第57講 院長とスタッフの不倫が発覚した― 私生活で終わらない理由
第Ⅵ部 ハラスメント・院内人間関係
院長とスタッフの関係では、指示、評価、配置などへの影響力を無視できません。医療法人では雇用主は法人ですが、院長の権限によってはスタッフが断りにくい状況が生じます。関係が自由な意思に基づくものだったかは、院長の認識だけでなく、双方の説明と具体的な経緯から確認する必要があります。
この講では、院長とスタッフの関係が、私生活の問題にとどまらず、セクシュアルハラスメント、職場の公平性、そして法人の運営の問題へと転じていく構造を整理します。院長の立場にある方に、率直に申し上げなければならないことが、いくつかあります。
例えば、院長と看護師の交際は、半年前から続いていました。院長は既婚で、看護師は独身。二人の間では合意のうえの関係だった——院長はそう考えています。
関係が終わった翌月、看護師から書面が届きました。「院長との関係は、断ることのできない状況で始まったものです。セクシュアルハラスメントとして、対応を求めます」
院長は言いました。「合意していたはずだ」。
1 「合意していた」をどう確認するか
上下関係があるからといって、交際が直ちにセクハラになるわけではありません。一方、拒否の言葉がなかったことだけで同意を認定することもできません。誘い方、断ったときの扱い、具体的なやり取り、人事への影響などを確認します。過去に交際へ同意していても、その後の個々の行為や関係の継続まで当然に同意したことにはなりません。
海遊館事件(最高裁平成27年2月26日判決)は、反復された露骨な性的発言等を理由とする懲戒処分の有効性を扱った事案です。最高裁は、被害者が職場の関係悪化を懸念して抗議を控えることなどと具体的な言動の内容を踏まえ、明白な拒否がなかったこと等を行為者に有利に考慮するのは相当でないとしました。合意のある交際を一律にセクハラとする判決ではありません。
申告を受けたら、院長が自分だけで結論を決めず、公正に聴取・評価できる担当者を確保します(第54講)。「別れたから問題にしている」と決めつけることも、申告だけで行為を認定することも避け、必要な保護と事実確認を並行して進めてください。
2 関係が続いている間に起きること
申告に至る前の段階でも、院長とスタッフの関係は職場に影響を与えます。
公平性への疑念。シフト、評価、指導が、私的関係によって左右されていないかを点検します。実際に不公平がなくても、判断の根拠が見えなければ疑念が生じます。関係を隠すために厳しく扱うことも避け、客観的な基準と別の確認者を設けます。
人事権の行使への疑い。関係のある職員を昇格させる、逆に関係が終わった職員の配置を変える。どちらも、業務上の理由があったとしても、関係と結びつけて見られます。
情報の混在。私的な関係の中で、他の職員の評価や法人の内部情報が話題になる。それが院内に流れれば、情報漏えいの問題にもなります。
3 関係が終わったとき ― 三つの方向
| 方向 | 何が起きるか |
|---|---|
| セクハラの申告 | 「断れなかった」などの申告があれば、公正な調査担当者を確保する。医療法人では法人の責任と院長個人の責任を分け、必要な保護や措置を権限のある者・機関が決める。 |
| 退職と条件交渉 | 自由な意思に基づく退職協議は可能だが、申告や関係の終了への報復として退職を迫ってはいけない。退職勧奨はそれだけで直ちに退職強要となるわけではなく、目的、方法、継続性などが問題となる。退職以外の就業継続の選択肢も確保する。 |
| 配偶者からの請求 | 不貞を理由とする請求は、婚姻関係の状況、相手方の故意・過失などにより判断が異なる。個人の慰謝料を法人の経費として安易に支払わない。法人自身の責任に基づく支払とは分けて検討する。 |
4 院長として、何をすべきか
ここから先は、院長の立場にある方への率直な助言です。
権限と私的関係を混ぜないこと。院長の地位を利用して性的関係を求めないことが大前提です。交際関係がある場合にも、評価・配置への関与を別の者が点検する仕組みと、院長を通さない相談先を整えます。予防を「関係を持たないこと」だけに委ねてはいけません。
すでに関係がある場合。関係の継続を望まない意思を尊重し、別れや申告への報復として評価・シフトを下げたり退職を迫ったりしないでください。一方、安全確保や公正な評価のための担当変更まで禁止されるわけではありません。必要性、本人の意向、不利益、期間を検討し、私的感情と切り離して判断します。
申告を受けた場合。相手を直接問い詰めたり、撤回を求めたりせず、調査担当者に資料と説明を提出します。弁明する機会は確保しつつ、院長が調査結果を誘導しないようにしてください(第54講)。
院内への説明。私生活の詳細を全職員に話す必要は通常ありません。ただし、指示経路や配置の変更、相談体制など、業務に必要な説明は行います。噂を抑える名目で正当な相談・通報まで封じず、プライバシーに配慮して必要な範囲を共有してください。
5 医療法人であれば、法人の問題になる
医療法人では、ハラスメント防止や安全配慮に関する法人の対応義務、院長の行為と法人の責任を分けて検討します。理事長でもある場合は、理事会による職務執行の監督や監事の監査も問題になります。私生活上の不貞があるだけで、法人に対する損害賠償責任まで自動的に生じるわけではありません。配偶者が社員や理事である場合の経営への影響は、第59講で扱います。
6 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 自分が被申告者となった場合の調査の委ね先を、平時に決めておく(第54講)
- 関係の終了や申告への報復を避け、必要な人事調整は別の担当者も交えて根拠を確認する
- 申告を受けたら、公正な調査担当者に資料と説明を提出する
- 他の職員から見た公平性を、自分で点検する
やってはいけないこと
- 「合意のうえだった」と申告者に直接言う
- 関係の終了や申告への報復として、配置・評価・シフトを不利益に変える
- 退職を強制し、又は申告を撤回させる条件にする
- 個人が負う慰謝料を、法人の負担として安易に処理する
- 職員に私生活の事情を説明して理解を求める
7 よくある質問
- 本当に合意のうえでした。それでもセクハラになるのですか。
- 真に自由な意思による交際があることだけで、セクハラと決まるわけではありません。ただし、上下関係、断りにくさ、個々の言動と人事への影響を確認する必要があります。拒否がなかったことだけで同意とせず、双方の説明と資料を公正に検討します。海遊館事件も、合意ある交際を一律に否定した判決ではありません。
- 相手のスタッフから「辞めるので退職金を上乗せしてほしい」と言われました。
- 自由な意思による協議は可能です。退職日、引継ぎ、金額、支払の理由、清算する請求の範囲を整理し、私生活上の請求と雇用・ハラスメントに関する請求を区別します。院長個人と法人のどちらが負担するかも、それぞれの責任や合意に応じて明確にします。秘密保持で行政機関や弁護士等への正当な相談・通報を妨げないこと、検討時間を確保することも重要です。
- 妻が法人の理事です。この件を知ったら、どうなりますか。
- 家庭の問題が、そのまま法人の意思決定機関に入り込みます。理事としての対立、社員総会での議決、経営権の争いに転じる可能性があります。第59講で扱います。
主な法令・参考資料
- 医療法
社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- e-Gov法令検索:労働契約法
16〜19条。解雇、有期契約、無期転換、雇止め。
https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128 - e-Gov法令検索:男女雇用機会均等法
11条(セクハラ対策)、17・18条(援助・調停)。
https://laws.e-gov.go.jp/law/347AC0000000113 - 厚生労働省:セクシュアルハラスメント防止指針
平成18年告示第615号。双方の聴取、配慮、プライバシー保護等。2026年9月時点の適用内容。
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605548.pdf - 最高裁:平成27年2月26日判決(海遊館事件)
平成26年(受)第1310号。性的発言等に対する懲戒処分と降格の有効性。
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-84883.pdf