第3講 個人開業か医療法人か― 節税だけで決めてはいけない
第Ⅰ部 開業前・開業設計
結論から申し上げます。個人開業か医療法人かは、節税の選択ではなく、「責任・お金・家族・承継・出口」という統治構造の選択です。税負担の差は毎年の話ですが、統治構造の差は、離婚・相続・内紛・M&A・廃業という「たまにしか起きないが起きたら大きい場面」で効いてきます。そして法人化そのものは後からでもできる一方、一度作った法人の社員構成・家族の役職・持分の設計は、後から直すほど高くつく――これが本講の中心命題です。
具体的な税額の試算は税理士と行います。本講では、税負担と合わせて考えたい五つの判断軸を整理します。
「先生、所得がこの水準なら、そろそろ法人化を考えましょう」――。
たとえば、税負担の試算を見て法人化を検討し始めた場面です。数字と合わせて、家族の役割、承継方法、法人を解散する場合の財産の扱いまで話し合っておくことが大切です。
1 前提の整理 ― 医療法人は株式会社ではない
以下では、クリニックの法人化で中心となる社団医療法人を念頭に置きます。財団医療法人には社員・社員総会がなく、意思決定の仕組みが異なります。まず、社団医療法人の基本を三点押さえましょう(第11〜13講)。
第一に、剰余金の配当は禁止されています(医療法54条)。ただし、法人から個人への支払いが役員報酬・退職金だけに限られるわけではありません。正当な給与、賃料、貸付金の返済、立替経費の精算などもあり得ます。大切なのは、支払う根拠、金額の妥当性、必要な決議や契約、税務上の扱いを明確にすることです。名目を変えた利益分配や私的流用は認められません。
第二に、「社員」は従業員という意味ではありません。社団医療法人の社員は、社員総会で議決権を持つ構成員です。議決権は出資額にかかわらず一人一個で、個別の決議には特別利害関係人の議決参加制限などもあります(医療法46条の3の3)。社員の地位、役員の地位、出資持分の有無を分けて考えてください。
第三に、これから新設する社団医療法人は「持分なし」です。2007年4月以降、持分あり医療法人は新設できません。2026年3月末の持分あり医療法人は35,104法人で、医療法人総数59,893法人の約58.6%です。既存法人は経過措置によって存続しています。基金制度を利用する場合も、基金は出資持分とは異なるため、返還の条件を区別してください。
2 5つの軸で比べる ― 税負担と合わせて考えること
| 軸 | 個人開設 | 医療法人 |
|---|---|---|
| ①責任・保証 | 開設者本人が契約上の債務を負う。事業用財産と生活用財産を分けて管理しても、それだけで責任財産が法的に分離されるわけではない。 | 法人が契約上の債務を負う。個人保証や個人財産への担保設定があれば、その範囲で個人にも負担が及ぶ。診療上の過失や役員の任務違反による個人責任は別に判断される。 |
| ②お金の動き | 事業から生じた所得を開設者本人が申告する。経営と税務の状況を把握するため、事業用のお金と家計を分けて記録・管理する。 | 配当は禁止。ただし、正当な報酬・賃料・貸付金返済等は別です。支払いの根拠と金額を明確にし、法人の財産を私的に使わないことが必要です(第114講)。 |
| ③家族の関わり方 | 職員・専従者のほか、不動産の貸主、資金の貸主、保証人として関わる場合もある。家族間の問題が雇用だけに収まるとは限らない。 | 家族を役員・社員に入れると、家族は法人の意思決定機関の一員になる。離婚・相続・不和のとき、家庭の問題がそのまま社員総会・理事会の問題に転化する(第Ⅻ部)。 |
| ④承継・M&A | 事業譲渡や相続など、承継の方法に応じた整理が必要。個人開設者が交代する場合の開設・保険指定の手続と、契約・職員の引継ぎを確認する。 | 社員・役員が交代しても法人自体は存続し、契約や雇用を維持しやすい。ただし、持分の処理、役員変更等の届出、契約上の承諾・通知条項は別途確認する。 |
| ⑤やめる自由 | 廃止の手続、債務・税金の精算、患者の引継ぎ、診療録の保管等が必要。本人所有の財産は、債権者や家族との権利関係を整理したうえで処分する。 | 法人を解散する場合は法定の手続が必要。持分なし法人の残余財産は、法令・定款等で認められる国・地方公共団体等の帰属先に引き継ぐ。清算前の正当な債務の弁済と、残余財産の分配は別の問題です(第ⅩⅤ部)。 |
この表から導かれる法人化の本質は、こう言い換えられます。法人化とは、承継・拡大の選択肢と引き換えに、「お金の自由」と「やめる自由」を制度に預ける選択です。分院展開や第三者承継まで視野に入れる先生には強力な器ですが、「自分一代で、身軽にやって、最後は畳む」と考えている先生にとっては、節税額だけでは正当化できない拘束を伴います。
3 「後から変えにくい順」に設計する
法人化の時期は、税負担だけでなく、資金調達、契約の引継ぎ、家族や承継の計画と合わせて検討します。順番としては、後から変えにくい社員構成や責任の分担を先に検討し、そのうえで報酬などの具体的な条件を詰めることをお勧めします。
| 変えにくさ | 項目 | なぜ後から直すと高くつくか |
|---|---|---|
| 合意・手続が重要 | 社員を誰にするか | 社員の構成は議決権と意思決定に影響する。入社・退社の条件や議事運営を、法令と定款に沿って決める必要がある。社員が変更できないという意味ではない(第Ⅱ部)。 |
| 変更に痛み | 家族の役職・報酬 | 役員の選任・解任や報酬変更には、法令・定款・契約に沿った手続が必要。役割や退任時の扱いを曖昧にすると、家族間の不和が紛争につながることがある(第Ⅻ部)。 |
| 変更に手続 | 定款・拠出の設計 | 基金の返還条件、役員構成、社員の入退社の定め。設立時のひな形をそのまま使うと、紛争時に「何も決めていない定款」が牙をむく。 |
| 見直しにも条件 | 役員報酬の額 | 報酬の見直しには、適切な機関決定や本人との契約上の整理が必要。税務上も定期同額給与等のルールがあり、時期や変更理由によって損金算入の扱いが異なる。 |
設立時には、報酬額と合わせて「誰を社員にするか」「家族はどの役割を担うか」「定款に何を定めるか」を検討してください。税務と法務の担当者が同じ前提を共有することで、設立後の認識違いを減らせます。
4 迷ったときの判断ポイント
- 分院展開や第三者承継まで視野にある → 法人化の便益を検討する。社員・役員の構成は、法令・所管庁の審査基準と、意思決定が滞らない仕組みを踏まえて設計する。
- 配偶者や親族と経営する予定 → 社員・役員・職員のどの立場で関わるのか、権限と報酬、退任・退職時の扱いを整理する。
- 一代で完結し、最後は閉院のつもり → 「やめる自由」の制約(残余財産の帰属)を税理士のシミュレーションに織り込んでもらい、それでも法人化が有利かを見る。
- すでに個人で開業済み → 法人化(法人成り)は賃貸借・融資・リース・雇用の名義切替えを伴う一大契約イベント。第2講の「契約の順番」がもう一度やって来ると考えて準備する。
5 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 法人化の検討資料に「社員を誰にするか」「家族の役職」「解散時の残余財産」の3行を書き加え、税理士との打合せ議題にする
- すでに法人の先生は、定款を取り出して社員・役員・拠出の定めを読む(読んだことがない場合は特に)
- 連帯保証の現状(誰が・どの債務に)を一覧にする
やってはいけないこと
- 節税シミュレーションの数字だけで法人化を即断する
- 「とりあえず妻と自分を社員に」「席が余っているから親族を理事に」と、機関の椅子を挨拶代わりに配る
- 設立ひな形の定款を、内容を読まずにそのまま使う
- 持分「あり」時代の解説記事を、これから作る法人に当てはめる
6 よくある質問
- 結局、所得がいくらになったら法人化すべきですか。
- 所得だけで決まる一律の基準はありません。税務上の有利不利は大切な判断材料ですが、節税できることが法人化の必要条件というわけでもありません。分院展開や承継、運営の仕組みなどに利点があれば、税負担が増えても法人化を選ぶ場合があります。五つの軸と税務試算を合わせて判断してください。
- 法人化すれば、訴訟や借金から個人資産は守られますか。
- 法人が契約の主体になっても、個人保証や個人所有不動産の担保設定があれば、個人の負担は残ります。また、自らの診療上の過失による不法行為責任や、役員としての任務違反による損害賠償責任が生じる場合もあります。保証・担保の有無と、それ以外の個人責任を分けて確認してください。
- 妻を社員や理事に入れるのは、やめた方がよいのですか。
- 一律に避ける必要はありません。実務を担う配偶者が社員や理事になることには合理性があります。ただし、社員への加入と理事への就任は別の手続です。それぞれの権限・義務を理解し、離婚や不和、退任・退社の際の扱いも、法令と定款に沿って検討してください(第111講・第115講)。
- 持分あり医療法人を親から承継する予定です。この講の話は当てはまりますか。
- 非営利であることと、社団の社員の議決権が原則一人一個であることは共通します。ただし、本講第1節の「新設法人は持分なし」という説明は、既存の持分あり法人を持分なしと扱う趣旨ではありません。持分あり法人では、持分の払戻し・相続税・承継方法を別途検討する必要があります(第Ⅱ部・第ⅩⅢ部)。
主な法令・公的資料
- 医療法
社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 厚生労働省:種類別医療法人数の年次推移(2026年3月末)
医療法人総数、財団・社団、持分の有無別の法人数。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001714098.pdf
- 国税庁:役員に対する給与
定期同額給与等と役員給与の損金算入。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5211.htm
- 厚生労働省:持分なし医療法人への移行に関する手引書
持分あり・持分なしの類型と移行制度。期限等は資料の作成時点による。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000940229.pdf