第5講 開業資金の組み方と借りすぎの落とし穴
第Ⅰ部 開業前・開業設計
開業資金は、調達額だけでなく返済と撤退まで見通して組みます。医師であっても融資の可否や条件は事業計画・財務状況などによって異なり、審査に通った額が無理なく返せる額とは限りません。原則は三つです。①返済できる範囲から投資額を決める、②自己資金・融資・親族の支援を区別する、③保証と閉院時の残債を契約前に把握する。本講では、この順番で整理します。
「この計画なら、この金額まで融資を検討できます」――。
たとえば、想定より大きい融資枠を提案された場面です。内装のグレードを上げ、機器を追加したくなるかもしれません。それでも、患者数が想定を下回った場合の返済や、家計を含む資金繰りは、先生自身が専門家と一緒に確かめる必要があります。
1 資金の3つの出どころ ― 同じお金でも、法的な性質はまったく違う
開業資金の主な出どころとして、自己資金、金融機関からの融資、親族からの支援を取り上げます。すべてを利用する必要はありません。金額の議論の前に、それぞれの法的性質と、後に問題になりやすい点を押さえてください。
| 出どころ | 法的性質 | 後で問題になる典型 |
|---|---|---|
| 自己資金 | 個人開業者が自分の資金を投入する場合、自己への返済義務は生じない。法人に個人資金を入れる場合は、貸付・基金拠出・寄附等の性質を別に整理する。 | 配偶者名義の預金から出した開業資金が、離婚時に「私が出した」の争いになる(第Ⅻ部)。出資の原資と名義は記録に残す。 |
| 金融機関融資 | 金銭消費貸借。借主が返済義務を負い、保証や担保は別の契約・設定として確認する。保証人や担保が必須かどうかは融資条件による。 | 「誰が・どの債務に・いくら」保証しているかを本人が把握していない。法人化後も個人保証が残る(第3講)。 |
| 親族からの支援 | 貸付か贈与かを合意し、証拠を残す。書面がないだけで法的性質が未確定になるわけではないが、合意内容の立証が難しくなる。 | ①契約書も返済実績もない「貸付」は、贈与と扱われかねない。②親の死後、きょうだいから「あれは貸付だから遺産だ」「いや贈与だ」と蒸し返される(第ⅩⅢ部)。 |
親族からの支援は、貸付か贈与か、誰が受け取るのかを明確にします。貸付なら返済能力に合う条件を定め、契約書と送金・返済の記録を残してください。書面があっても返済の実態がなければ、税務上は贈与と扱われることがあります。無利息の場合も、利息相当の利益が贈与とされる場合があります。贈与を選ぶ場合は、贈与税だけでなく、相続時の特別受益や遺留分への影響も検討します(第120講・第ⅩⅢ部)。
2 「先生なら貸せます」の構造 ― 融資可能額と返済可能額は別物
金融機関は、事業計画、返済原資、自己資金、担保などを審査して融資条件を決めます。その審査と、院長が望む診療体制や家計を維持できるかの検討は、完全には重なりません。融資の承認を、経営の安全性が保証されたことと受け取らないでください。
保険診療には、診療と入金の時期のずれがあります。窓口で受け取る一部負担金とは別に、レセプト請求分は通常、診療月の翌々月に入金されます。返戻や請求の遅れがあれば、さらに遅れることもあります。開業直後も家賃・人件費等の支払いは先に発生するため、月ごとの入出金を見通し、運転資金を確保してください。利益が出ていても、現預金が足りなくなることはあります。
なお、借入元本の返済は現金の支出ですが、会計上の費用とは異なります。一方、減価償却費はその月の現金支出を伴いません。損益計算の「利益」と資金繰り表の「手元に残るお金」を分け、リース料や借入返済を二重に計上しないよう確認してください。
実務的な目安として、次の順番で数字を固めることをお勧めします。
- ①返済の上限を資金繰りから決める――保守的な患者数を基に月ごとの入金を見積もり、人件費・賃料・仕入・リース料・税金・社会保険料等の支出を差し引く。個人開業なら生活費も考え、予備資金を残したうえで、借入元本と利息の返済額を検討する。
- ②入金の遅れと赤字期間に備える――開業後の月別資金繰り表を作り、患者数が少ない場合、入金が遅れる場合、金利や費用が上がる場合も試算する。必要な運転資金は、診療科・固定費・入金条件によって異なる。
- ③その枠に収まるように、物件・内装・機器を選ぶ――順番が逆になる(物件と内装が先に決まり、資金計画が後から辻褄を合わせる)ことが、借りすぎの正体です(第2講の「契約の順番」参照)。
3 連帯保証 ― 「金額の分からないサイン」をなくす
保証や担保は、融資契約とは分けて確認します。個人開業者が自分で借りる場合、その医師は借主であり、自分自身の保証人ではありません。医療法人が借り、理事長が個人保証をする場合とは責任の構造が異なります。次の三点を整理してください。
第一に、借主・保証人・担保提供者の一覧化です。誰が、どの債務について、どの範囲の責任を負うのかを一枚にします。連帯保証では、債権者に対して「先に借主へ請求してほしい」と求める催告の抗弁等は認められません。第4講の契約一覧に、借主・保証・担保の欄を加えてください。
第二に、家族を保証人にする前の確認です。本人の意思と理解はもちろん、保証の法的な方式も重要です。保証契約には書面または所定の電磁的記録が必要で、個人根保証には極度額の定めが必要です。事業用融資を個人が保証する場合には、原則として契約前1か月以内の保証意思宣明公正証書も必要ですが、法人の理事等や、個人事業に現に従事する配偶者などには例外があります。単に「家族だから」で例外になるわけではありません。なお、有効に負った保証は、離婚だけで消えるものではありません。
第三に、保証を付けない融資や、既存保証の見直しを相談することです。「経営者保証に関するガイドライン」等を踏まえ、法人と個人の資産・経理の分離、財務状況、情報開示などに応じて協議できる場合があります。必ず保証を外せる制度ではありません。借入前に条件を比較し、借入後も経営状況の改善や承継の機会に見直しを相談してください。
4 撤退時の残債 ― 「やめられない経営」の正体
借りすぎの本当の怖さは、毎月の返済の重さではありません。撤退の自由を失うことです。閉院を考え始めた院長を縛るのは、多くの場合、赤字そのものではなく次の三つの残りです。
- 融資の残債――内装費や機器購入費の全額を、閉院時の売却で回収できるとは限らない。譲渡可能性と処分費用を確認し、売却収入を過大に見込まない。
- リースの精算――ファイナンス・リースでは中途解約不可の契約が多い。解約できる場合も、残額等の精算が問題になる。契約類型・解約条項・承継の可否を確認する(第28講)。
- 原状回復費――スケルトン返しなどの約定があれば、撤去・処分・復旧の費用を見積もる。規模・施工内容・契約上の負担区分により金額は異なる(第26講)。
閉院後の負担を減らすには、開業前の契約条件と借入額が重要です。ただし、開業時にすべてが決まるわけではなく、その後の返済、条件変更、事業譲渡等によっても変わります。「開業3年目に閉院する」といった仮定で残債と精算費用を試算し、開業後も更新してください(第148講)。
5 資金使途と将来の資金需要 ― 借入後も計画を見直す
第一に、資金使途を守ることです。設備資金を契約に反して別の用途に回すと、追加融資への影響にとどまらず、契約上の期限の利益喪失などが問題になる場合があります。使途が変わるときは、支出する前に金融機関へ相談し、必要な承諾や契約変更を行ってください。
第二に、将来の資金需要を考えることです。機器の更新、採用、分院展開などの予定と、必要な手元資金を見通します。自己資金の積立て、投資の時期調整、追加融資を比較し、追加融資が必ず受けられる前提では組まないでください。金融機関には試算表や資金繰り表を継続して共有し、条件変更の相談は資金が尽きる前に始めます。
6 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 「返済上限→運転資金→投資枠」の順で、自分の数字を1枚に書く(銀行提示の枠から出発しない)
- 保証の一覧表(誰が・どの債務に・いくら)を作り、第4講の契約棚卸し表に統合する
- 親族からの支援は、貸付か贈与かを決めて書面化する(税務上の取扱いは顧問税理士に確認)
- 「3年目に撤退した場合の残債・原状回復・リース残」の試算を1枚作る
やってはいけないこと
- 融資枠が出たことを「返せる額のお墨付き」と読み替える
- 配偶者・親の連帯保証を、本人への説明なしに取り付ける
- 親族からの資金を「とりあえず口座に入れてもらう」(性質未定のお金を作らない)
- 運転資金を削って設備投資に上乗せする
7 よくある質問
- 自己資金はどのくらい必要ですか。
- 必要額は診療科・地域・物件・融資条件で異なります。自己資金は借入額を抑える役割と、開業後の資金不足に備える役割を持ちます。設備に使い切らず、患者数が想定を下回っても支払いを続けられるかを、月別の資金繰り表で確かめて配分してください。
- 親からの開業資金は、贈与にした方がよいですか、貸付にした方がよいですか。
- 税負担、返済可能性、親の生活資金、相続やきょうだい間の関係によって適切な方法は変わります。貸付か贈与かを明確にし、書面と実行の記録を残すことが基本です。ただし、それだけですべての税務・相続上の問題を防げるわけではありません。税理士と弁護士に前提を共有して検討してください(第ⅩⅢ部)。
- すでに借りすぎている気がします。今からできることはありますか。
- あります。①保証・残債・リースの現状一覧を作る、②資金繰り表を金融機関と共有し、条件変更(返済期間の見直し等)の相談は詰まる前に始める、③撤退・承継・M&Aを含む選択肢を、体力のあるうちに比較する(第ⅩⅤ部)。共通するのは「早いほど選択肢が多い」という、本シリーズ一貫の原則です。
主な法令・公的資料
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 国税庁:親から金銭を借りた場合
親族間の貸付の実態、無利息の利益と贈与税の取扱い。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4420.htm
- 金融庁:経営者保証に依存しない融資慣行に向けた施策
経営者保証に関するガイドライン、見直しに関する資料。
https://www.fsa.go.jp/policy/hoshou_jirei/index.html
- 社会保険診療報酬支払基金:診療報酬等の支払予定日
2026年度の診療月と支払予定日。
https://www.ssk.or.jp/seikyushiharai/shiharai_r02.html