第3講第Ⅰ部 基礎編――立ち退き要求の正体を知る
貸主の都合だけでは追い出せない――正当事由という関門
借地借家法28条の五つの考慮要素と、天秤の読み方
この講の結論
普通の建物賃貸借を貸主の側から終わらせるには、借地借家法28条の「正当の事由」が必要です。正当事由は、貸主と借主のどちらがその建物を必要としているかという比較を軸に、契約の従前の経過、建物の利用状況、建物の現況、そして立退料の申出を合わせて総合的に判断されます。判例と実務は、双方の使用の必要性を主たる要素、その他を従たる要素と位置づけてきました。この構造からは、貸主側の必要性が乏しい事案では立退料をいくら積まれても明渡し義務は生じない一方、貸主側の必要性が具体的で強い事案では、争点は「出るかどうか」から「どういう条件で出るか」に移る、という二つの帰結が導かれます。借主側の実務は、自分がこの建物を使い続ける必要性を、事実と資料で語れるようにすることから始まります。
条文を正確に読む
借地借家法28条は、建物の賃貸人による更新拒絶の通知または解約の申入れは、次の事情を考慮して「正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない」と定めています。
表は横にスクロールできます。
| 考慮要素 | 条文の表現 | 実務での中身 |
|---|---|---|
| ①双方の使用の必要性 | 建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む)が建物の使用を必要とする事情 | 貸主はなぜこの建物を必要とするのか。借主はなぜこの建物でなければならないのか。判断の主軸 |
| ②従前の経過 | 建物の賃貸借に関する従前の経過 | 契約の成立と更新の経緯、賃料の水準と改定の経過、権利金や更新料の授受、貸主側の従前の態度 |
| ③利用状況 | 建物の利用状況 | 借主が建物をどのように使ってきたか。適切に使っているか、実際には使っていないか、転貸しているか |
| ④現況 | 建物の現況 | 建物の物理的状態。築年数、老朽化の程度、耐震性、修繕の可能性と費用 |
| ⑤財産上の給付の申出 | 建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出 | 立退料。代替建物の提供もここに含まれる |
この条文は、平成4年8月1日に施行された借地借家法によって、それまでの判例が積み上げてきた考慮要素を明文化したものです。旧借家法1条ノ2は「自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由ある場合」としか書いておらず、何を考慮するかは裁判所の判断に委ねられていました。28条は、その判断の枠組みを条文の中に書き込んだものであって、判断の内容を変えたものではありません。したがって、旧法時代の最高裁判例は、いまも28条の解釈の基礎として生きています。
そして、28条に反する特約で借主に不利なものは無効です(30条)。契約書に「賃貸人が建物を必要とするときは、賃借人は異議なく明け渡す」と書いてあっても、その条項によって正当事由の要求が消えることはありません。
主たる要素と従たる要素
五つの考慮要素は並列ではありません。条文の構造を見ると、①の双方の使用の必要性を「事情」として最初に置き、②から⑤を「のほか」として続けています。判例と実務は、この構造を、双方の使用の必要性を主たる要素とし、その他の要素はこれを補充する従たる要素と位置づけるものと読んできました。
この読み方は、旧法時代から一貫しています。最判昭和26年9月14日は、借家法1条ノ2の正当事由とは、賃貸借の当事者双方の利害関係その他諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして妥当と認められる理由をいい、賃借人側の利害のみを重視して判定すべきものではないとしました。最判昭和30年6月7日は、正当事由の存否は、あらゆる事情を参酌し、賃借人と賃貸人それぞれの自己使用の必要性と利害を実質的に比較考量して判断すべきものとしています。法務省が令和7年に公表した調査研究報告書(令和元年5月から令和6年3月までの裁判例137件を分析)も、現在の裁判例について、建物使用の必要性が主たる事情であり、他の基準は従たる要素として位置づけられていると整理しています。
「主たる要素」と「従たる要素」の区別が実務で意味を持つのは、次の場面です。貸主側に使用の必要性がほとんど認められない事案では、建物が古いこと(④)や立退料の申出(⑤)だけで正当事由を組み立てることはできません。逆に、貸主側の必要性が具体的で強い事案では、借主側の必要性がそれを上回らない限り、従たる要素の積み重ねによって正当事由が認められる方向に進みます。天秤の両側の皿に載せる主たる重りが、双方の必要性なのです。
貸主側の「必要とする事情」の類型
貸主側が主張する必要性は、おおむね四つの類型に分かれます。それぞれについて、判例上の位置づけと、借主側から見た反論の入口が異なります。
表は横にスクロールできます。
| 類型 | 判例上の位置づけ | 借主側の確認点 | 詳しい講 |
|---|---|---|---|
| 建替え・取壊し(老朽化、耐震性の不足) | 倒壊の危険があるなどの事情による解体の必要性は正当事由に該当し得る(最判昭和29年7月9日)。令和7年報告書では、老朽化を理由とする76件のうち54件(約71.1%)で正当事由が肯定され、その大半で耐震性能が判断要素とされている | 耐震診断などの客観資料はあるか。補強工事は技術的・経済的に可能か。明渡し後の計画は具体的か。立退料の額は十分か | 第9講 |
| 再開発・敷地の有効活用 | 建物や敷地が有効に活用されていないことは貸主に有利に働くが、それだけで正当事由が自動的に認められるわけではない(令和7年報告書) | 事業の動機は収益目的であり、借主の生活・営業の必要性と質が異なる。立退料による補完が前提になる事案が多い | 第10講 |
| 自己使用・親族使用 | 正当事由の最も古典的な類型。貸主自身の生活や生計のための使用は重く評価される | 他に使える不動産はないか。使用計画は具体的か。なぜこの建物でなければならないのか。本当の動機は別にないか | 第11講 |
| 売却・資金の必要 | 貸主が借入金の返済のため建物を売却する必要があり、借主が理髪業者で他に適当な移転先がない事案で、移転料の提供により正当事由を具備するとされた例がある(最判昭和38年3月1日) | 経済的な必要性は、多くの場合、立退料の額の問題として現れる。売却の必要性の程度と、借主の営業の立地依存性を対比する | 第4講・第7講 |
実務上いま最も多いのは、一つ目の建替え型です。報告書が分析した137件のうち、貸主が建替えや取壊しの必要を主張した事案は87件(約63.5%)に上り、そのうち76件が老朽化を理由としていました。しかも老朽化を理由とする事案では約7割で正当事由が肯定されています。この数字は、借主側にとって厳しく見えます。しかし報告書は同時に、耐震性が不足していても正当事由が否定された事案の特徴として、経済的に合理的な耐震補強工事が可能であること、明渡し後の具体的な計画がないこと、立退料の提供額が不足していること、現に大地震で損傷を受けていない堅牢な建物であることを挙げています。つまり老朽化型の事案では、「出るかどうか」を争える事案と、「条件」を争う事案とを早い段階で見分けることが決定的に重要になります。
借主側の「必要とする事情」――何が重く、何が金銭に置き換えられるか
借主側の必要性は、居住用と事業用で中身が異なります。居住用では、その建物が生活の本拠であること、居住年数、家族の通学・通院・介護、高齢や持病による転居の困難、周辺相場より低い賃料で長く暮らしてきた経済的事情などが考慮されます。事業用では、その場所で営業を続けてきた年数、立地と売上の結びつき、常連客、投下した内装・設備、許認可の再取得の困難、移転による廃業の危険などが考慮されます。
ここで、令和7年報告書が示す一つの傾向にも触れておかなければなりません。借主側に厳しい傾向です。報告書は、借主側の「物件の代替可能性」に言及した裁判例53件(全体の約38.7%)を分析し、代替物件が「存在しない」と評価されたのは8件にとどまると整理しています。そして、事業目的の場合の移転の困難は「多くの場合、移転による休業損害が生じることや、移転費が多くかかってしまうことに収斂される」とされ、居住用で高齢の借主の通院の便や引越しの困難も「金銭による解決にはなじむ」ものとして、立退料で補完される方向に進む事案が多いとしています。
この傾向をどう受け止めるべきでしょうか。借主側の必要性が「金銭に置き換えられる」ということは、裏を返せば、置き換えるべき金銭の額を、借主側の事情がそのまま決めるということです。休業損害が大きいほど、移転費用がかかるほど、通院や介護の事情が重いほど、正当事由を補完するために必要な立退料は高くなります。借主側の必要性を丁寧に立証することは、明渡しを拒む場面でも、条件を争う場面でも、同じように効いてくるのです。
他方で、報告書は、立退料による補完を許さないほど高度な使用の必要性が借主側に認められた例として、80年以上にわたって建物を使用してきた86歳の借主の事案を挙げています。居住年数や年齢について「何年以上なら常に借主に有利」という基準は見いだせないとしつつ、事案によっては、いくら立退料を積まれても天秤が動かない領域があることを示しています。
従前の経過、利用状況、現況
従たる要素と位置づけられる三つの事情も、天秤を動かす力を持ちます。どちらの皿に載るかは、事実によって変わります。
表は横にスクロールできます。
| 要素 | 借主側に有利に働く事実 | 貸主側に有利に働く事実 |
|---|---|---|
| ②従前の経過 | 長期間にわたり円満に更新を重ねてきた。権利金・更新料・多額の内装費を負担した。貸主が建替えの意向を一度も示さずに更新してきた。貸主側の事情の変化が最近のもの | 賃料が周辺相場より著しく低いまま長年据え置かれている。契約時から建替え予定を伝えていた。賃料の遅滞や紛争が繰り返されてきた |
| ③利用状況 | 契約の目的に沿って適切に使用し、建物を丁寧に維持してきた。営業や居住の実態が現に存在する | 実際にはほとんど使っていない(住民票だけ、倉庫代わり)。無断で転貸・用法変更している。近隣とのトラブルが続いている |
| ④現況 | 築年数は古いが、現に大きな損傷はなく、経済的に合理的な補強や修繕で対応できる。近年に修繕・改修が行われている | 耐震診断で倒壊の危険性が指摘されている。旧耐震基準の建物で補強が技術的・経済的に困難。設備の老朽化で安全上の問題が生じている |
②の従前の経過については、一つ注意があります。「賃料が安すぎる」という事情は、借主が長年低い賃料の恩恵を受けてきたという意味で貸主側に有利に働くことがある一方、同水準の建物を借り直すには大きな賃料差額が生じるという意味で、立退料の額を押し上げる方向にも働きます(第6講)。同じ事実が、正当事由の判断と立退料の算定で別の顔を見せるのです。
立退料の位置――補完はできても、代替はできない
⑤の立退料の申出について、最高裁が示した枠組みは第1講でも触れました。最判昭和46年11月25日(民集25巻8号1343頁)は、京都市内の店舗(果物小売店)の明渡しが争われた事案で、立退料などの金員の提供は「それのみで正当事由の根拠となるものではなく、他の諸般の事情と綜合考慮され、相互に補充しあつて正当事由の判断の基礎となるもの」であり、その金員が借家人の被る損失のすべてを補償するに足りるものである必要はない、と判示しました。
この判例から導かれる実務の理解は、次のとおりです。第一に、立退料は正当事由を「補完」する要素であって、正当事由を「代替」する要素ではありません。貸主側に使用の必要性が認められない事案では、立退料の申出があっても正当事由は認められません。第二に、しかし双方の必要性が拮抗する事案では、立退料の提供が天秤を貸主側に傾けます。第三に、裁判所が認定する立退料は、借主の損失を全額補償する額とは限りません。損失の全部を回収したいのであれば、判決ではなく合意による解決を目指す設計が必要になります(第16講)。
なお、令和7年報告書は、分析対象137件のうち立退料の申出がなかったと窺われる裁判例は10件程度にとどまるとしています。いまの立ち退き紛争は、ほぼすべてが立退料の申出を伴って争われているということです。正当事由の争いと立退料の争いは、別々の段階ではなく、同じ土俵の上で同時に進みます。
判断の時点と「後出し」の扱い
正当事由は、更新拒絶の通知や解約申入れの時点を基準に判断されますが、その後の事情も判断に取り込まれます。最判平成3年3月22日(民集45巻3号293頁)は、貸主が解約申入れの後に立退料の提供を申し出た場合や、当初の申出額を増額した場合でも、その金員を考慮して当初の解約申入れの正当事由を判断できるとしました。借地についても、最判平成6年10月25日(民集48巻7号1303頁)が、事実審の口頭弁論終結時までにされた提供・増額の申出は原則として考慮できるとしています。
この「後出し」の許容は、貸主側に有利な法理に見えます。しかし借主側にも意味があります。貸主側の申出額が最後まで動くということは、正当事由が「弱いが皆無ではない」事案において、裁判所が明渡しを認めるとしても、その条件(立退料の額)は借主側の主張立証によって最終盤まで押し上げられるということだからです。通知の時点で貸主側の必要性が抽象的であれば、その後に計画が具体化しても、当初の通知に正当事由があったかどうかは別に問われます。通知時の主張と、その後の主張の変遷を記録しておくことが、ここで生きます。
天秤の三つの領域
ここまでの整理を、借主側の方針判断に結びつけます。事案は、貸主側の必要性の強さによって、おおむね三つの領域に分かれます。
図1 貸主側の必要性の強さと、借主側の方針
- A貸主側の必要性が乏しい領域建物は現に使用でき、貸主の計画は抽象的で、動機は主に経済的なもの。立退料をいくら申し出られても正当事由は認められにくい。借主側は「明渡し義務なし」の主張を維持できる。交渉の主導権は借主側にあり、応じるかどうかも条件も借主側が選べる。
- B双方の必要性が拮抗する領域建物は古く、貸主の計画には一定の具体性があるが、借主の生活・営業の必要性も高い。立退料の額が主戦場。裁判所は双方の必要性の差を埋めるに足りる額を、移転実費・借家権価格・営業補償の主張立証を踏まえて認定する。ここでの主張立証の厚みが金額を決める。
- C貸主側の必要性が強い領域耐震診断で危険性が指摘され、補強は経済的に合理的でなく、明渡し後の計画も具体的。争点は「出るかどうか」から「どういう条件で出るか」に移る。明渡時期の猶予、原状回復の免除、移転先の確保を含めた条件全体で解決を設計する。早い段階で軸足を移した借主のほうが、良い条件に到達する。
どの領域にあるかの見立てを誤ると、Aの事案で安く手を打つか、Cの事案で条件交渉の時間を失う。
見立ては、相手の通知の文面だけでは立てられません。耐震診断書や建替え計画の開示を求め、その中身を専門家とともに読むことで初めて、AなのかBなのかCなのかが見えてきます。この見立てを最初につけることが、第1講で述べたとおり、代理人の仕事の半分です。
主張は事実で、事実は資料で
正当事由は、明渡しを求める貸主が主張立証すべき事柄です。借主側は、貸主側の主張の弱点を指摘するとともに、自分の側の必要性を積極的に示していきます。裁判所が「借主の必要性」として拾い上げるのは、抽象的な訴えではなく、資料に裏付けられた事実です。
表は横にスクロールできます。
| 借主側の事情 | 裏付ける資料 | 効く場面 |
|---|---|---|
| 生活の本拠として長年居住してきた | 住民票の履歴、契約書・更新契約書、公共料金の記録、近隣との関わりを示す資料 | 正当事由の否定方向。移転実費の算定 |
| 高齢、持病、障害、要介護 | 診断書、通院記録、介護保険の認定資料、かかりつけ医との距離 | 転居の困難。立退料の増額。明渡時期の猶予 |
| 家族の通学・通勤・介護の事情 | 在学証明、通学経路、介護先の所在、勤務先の資料 | 転居可能な地域の限定。移転コストの上昇 |
| その場所で営業を続けてきた | 営業許可証、開業届、契約書、店舗の写真の年次推移 | 営業の本拠性。得意先の形成 |
| 立地と売上が結びついている | 直近3期分の決算書・確定申告書、月次売上、顧客の居住地の分布、予約台帳、口コミ | 営業補償の中心的資料。移転による顧客喪失の立証 |
| 内装・設備に投資した | 工事請負契約書、見積書、領収書、固定資産台帳、減価償却の明細 | 移設不能な造作の損失。造作買取請求権の検討 |
| 移転すれば許認可の再取得が必要 | 許認可の写し、再取得に要する要件と期間の資料(保健所、消防、風営法など) | 休業期間の長期化。移転困難性 |
| 貸主側の主張が変遷している | 通知書の原本、面談メモ、メールのやり取り、提示額の推移 | 貸主の必要性の真剣さ。従前の経過 |
これらの資料は、正当事由の判断で借主側の皿に載る重りになると同時に、次講以降で扱う立退料の算定資料そのものです。相談の最初の段階で集め始めてください。訴訟になったときも、そのまま証拠として使えます。
PRACTICE NOTE
正当事由の見立てシート
通知の内容と手元の事情を、次の順で書き出してみてください。空欄が多い項目は、貸主側に資料の開示を求めるべき箇所です。
表は横にスクロールできます。
| 確認項目 | 問い | 見立てへの影響 |
|---|---|---|
| 貸主の言い分の類型 | 老朽化・建替えか、再開発か、自己使用か、売却か、それとも「契約違反」か | 類型ごとに反論の型が異なる(第9〜12講) |
| 貸主の必要性の具体性 | 耐震診断書はあるか。建替え後の計画(用途、設計、資金、時期)は示されているか。自己使用ならなぜこの建物か | 抽象的なら領域A寄り。具体的なら領域B・C寄り |
| 代替手段の有無 | 補強工事は可能か。貸主に他の不動産はないか。計画は借主の入居を前提に組み替えられないか | 代替手段があれば必要性は弱まる |
| 借主の必要性の中身 | 生活の本拠か、営業の基盤か。移転すれば何を失うか。金銭で埋められるものか、埋められないものか | 埋められないものが大きければ領域A寄り。埋められるなら金額の争い |
| 従前の経過 | 契約年数、更新の経緯、賃料の水準、権利金・更新料・内装費の負担、貸主の従前の態度 | どちらの皿に載るかを個別に判定 |
| 利用状況 | 契約目的どおりに使っているか。使用実態はあるか。無断転貸・用法違反はないか | 問題があれば早期に整理(第12講) |
| 立退料の申出 | 額は示されたか。内訳は。増額の余地を相手は示唆しているか | 最判平成3年3月22日の枠組みでは最後まで動く。初回額は起点にすぎない |
| 手続の適法性 | 通知は期間満了の1年前〜6か月前に届いたか。相手は貸主本人か、代理権のある弁護士か | 手続に瑕疵があれば時間が生まれる(第14・15講) |
見立ては一度で固まるものではありません。貸主側から資料が開示され、こちらの資料が揃うにつれて動きます。初回の見立てを絶対視せず、資料が出るたびに天秤を読み直してください。
実務チェック
- 通知に書かれた貸主の言い分を、建替え・再開発・自己使用・売却・契約違反のどれに当たるかで分類した。
- 貸主側に、耐震診断書、建替え計画、自己使用の具体的内容など、必要性を裏付ける資料の開示を求めた。
- 自分がこの建物を使い続ける必要性を、事実ごとに書き出し、それぞれに裏付け資料を対応させた。
- 従前の経過(契約年数、更新の経緯、賃料水準、負担した費用)を時系列にまとめた。
- 利用状況に問題となり得る点(使用実態、転貸、用法)がないか、あれば早期に整理した。
- 事案がA・B・Cのどの領域にあるかを、仮でよいので言葉にした。
よくある質問
契約書に「貸主が必要とするときは6か月前の通知で明け渡す」と書いてあります。従わなければなりませんか。
従う必要はありません。借地借家法28条は、貸主からの更新拒絶や解約申入れに正当事由を要求しており、これに反する特約で借主に不利なものは無効です(30条)。契約書の条項は、貸主が6か月前に通知するという手続の面では意味を持ちますが、正当事由の要求そのものを外すことはできません。通知が届いたら、その条項ではなく、貸主の言い分に正当事由があるかどうかを検討することになります。
貸主が「建物は自分のものだから、返してもらうのは当然」と言っています。
所有権があることは、正当事由を構成しません。借地借家法は、貸主が所有者であることを前提としたうえで、それでもなお貸主の側から契約を終わらせるには正当事由が必要だと定めています。所有者であることそれ自体を理由に明渡しを求めることはできず、貸主がその建物を必要とする具体的な事情を示す必要があります。
老朽化を理由にされると、結局は出て行くことになるのですか。
令和7年に公表された法務省の調査研究報告書では、老朽化を理由とする裁判例76件のうち約7割で正当事由が肯定されていますが、その大半は立退料の支払いと引換えです。また、耐震性の不足が主張されても、経済的に合理的な補強工事が可能な場合、明渡し後の具体的な計画がない場合、立退料の額が不足している場合などには正当事由が否定されています。「古い」という一事で結論が決まるわけではなく、耐震診断などの客観資料の中身と、補強の可能性、計画の具体性、そして条件の全体で判断されます(第9講)。
立退料を提示されました。受け取ったら出なければなりませんか。
提示されただけでは、何の義務も生じません。立退料は、貸主が正当事由を補完するために申し出るものであり、借主がそれに応じる義務はありません。また、貸主側に使用の必要性が乏しい事案では、立退料の申出があっても正当事由は認められません。提示額を受け取るかどうかは、事案の見立て(領域A・B・C)と、提示額が失うものに見合っているかどうかで判断することになります。提示額は、判例上、最後まで動き得るものです。
法人で借りています。会社にも「使用の必要性」は認められますか。
認められます。28条は賃借人の使用の必要性を考慮要素としており、賃借人が法人であっても同じです。事業用の建物では、その場所で営業を続けてきた年数、立地と売上の結びつき、投下した設備、移転による休業と顧客喪失、従業員の雇用への影響などが、法人の必要性として考慮されます。もっとも、法人の必要性は「移転にかかる費用と損失」として金銭に置き換えられる方向で評価される傾向がありますので、その費用と損失を数字で示す準備が、正当事由と立退料の両方で必要になります(第7講)。
この講の主な根拠条文・裁判例・資料
- 借地借家法〔e-Gov法令検索〕26条、27条、28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)、30条(強行規定)
- 最判昭和26年9月14日借家法1条ノ2の正当事由は、賃貸借の当事者双方の利害関係その他諸般の事情を考慮し、社会通念に照らし妥当と認められる理由をいい、賃借人側の利害のみを重視して判定すべきものではないとした判例
- 最判昭和29年7月9日倒壊の危険があるなどの事情による家屋解体の必要性は、解約申入れの正当事由に該当するとした判例
- 最判昭和30年6月7日正当事由の存否は、あらゆる事情を参酌し、賃借人・賃貸人それぞれの自己使用の必要性と利害を実質的に比較考量して判断すべきものとした判例
- 最判昭和38年3月1日民集17巻2号290頁貸主に借入金返済のため建物を売却する必要があり、借主が理髪業者で他に適当な移転先がない事案で、移転料の提供により正当事由を具備するとした判例
- 最判昭和46年11月25日民集25巻8号1343頁立退料等の金員の提供は、それのみで正当事由の根拠となるものではなく、他の諸般の事情と総合考慮され、相互に補充し合って正当事由の判断の基礎となるとし、借家人の損失のすべてを補償する額である必要はないとした判例
- 最判平成3年3月22日民集45巻3号293頁解約申入れ後の立退料の申出や増額も考慮して、当初の解約申入れの正当事由を判断できるとした判例
- 最判平成6年10月25日民集48巻7号1303頁借地について、立退料等の提供・増額の申出は事実審の口頭弁論終結時までにされたものであれば原則として考慮できるとした判例
- 法務省「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」(令和7年3月、公益社団法人商事法務研究会、令和7年10月公表)裁判例137件の分析。建替え・取壊しの主張がある事案87件、うち老朽化を理由とするもの76件、そのうち正当事由肯定54件(約71.1%)。代替可能性に言及した裁判例53件、うち代替物件が存在しないとされたもの8件。立退料の申出がなかったと窺われる裁判例は10件程度
条文のリンクは法令本文へ移動します。記載の条番号から各規定をご覧ください。裁判例の原文は、裁判所ウェブサイトの裁判例検索や判例集で裁判年月日から確認できます。本講の記載は執筆時点の法令・裁判例に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。
公開日 2026年8月9日/改訂日 2026年9月23日 執筆者 坂本龍亮、お問い合わせ先:info@meitoku-law.jp