切に使ってきたか)
双方の皿が拮抗するとき、貸主側の皿に載せる「重り」が立退料(28条の財産上の給付の申出)。貸主側の皿がほとんど空なら、重りをいくら載せても天秤は動かない。
借主側の実務は、自分の皿に載せる事実を具体的に集めることから始まります。居住用であれば、居住年数、家族の通学・通院先、高齢や障害などの転居が難しい事情。事業用であれば、その場所での売上の推移、常連客の構成、投下した内装・設備の金額、移転すれば失われる許認可や取引先。これらの事実は、正当事由の成否を左右するだけでなく、第三の関門である立退料の額をそのまま押し上げます。同じ事実が二つの関門で使えるということです。
数字で見る、いまの裁判所の判断
「結局、裁判になったら出て行くことになるのではないか」という不安に対しては、公的な調査があります。法務省が外部機関に委託して令和7年3月にまとめ、同年10月に公表した「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」は、令和元年5月から令和6年3月までの間に正当事由の判断が行われた建物賃貸借の裁判例137件を分析しています。
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| 項目 | 数値 | 読み方 |
|---|---|---|
| 分析対象の裁判例 | 137件(令和元年5月〜令和6年3月) | 正当事由の判断が行われた建物賃貸借の事案 |
| 正当事由が認められ明渡しが認められた件数 | 73件(約53.3%) | 半数近くの事案で、貸主の請求は退けられている |
| 明渡しが認められた73件のうち居住用(併用を含む) | 26件(約35.6%) | 明渡しが認められた事案の多くは事業用建物 |
| 貸主が建替え・取壊しの必要を主張した事案 | 87件(全体の約63.5%) | いまの立ち退き紛争の主流は建替え型 |
| そのうち老朽化を理由とするもの | 76件(建替え主張事案の約87.4%) | 「古いから」が最も多い言い分 |
| 耐震性について言及した裁判例 | 47件 | 耐震性は近年、正当事由の判断要素として定着 |
| 認定された立退料の最低額と最高額 | 27万円(賃料6か月分)〜8億3000万円 | 「相場」と呼べる幅ではない。事案の個性で桁が変わる |
報告書は、正当事由制度について「各事案において(考慮)要素がそれぞれの重要性の程度に応じて考慮されており、また、その結論が著しく不当なものは見当たらなかった」として、「適切に運用されている」と評価しています。立退料の算定方法については、借家権価格、移転費用等、営業補償、賃料の月数といった要素が事案ごとに組み合わされており、立退料の目安や算定基準・方法等を示すことには「そもそもなじまない」としています。
借主側にとってこの数字が意味するのは、二つのことです。一つは、通知が届いても、裁判所が明渡しを認めるのは半数程度であり、しかも認められる場合の多くは立退料と引換えだということ。もう一つは、立退料の額に「相場」はなく、27万円から8億円超までの幅の中でどこに着地するかは、事案の中身と、それを裏付ける資料で決まるということです。「家賃の6か月分が相場です」という説明を、そのまま受け入れる必要はありません。
金額は最後の最後まで動く
立退料をめぐる交渉には、他の紛争と異なる特徴があります。金額が、訴訟の最終盤まで動き続けることです。
最判平成3年3月22日(民集45巻3号293頁)は、貸主が解約申入れの後に立退料の提供を申し出た場合や、当初申し出ていた金額を増額した場合でも、その提供や増額に係る金員を考慮して、当初の解約申入れの正当事由を判断できると判示しました。借地についても、最判平成6年10月25日(民集48巻7号1303頁)が、正当事由を補完する立退料等の提供や増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものであれば原則として考慮できると述べています。
この判例法理の帰結として、貸主側は訴訟の進行を見ながら提示額を引き上げ、正当事由を「積み増す」ことができます。裁判所も、双方の主張立証を踏まえたうえで、「金○○円の支払と引換えに明け渡せ」という引換給付の判決を書きます。つまり、初回の提示額は文字どおり「初回の」金額にすぎず、交渉と訴訟の過程で何度も書き換えられていくのが通常です。最初の通知に書かれた金額や、最初の面談で口頭で示された金額を「上限」と受け取る必要はありません。
なぜ最初の数週間で結論が決まるのか
ここまで読むと、立ち退き問題は借主側に有利な制度に守られているように見えます。制度としてはそのとおりです。それでも、当事務所が拝見してきた事案で結果が悪かったものの多くは、制度の問題ではなく、専門家に相談する前の数週間に起きた出来事が原因でした。
普通借家の借主が保護されるのは、あくまで「契約が続いている」からです。借主自身が退去に合意してしまえば、それは当事者の合意による契約の終了であって、正当事由も立退料も出る幕がありません。合意は書面でなくても成立しますから、「退去承諾書」に署名する場合はもちろん、「分かりました、いずれ出ます」という一言や、期限を書き込んだメールの返信が、後から「合意があった」と主張される材料になります。合意した後にこれを覆すには、錯誤や強迫といった限られた事由(民法95条・96条)を立証しなければならず、簡単ではありません。
逆の失敗もあります。感情的に対立して交渉の窓口を閉じてしまうと、貸主側は早期に訴訟へ切り替えます。訴訟それ自体は借主にとって不利ではありませんが、交渉で得られたはずの「金額以外の条件」(明渡時期の猶予、原状回復の免除、敷金の全額返還など)を、判決では得にくくなります。また、通知を無視して賃料の支払いまで止めてしまえば、貸主側に「債務不履行による解除」という別の武器を渡すことになります(第12講)。
制度に守られている借主が、その守りを自分で外してしまう。これが立ち退き紛争における典型的な敗着です。だからこそ、通知が届いた直後の数週間の動き方が、その後の全体を決めます。
通知を受け取った側の五つの失敗
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| よくある行動 | 何が起きるか | 代わりにすること |
|---|---|---|
| その場で書面に署名する | 「退去承諾書」「合意書」はもちろん、「説明を受けました」という確認書にも、退去に異議がなかったと主張される火種が残る | どんな書面も持ち帰る。「専門家に見せてから回答する」と伝える |
| 口頭で退去の意向を示す | 「まあ、いずれは考えますよ」程度の発言が「合意」と主張されることがある | 回答は保留し、面談の日時と相手の発言をメモに残す |
| 通知を無視し続ける | 解決が先送りになるだけでなく、訴訟に移った後の交渉の機会を失う。賃料まで止めると解除の口実を与える | 「検討のうえ書面で回答する」と受け止め、賃料は従前どおり払い続ける |
| 感情的な対立に持ち込む | 貸主側が「交渉不能」と判断し、早期の訴訟移行と、金額以外の条件の喪失を招く | 立ち退きは最終的には経済条件の問題と割り切り、窓口は開けておく |
| 一人で交渉を続ける | 相手は場数を踏んだ事業者や専門業者。情報と経験の非対称のまま交渉すること自体が最大のリスク | 返事をする前に相談する。返事の前と後では、交渉の組み立てがまるで変わる |
五つの失敗の共通点は、いずれも「悪意なく、良識的に振る舞った結果」として起きることです。相手が丁寧で、説明が筋の通ったものに聞こえるからこそ、その場で応じてしまう。立ち退き交渉を専門に行う業者は、この心理をよく知っています。なお、弁護士でない業者が報酬を得て立ち退き交渉を代行することは、弁護士法72条に触れる可能性があり、最高裁も、ビルの賃借人らとの立ち退き交渉を業として行った不動産業者について同条違反の罪の成立を認めています(第15講で扱います)。相手が誰で、どの立場で話しているのかを確かめることも、初動の一部です。
会社で借りている場合に、先に確かめること
店舗や事務所の立ち退きでは、「誰が借主なのか」が意外に曖昧なことがあります。創業当時に社長個人の名義で契約し、その後に法人成りしたまま名義を変えていない。契約書上は会社だが、賃料は代表者の口座から払われている。親会社が借りて子会社が使っている。こうした事案では、正当事由の判断で「建物の使用を必要とする事情」を主張するのが誰なのか、立退料を受け取るのが誰なのか、そして受け取った立退料にどの税目がかかるのか(第18講)が、名義によって変わります。
また、貸主が建物を売却し、新しい所有者から通知が来ることも珍しくありません。借主が建物の引渡しを受けていれば、その賃借権は新所有者にも対抗でき(借地借家法31条)、建物の所有権の移転に伴って賃貸人の地位は新所有者に移り(民法605条の2第1項)、契約はそのまま引き継がれます。所有者が変わったからといって、借主の権利が減ることはありません。ただし、敷金の返還義務も新所有者に移ること(同条4項)や、新所有者が「前の所有者との約束は知らない」と主張してくる場面では、従前の合意の証拠が重要になります。
会社の中で意見が割れている場合はさらに注意が必要です。立ち退きは、移転先の選定、資金繰り、従業員の雇用、株主への説明と絡み合います。「立ち退きに応じるか」「立退料をどう使うか」をめぐって役員や株主の間に対立が生じたときの整理は、兄弟連載の『企業内部紛争36講』で扱っています。
求める側の実務を知っているということ
この連載は、立ち退きを求められた側のために書いています。ただ、当事務所は、借主側の代理と並んで、ディベロッパーや不動産事業者側の代理人として、建替えや再開発に伴う立ち退き案件にも多数関与してきました。事業者側がどのように立退費用の予算を組み、どの時点で増額を判断し、どこからは訴訟に切り替えるのか。その意思決定の構造を知っていることは、借主側で交渉するときの「攻めどき」と「引きどき」の判断に、そのまま生きます(第19講)。
借主側の実績として一つ挙げておきます。貸主から債務不履行による解除を主張され、「契約は既に解除されている。立退料は1円も払わない。直ちに退去せよ」と迫られていた中華料理店の代理人として、解除の効力を争い、営業補償を資料で積み上げ、最終的に8,000万円の立退料の支払いを受ける内容で解決した事案があります。立退料交渉の入口にすら立てていなかった事案が、桁の違う着地に至った経過は、第13講で詳しくご紹介します。もちろん、この結果は当該事案の事情によるもので、同種の事案で同じ結果を保証するものではありません。それでも、「0円」という通告が法的評価ではなく交渉上の言い分にすぎないことを示す例として、この連載の随所で立ち戻ることになります。
この連載の使い方――全20講の地図
全20講は五部構成です。最初から順に読む必要はありません。通知の文面に書かれている「理由」に対応する講から読み始め、必要に応じて基礎編と金額編に戻る使い方をお勧めします。
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| 部 | 講 | こういうときに読む |
|---|---|---|
| 第Ⅰ部 基礎編 | 第1講 全体地図(本講) | 通知が届いた直後 |
| 第2講 契約タイプの診断 | 「定期借家だから」と言われた。契約書が古い、または見当たらない | |
| 第3講 正当事由とは何か | 「大家の都合で出ないといけないのか」を法律で確かめたい | |
| 第4講 立退料の法的性質 | 「立退料は権利としてもらえるのか」を知りたい | |
| 第Ⅱ部 金額編 | 第5講 立退料の内訳 | 金額の組み立て方を知りたい |
| 第6講 住まいの立退料 | 自宅の立ち退き。高齢の親が一人で住んでいる | |
| 第7講 お店の立退料 | 美容室、飲食店、クリニック、事務所、工場の立ち退き | |
| 第8講 裁判例に見る実額 | 裁判所が実際にいくら認めたかを知りたい | |
| 第Ⅲ部 理由別攻防編 | 第9講 老朽化・耐震 | 「古いので建て替える」と言われた |
| 第10講 建替え・再開発 | 所有者が変わり、ディベロッパーが交渉に来た | |
| 第11講 自己使用 | 「自分(家族)が使う」と言われた | |
| 第12講 「契約違反だから0円」への反撃 | 賃料の遅れや軽微な違反を理由に解除だと言われた | |
| 第13講 解決実例 | 0円と言われた中華料理店が8,000万円を受け取るまで | |
| 第Ⅳ部 交渉・手続編 | 第14講 通知のルールと法定更新 | 通知の時期や書き方が正しいかを確かめたい |
| 第15講 交渉の技術と非弁業者 | 交渉が始まった。相手が弁護士ではない | |
| 第16講 明渡訴訟の実際 | 訴状が届いた。裁判の流れと期間を知りたい | |
| 第17講 退去時のお金 | 敷金、原状回復、造作の扱いを詰めたい | |
| 第18講 立退料と税金 | 受け取る前に課税の区分を知りたい | |
| 第Ⅴ部 実戦編 | 第19講 貸主・ディベロッパー側の思考 | 相手の手の内から交渉を逆算したい |
| 第20講 総括と弁護士の選び方 | 全体を一枚で振り返り、相談先を選びたい |
店舗や会社の事務所の立ち退きで、いちばん時間をかけて書いたのは第7講です。営業補償の考え方と積算の手順を、公共用地の取得に伴う損失補償基準の構成に沿って細かく扱っています。事業用の相談は、第7講と第13講を先に読んでいただくと、初回の打合せが早く進みます。
PRACTICE NOTE
最初の一週間にすること
通知が届いてから最初の相談までの間に、次のことを済ませておくと、初回の打合せで三つの関門の見立てまで話を進められます。手元にないものがあっても構いません。「ないこと」自体が、定期借家の要件を満たしていないことの証拠になる場合もあります。
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| すること | 理由 |
|---|---|
| 通知の原本、封筒(消印)、受領日のメモを保存する | 更新拒絶通知は期間満了の1年前から6か月前までの間にされていなければ効力がない(26条1項)。到達日が争点になる |
| 賃貸借契約書、更新契約書、特約書、締結時に受け取った説明書面をすべて揃える | 普通借家か定期借家かの判定(第2講)。定期借家の事前説明書面がなければ普通借家として扱われる(38条3項・5項) |
| 賃料の支払記録(振込明細、通帳、領収書)を直近2〜3年分そろえる | 滞納の有無は「契約違反だから解除」という主張(第12講)への防御に直結する。契約書がない場合は賃貸借の存在を示す中心的な証拠になる |
| 賃料を従前どおり払い続ける。受領を拒まれたら供託を検討する | 支払いを止めると債務不履行解除の口実を与える。受領拒絶の場合は弁済供託(民法494条)で債務不履行を避けられる |
| 相手の氏名、所属、立場(所有者本人か、管理会社か、弁護士か、それ以外の業者か)を確認し記録する | 弁護士でない業者が報酬を得て交渉を代行することは弁護士法72条に触れ得る(第15講)。交渉相手を適法な主体に限定させること自体が防御になる |
| 面談や電話の日時、相手の発言、提示された金額をその日のうちにメモする | 提示額と主張の変遷は、後の交渉と訴訟で有力な材料になる(最判平成3年3月22日の枠組みでは、金額は最後まで動く) |
| (事業者)直近3期分の決算書・確定申告書、月次の売上資料、内装・設備の投資額が分かる資料を出せるようにする | 営業補償(第7講)は「利益と費用の実額」から積み上げる。資料の有無で認められる金額が桁で変わる |
| (住居)世帯の事情(居住年数、通学・通院、介護、高齢や障害)が分かる資料を用意する | 借主側の「使用を必要とする事情」を具体的に語るための材料。正当事由と立退料の両方に効く(第6講) |
回答を求められている場合は、「内容を検討のうえ、後日書面で回答します」と伝えるだけで足ります。期限を切られても、その期限に法律上の意味があるわけではありません。期限を過ぎて建物を使い続けることと、退去に合意することは、まったく別のことです。
実務チェック
- 通知の原本と封筒を保存し、到達日を記録した。契約書の期間満了日と照らし合わせた。
- 契約書と、締結時に受け取った書面一式を揃え、普通借家か定期借家かを判定できる状態にした。
- 賃料は従前どおり払い続けている。滞納があれば直ちに解消した。
- いかなる書面にも署名しておらず、口頭でも退去の意向を示していない。
- 相手の氏名・所属・立場を確認し、面談や電話の内容をその日のうちにメモしている。
- (事業者)決算書・売上資料・設備投資の資料を、(住居)世帯の事情を示す資料を、出せる状態にした。
よくある質問
大家から立ち退きを求められました。拒否できますか。
普通の建物賃貸借であれば、貸主の側から契約を終わらせるには借地借家法28条の正当事由が必要で、正当事由がなければ、借主は退去する義務を負いません。正当事由の中心は、貸主と借主のどちらがその建物を必要としているかの比較で、立退料はそれを補う要素です。したがって、「拒否できるか」は、契約のタイプ、貸主の言い分の具体性、そしてご自身の使用の必要性の強さによって決まります。通知が届いた段階では、退去を承諾する必要も、期限内に退去する必要もありません。
通知に書かれた期限までに出なければ、不法占拠になりますか。
なりません。貸主の更新拒絶や解約申入れに正当事由がなければ、契約は終了しておらず、借主は従前どおり建物を使用できます。また、期間満了後や解約申入れの6か月経過後に借主が使用を継続している場合、貸主が遅滞なく異議を述べなければ、契約は法定更新されます(26条2項・27条2項)。ただし、賃料の支払いは必ず続けてください。支払いを止めると、正当事由とは別に、債務不履行による解除の主張を招きます。
立退料の相場は家賃の6か月分と聞きました。本当ですか。
法律に「相場」の定めはありません。法務省が公表した調査研究報告書(令和7年3月)が分析した137件の裁判例では、認定された立退料は27万円(賃料6か月分)から8億3000万円まで幅があり、報告書自身も立退料の目安や算定基準・方法等を示すことには「そもそもなじまない」としています。住居の簡易な事案で賃料の数か月から1年分程度で合意されることは確かにありますが、それは「双方に特段の事情がない場合の出発点」にすぎません。居住年数、高齢や持病、事業であれば営業の実態によって、金額は大きく動きます。
説明を受けた際に「退去承諾書」に署名してしまいました。取り消せますか。
署名した書面が退去への合意を意味する内容であれば、それは当事者の合意による契約終了の証拠になり、撤回は簡単ではありません。もっとも、書面の文言が退去の合意まで含んでいるのか、単に説明を受けた事実の確認にとどまるのかは、文面によって異なります。また、重要な事実について誤った説明を受けて署名した場合や、強い圧力のもとで署名した場合には、錯誤や強迫(民法95条・96条)を理由に効力を争う余地がないわけではありません。署名した書面の写しを確保し、署名に至った経過を時系列で書き出したうえで、できるだけ早くご相談ください。
「これは定期借家だから立退料はない」と言われました。
定期建物賃貸借であれば、期間満了により契約は終了し、正当事由も立退料も法律上は要求されません。しかし、定期借家として有効に成立するには、書面(または電磁的記録)による契約に加え、契約書とは別に「更新がなく、期間の満了により終了する」旨を記載した書面をあらかじめ交付して説明することが必要で、この説明がなければ「更新がない」という定めは無効になり、普通借家として扱われます(借地借家法38条1項〜5項)。契約書の題名に「定期」と書かれていることと、定期借家として有効であることは別です。締結時の書面一式を確かめてください(第2講)。
この講の主な根拠条文・裁判例・資料
- 借地借家法〔e-Gov法令検索〕26条(建物賃貸借契約の更新等)、27条(解約による建物賃貸借の終了)、28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)、30条(強行規定)、31条(建物賃貸借の対抗力)、38条(定期建物賃貸借)、40条(一時使用目的の建物の賃貸借)
- 民法〔e-Gov法令検索〕95条(錯誤)、96条(詐欺又は強迫)、494条(供託)、605条の2(不動産の賃貸人たる地位の移転)
- 最判昭和46年11月25日民集25巻8号1343頁立退料等の金員の提供は、それのみで正当事由の根拠となるものではなく、他の諸般の事情と総合考慮され、相互に補充し合って正当事由の判断の基礎となるとし、その金員が借家人の被る損失のすべてを補償するに足りるものである必要はないとした判例
- 最判平成3年3月22日民集45巻3号293頁貸主が解約申入れ後に立退料等の提供を申し出た場合や、当初の申出額を増額した場合でも、その金員を考慮して当初の解約申入れの正当事由を判断できるとした判例
- 最判平成6年10月25日民集48巻7号1303頁借地について、正当事由を補完する立退料等の提供・増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものであれば原則として考慮できるとした判例
- 法務省「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」(令和7年3月、公益社団法人商事法務研究会、令和7年10月公表)令和元年5月から令和6年3月までの建物賃貸借に関する裁判例137件を分析。正当事由の具備が認められた事案は73件(約53.3%)、建替え・取壊しの主張がある事案は87件、うち老朽化を理由とするものは76件、老朽化を理由に正当事由が肯定された54件のうち耐震性に言及するものは47件(約87.0%)。認定立退料は27万円から8億3000万円
条文のリンクは法令本文へ移動します。記載の条番号から各規定をご覧ください。裁判例の原文は、裁判所ウェブサイトの裁判例検索で裁判年月日から確認できます。本講の記載は執筆時点の法令・裁判例に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。解決実績は個別事案の結果であり、同種事案の結果を保証するものではありません。
公開日 2026年8月9日/改訂日 2026年9月23日 執筆者 坂本龍亮、お問い合わせ先:info@meitoku-law.jp