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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第105講】

ランサムウェアで病院が止まった ― 身代金より先に考えること

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第105講 ランサムウェアで病院が止まった― 身代金より先に考えること

第Ⅺ部 個人情報・IT・サイバー・生成AI

ランサムウェアで電子カルテが使えなくなったら、まず患者の安全を確保します。診療の継続・制限を判断しながら、感染拡大の防止、証拠保全、警察・厚生労働省等への連絡を並行して進めます。個人情報保護法上の報告・本人通知も必要に応じて行います。身代金を払って戻すことを前提にせず、安全な復旧方法を専門家と検討することが基本です。

ランサムウェアは、データの暗号化だけでなく、情報の窃取や公開の脅迫を伴うことがあります。遠隔接続や委託先との接続を含めて侵入経路を調べ、再侵入を防がなければ、復元したシステムも再び被害を受けます。この講では、初動から復旧までの判断と、攻撃に備えた管理を整理します。

例えば、午前6時、当直の看護師から院長に電話がありました。「電子カルテが開けません。画面にお金を払えと出ています」。病院に着くと、事務長が状況を説明しました。「医事会計と検査システムも使えません。バックアップのサーバーにも影響が出ています」。「払えば戻るのか」。「保証はありません。まず患者さんの安全を確かめ、感染の拡大を止めながら、警察と専門家に連絡しましょう」。

1 感染した日 ― 並行して進める初動

発見直後から着手すること

  1. 拡大を止める 感染が疑われる端末等をネットワークから隔離する。警察庁は、証拠を失わないため電源を落とさず通信を切り離すよう案内している。ただし、患者に接続された医療機器等を無差別に停止・切断してはいけない。診療担当者と専門家が患者安全を確保し、機器の役割に応じて隔離範囲と操作を判断する。
  2. 証拠を保全する 脅迫画面、発生時刻、表示された連絡先、直前の操作等を記録する。ログや端末を不用意に初期化しない。機器の解析・復旧は専門家と調整し、必要な証拠を安全に確保する。写真等にも患者情報が含まれ得るため、保存先・共有先を管理する。
  3. 患者を守る代替運用へ切り替える 管理者がBCPを発動し、救急・手術・入院患者の状態を確認する。紙運用で継続できる業務と、受入れ制限・延期・搬送が必要な業務を判断する。他の初動が終わるまで患者安全への対応を待たない(第104講)。
  4. 警察に連絡する 都道府県警察のサイバー犯罪相談窓口。被害届と、捜査への協力。警察庁は、被害の有無・軽重にかかわらず相談・情報提供を求めている。
  5. 厚生労働省・都道府県等に連絡する 厚生労働省のサイバーセキュリティ対策ページに示された窓口へ、疑いの段階も含め速やかに連絡し、初動支援の利用を相談する。支援チームが必ず派遣されると決めつけない。所管自治体等にも連絡し、消防・近隣医療機関と救急受入れや搬送を調整する。
  6. ベンダーに連絡する 電子カルテ、ネットワーク、保守業者。ただし、ベンダーの「すぐ復旧できます」という言葉で、証拠保全と報告を飛ばさない。
  7. 弁護士に連絡する 報告・通知の義務、患者・職員・取引先への説明、身代金の判断、保険会社との連絡。
  8. 院内の指揮系統を決める 判断者、診療・システム・法務の担当、対外説明の窓口を明確にする。未確認情報や患者情報をSNS等へ投稿しないことを周知する。必要な院内報告や行政・警察への適切な通報まで妨げない。
  9. 保険会社に連絡する サイバー保険に加入していれば、初動の段階で連絡する。保険会社が初動対応の専門業者を手配することがある。

2 個人情報の漏えいとして扱う

ランサムウェアで個人データが暗号化され、復元できなくなった場合は、個人情報保護法上の「毀損」に当たります。ただし、同じ内容のデータが他に保管されている場合は、この暗号化については毀損に当たりません。一方、データが盗み出された場合やその合理的なおそれがある場合は、バックアップの有無にかかわらず漏えい等を検討します。復旧できたことと、報告・本人通知が不要であることは同じではありません。

項目内容
報告の類型不正の目的をもって行われたおそれがある漏えい等。要配慮個人情報を含む漏えい等。
速報事態を知った後、速やかに、判明している事項を報告する。目安は概ね3〜5日以内。原因・人数・範囲が未確定でも、一律に調査終了を待たない。
確報不正目的の類型では、事態を知った日から60日以内。侵入経路、影響を受けた情報の範囲、再発防止策等を報告する。
本人通知状況に応じ速やかに通知する。全調査の完了や攻撃者による公開を一律に待たない。通知が困難で、本人の権利利益を保護するため必要な代替措置を取る場合に限り、公表等による代替が認められる。対象者が多いだけでは通知を省略できない。
範囲の特定ログ、影響端末、バックアップ、専門家の調査等で特定する。攻撃者の提示・公開した情報は手掛かりだが、全範囲を示すとは限らない。確定事項と不明事項を分け、調査と報告・通知を並行する。
公表受入れ制限等は、患者・地域に必要な情報を速やかに伝える。漏えいの疑いも、判明事項・調査中の事項・問い合わせ先を整理し、適切に情報提供する。診療状況の公表と法定の本人通知は別であり、公表しただけで通知義務を果たしたとは限らない。

3 身代金 ― 払うかどうかの法的な評価

身代金は、支払えば安全に復旧できるというものではありません。厚生労働省のガイドライン第7.0版は、犯罪組織を支援することになるとして金銭の支払を厳に慎むよう求めています。また、送金相手等によっては外為法の支払規制も問題になります。「一律に禁止する規定がないなら払ってよい」と判断してはいけません。

観点内容
復旧の保証がない復号鍵を得ても完全に復元できるとは限らず、窃取されたデータの消去や再攻撃の防止も保証されない。厚生労働省のガイドラインは、金銭の支払を厳に慎むよう求めている。
支払先の問題攻撃者が経済制裁の対象者・団体である場合、外為法上の支払規制に触れるおそれがある。反社会的勢力への利益供与の問題も生じうる。支払先が誰かは、通常わからない。
医療法人の役員の責任医療法46条の5第4項による委任関係、同46条の6の4で準用する一般法人法83条の忠実義務、民法644条の善管注意義務に照らして判断する。支払を決めた経緯、情報収集、代替策、法令への対応等が問題になるが、攻撃を受けたことや支出したことだけで理事個人の賠償責任が確定するわけではない。
保険保険会社へ早期に連絡し、初動対応、調査、復旧、賠償、事業中断等の補償範囲、免責、費用支出の事前承認を確認する。保険加入を、身代金の支払が補償される根拠や、適法・適切な判断の保証としない。
バックアップの役割と限界安全なバックアップは復旧の重要な手段だが、情報の窃取・公開の脅迫や侵入経路の除去までは解決しない。ネットワーク上の複製だけでなく、接続や権限を分離した保管、複数世代、復元試験を組み合わせる。

警察、専門業者、弁護士、保険会社と連携し、バックアップからの復元、安全な環境の再構築、診療の代替・搬送等を検討します。「患者のためなら例外的に支払ってよい」という法的な基準があるわけではありません。脅迫への対応を担当者だけに任せず、得られた情報と検討した選択肢、患者安全への対応、経営層の判断を記録してください。

4 復旧 ― 何を優先するか

復旧は、技術の問題であると同時に、優先順位の問題です。

  • 安全な復旧 感染範囲、侵入経路、残存する不正アクセスの手段等を調べ、再侵入を防ぐ。専門家と、隔離した安全な環境の再構築・段階的な復旧を検討する。全調査の終了まで何もできないという意味ではないが、動いたからと確認せず本番へ戻さない。
  • 復元の順序 患者の生命・安全への影響とシステム間の依存関係で決める。患者情報の参照、投薬、検査、救急対応等を評価し、会計を一律に検査・薬剤システムより先にしない。診療機能ごとの再開条件を先に定める。
  • 紙運用中の記録の取込み 紙運用が数週間に及べば、その間の診療録・処方・検査結果を電子カルテにどう反映するかが大きな作業になる。紙の原本を保存し、入力の手順と確認を決める(第104講)。
  • 復元できないデータ 最後のバックアップ後の記録について、他の保存先や紙の記録等から回復できるか調べる。すべて失われたと決めつけず、残る欠落を特定し、処方・検査等への影響を評価する。滅失・毀損等の報告対象となる場合は報告へ反映する。
  • レセプト 通常の請求が難しい場合は、支払基金・国保連合会に早期に相談する。個別に示された特例があるか確認し、自院にも概算請求や期限延長が当然に認められるとは考えない。
  • 費用 復旧費用、紙運用の人件費、診療の縮小による損失、通知・公表の費用、専門業者・弁護士の費用。サイバー保険の対象範囲を確認する。委託先経由の侵入なら、委託先への責任追及も検討する。

5 攻撃を受けることを前提にした備え

厚生労働省のチェックリストは、サイバー攻撃を想定したBCPの策定を確認しています。別に公表されているBCP策定の確認表・手引きは、通常時、検知、初動、復旧、事後の対応を整理しています。これらとガイドラインを使い、自院の機能に合う手順を作ります。

項目内容
バックアップの分離オフラインの媒体や、不正に変更・消去されにくい保管方式を使い、権限も分離する。複数世代を保持し、定期的に復元試験を行う。頻度は重要度・更新量等から定める。「保存済み」と「安全に復元できる」は別。
遠隔接続機器VPN装置等の遠隔接続機器を把握し、脆弱性対策、更新、不要な接続の停止、多要素認証等を行う。委託先の認証情報や接続経路も含めて管理する。
委託先院内ネットワークへ接続する事業者を把握し、接続範囲・権限・事故連絡・安全対策を契約と運用で管理する。個人データの取扱いの委託には法25条の監督義務があるが、すべての保守・給食等の契約がこの委託に当たるわけではない。接続管理上の責任は別に検討する。
端末・アカウント更新プログラムの適用、不要なアカウントの削除(第107講)、管理者権限の限定、多要素認証。
検知異常な通信や大量のファイル変更を検知する仕組み。夜間・休日に発生した場合の連絡経路。
初動の手順書この講の第1章を自院の連絡先と役割で書き直したもの。紙で保管する(システムが止まれば読めない)。
訓練定期的に、夜間・休日も含めた机上訓練等を実施する。誰が隔離を判断し、どこへ連絡し、患者安全を確保して代替運用へ移るかを確認し、結果を改善につなげる。
責任者ガイドラインに沿い、経営層、企画管理、システム運用の役割・権限と責任者を明確にする。該当する診療報酬の施設基準等も別途確認する。小規模な施設でも、判断者と外部専門家への連絡先を決めておく。
保険サイバー保険の加入と、対象範囲(初動対応費用、復旧費用、通知費用、賠償、事業中断)の確認。

チェックリストによる点検と、ガイドラインに沿う管理・訓練を組み合わせます。規程や契約を作るだけで終わらず、更新、権限点検、バックアップ、復元試験、訓練を実施し、記録から確かめられる状態にします(第89講)。

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • バックアップがネットワークから分離されているか、最後に復元の試験をしたのはいつかを確認する
  • 院内ネットワークに接続している遠隔接続機器と委託先を一覧にする
  • 感染時の連絡先(警察のサイバー犯罪相談窓口、保健所、厚生労働省の初動対応支援窓口、ベンダー、弁護士、保険会社)を紙で保管する
  • 年内に、感染を想定した机上訓練を予定に入れる

やってはいけないこと

  • 患者安全と専門家の指示を考慮せず、機器を一律に停止・再起動・初期化する
  • 報告と証拠保全を飛ばして、ベンダーに復旧を急がせる
  • 「払えば元に戻る」と考え、身代金の支払を前提に復旧を進める
  • 再侵入への対策と安全確認をしないまま本番のネットワークへ戻す
  • 「バックアップがあるから大丈夫」を、復元試験なしで信じる

7 よくある質問

個人情報が漏えいしたかどうかわからない段階で、患者に通知する必要がありますか。
具体的な事情から漏えい等が起きた合理的なおそれがあり、法定の類型に当たる場合は報告対象です。速報は分かっている事項から行い、本人通知も状況に応じ速やかに進めます。通知でかえって混乱や被害を招かないよう内容・時期を検討しますが、調査完了を一律の条件にはしません。公表・問い合わせ窓口も活用し、通知対象の特定と必要な追加通知を続けます。
攻撃者から「払わなければ患者データを公開する」と連絡がありました。
連絡内容を保存し、警察・専門家・弁護士に速やかに共有します。実際の窃取やそのおそれを調べ、報告・本人通知は公開される前から検討・実施します。公開された一部のデータだけで漏えい範囲が確定するわけではありません。支払っても公開や再要求が止まる保証はなく、担当者が独断で交渉・送金を進めないことが重要です。
小さな診療所です。狙われることはありますか。
小規模でも、脆弱な機器や認証情報を悪用される危険があります。クラウド型でも、院内端末だけが被害範囲になるとは限りません。盗まれた認証情報によるクラウド上の閲覧・変更・削除や、サービス提供側の障害等も想定します。事業者との役割分担、認証、端末・遠隔接続の管理、バックアップ、停止時の診療手順を確認してください。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    開設・管理者、医療安全、立入検査・監督、医療法人の役員資格・機関等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 医療法施行規則

    医療情報システムのサイバーセキュリティ確保等(14条2項)。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323M40000100050

  3. 民法

    委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  4. 個人情報保護法

    利用目的、要配慮個人情報、委託・第三者提供、保有個人データの開示等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057

  5. 個人情報保護委員会:ガイドライン(通則編)

    漏えい等の報告対象、速報・確報、安全管理、第三者提供。

    https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/guidelines_tsusoku/

  6. 厚生労働省:医療情報システム安全管理ガイドライン第7.0版

    2026年6月改訂の第7.0版。

    https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.html

  7. 同ガイドライン:システム運用編

    電子保存、システム運用、認証、バックアップと復旧等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716295.pdf

  8. 厚生労働省:安全管理ガイドライン第7.0版・経営管理編

    責任体制、定期的な訓練、BCP、事故時の連絡、金銭の支払を厳に慎む旨。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716291.pdf
  9. 厚生労働省:安全管理ガイドライン第7.0版・企画管理編

    非常時対応、役割分担、BCP、事業者との契約・管理等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716292.pdf
  10. 厚生労働省:サイバー攻撃を想定したBCP策定の手引き

    通常時、検知、初動、復旧、事後の対応。確認表と併せて利用。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001261301.pdf
  11. 厚生労働省:医療分野のサイバーセキュリティ対策について

    医療機関のサイバー攻撃等に関する連絡窓口、報告の案内、対策資料。

    https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/johoka/cyber-security.html
  12. 警察庁:ランサムウェア被害防止対策

    予防、バックアップ、被害時のネットワーク隔離・電源の取扱い、早期の警察相談。

    https://www.npa.go.jp/bureau/cyber/countermeasures/ransom.html
  13. 厚生労働省:令和8年度サイバーセキュリティ対策チェックリスト

    医療機関・薬局の対策点検。BCP、バックアップ、アクセス管理等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716185.pdf
  14. e-Gov法令検索:外国為替及び外国貿易法

    16条の支払等に関する規制。実際の適用は関係命令・告示等も確認する。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/324AC0000000228
  15. e-Gov法令検索:個人情報保護法施行規則

    7条の報告対象、8条の報告、9条の委託元通知、10条の本人通知。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/428M60020000003

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