第7講第Ⅱ部 金額編――立退料はいくらが適正か
お店の立退料――主戦場は営業補償である
美容室、飲食店、クリニック、事務所、工場。失うものを数字にする手順のすべて
この講の結論
店舗・飲食店・クリニック・事務所・工場など事業用建物の立退料は、住居とは構造が異なります。中心は営業補償――その場所で営業を続けられなくなることによる経済的損失の補填――であり、休業期間中の収益減と固定費、従業員の休業手当、得意先の喪失、移転に伴う広告費などを、決算書と月次資料から積み上げます。これに、移設できない内装・設備の損失、移転先の内装工事費、そして商業地では借家権価格が加わり、事案によっては数千万円から億円単位に達します。営業補償は賃料ではなく利益と費用の実額から組み立てるものですから、「賃料の2〜3年分」といった提示は、実損に遠く及ばないことが多いのです。決算書と月次資料を持って、提示に返事をする前にご相談ください。
事業用の立退料は、なぜ桁が変わるのか
住居の立退料が数十万円から数百万円の範囲に収まることが多いのに対し、店舗や事務所の立退料は、数百万円から数千万円、事案によっては億円単位に達します。法務省が令和7年に公表した調査研究報告書が分析した裁判例137件の最高額は8億3000万円で、借家権価格、移転費用等、営業補償の合計として認定されたものでした。当事務所が中華料理店の代理人として8,000万円の立退料を実現した事案(第13講)も、核心は営業補償の立証にありました。
桁が変わる理由は単純です。住居の借主が失うのは「住む場所」であり、それは移転実費と賃料差額で概ね埋められます。事業用の借主が失うのは「その場所で稼ぐ力」です。移転すれば、工事と手続のために店を閉めなければならず、閉めている間も家賃や人件費は出ていき、再開しても常連客の一部は戻らず、内装や設備に投じた資金の多くは回収できません。この損失の総和が営業補償であり、それは賃料の額とはほとんど関係なく、その事業の売上・利益・費用の構造で決まります。
不動産鑑定士の島田博文氏が平成28年以降の建物明渡請求訴訟64件を分析した論文(土地総合研究2025年夏号)では、賃貸物件70件のうち店舗が55件を占めていました。立退料が本格的に争われるのは、圧倒的に事業用の事案なのです。
店舗の立退料の全体構成
図1 店舗の立退料の構成
- 1営業補償休業期間中の収益減、休業中も発生する固定的経費、従業員への休業手当、得意先の喪失による損失、移転広告費など。移転先を確保できない場合は営業廃止の補償。決算書、月次の売上、賃金台帳、顧客分布の資料から積み上げる。多くの店舗事案で最大の項目。
- 2内装・設備・造作の損失と移転費現店舗に投下した内装・設備のうち移設できないものの残存価値、移設できる設備の移転費、移転先で同等の内装を整える工事費。工事契約書、固定資産台帳、移転先の内装見積りで裏付ける。飲食店やクリニックでは営業補償に匹敵する額になることがある。
- 3借家権価格その場所を使い続けられる地位の財産的価値。商業地では大きな額になり得る。借家権割合による方法と、賃料差額による方法がある。営業権(暖簾)や造作代との重複に注意。
- 4調整と金額以外の条件貸主側の必要性の弱さ、事業スケジュールの都合、早期合意の価値による加算。明渡時期の猶予、原状回復義務の免除、敷金・保証金の全額返還。店舗ではスケルトン返しの原状回復費用が数百万円に及ぶことがあり、その免除は立退料の実質的な上乗せになる(第17講)。
①と②が店舗の主戦場。③は地域と事案で扱いが分かれ、④は合意書で確保する。
営業補償の中身――損失補償基準の構成を借りる
営業補償の項目立てには、公共用地の取得に伴う損失補償基準(第5講)の営業休止等の補償(44条)の構成が参照されます。国や自治体が公共事業のために営業中の店舗を移転させるときの補償項目であり、民間の立ち退きに法律上の拘束力はありませんが、「移転によって営業者が被る損失を漏れなく項目化する」枠組みとして、裁判例でも参照されています。
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| 項目 | 内容 | 裏付け資料 |
|---|---|---|
| 休業期間中の収益減 | 店を閉めている間に得られなかった営業利益(個人事業では所得) | 直近3期分の決算書・確定申告書、月次の損益 |
| 休業期間中の固定的経費 | 閉めている間も発生する費用。公租公課、電気・ガス・水道・電話の基本料金、減価償却費、リース料、保険料、法定福利費、借入金利息など | 決算書の経費内訳、リース契約、借入契約 |
| 従業員に対する休業手当相当額 | 休業中も雇用を維持するために支払う手当 | 賃金台帳、雇用契約書、従業員名簿 |
| 得意先喪失の補償 | 移転によって顧客の一部を失い、売上が回復するまでの間に生じる利益の減少 | 顧客の居住地・勤務地の分布、予約台帳、POSデータ、会員データ |
| 店舗移転に伴う損失(移転広告費等) | 移転の通知、看板、ウェブサイトや地図情報の変更、開店案内、粗品など | 見積書 |
| 仮営業所の設置費用 | 営業を中断できない場合に仮店舗で営業を続ける費用 | 仮店舗の賃料・工事費の見積り |
これらの項目を、国土交通省の地方整備局が用いる「営業補償調査算定要領」は具体的な算定式に落としています。民間の立ち退きにそのまま適用されるものではありませんが、裁判所や鑑定人が営業補償を検討するときの思考の型を示していますので、以下で手順を追います。
積算の手順① 休業期間中の収益減と固定的経費
収益減の補償は、年間の認定収益(個人事業では所得)に、365分の1を乗じ、補償期間の日数を乗じて算定します。認定収益は、直近3年分の損益計算書を基礎に求めます。年間の営業利益が600万円で休業期間が90日であれば、600万円×90/365で約148万円が収益減の補償額です。
ここで注意すべきことが二つあります。第一に、認定収益は「営業利益」であって「売上」ではありません。売上が大きくても利益が薄い事業では、収益減の補償は小さくなります。第二に、直近3年の決算書で示される数字が基礎になるので、過少申告や粉飾があれば、そのまま借主自身に跳ね返ります。逆に、開業間もない事業や、直近期に特殊事情(改装、感染症の影響など)があった場合には、その事情を説明して補正を主張する余地があります。
固定的経費は、休業期間中も支出を免れない費用です。算定要領は、公租公課、電気・ガス・水道・電話の基本料金、有形・無形固定資産の減価償却費、賃借料、保険料、法定福利費などを列挙しています。実務では、リース料、借入金の利息、ウェブサービスや予約システムの月額料金、本部への加盟料などが加わります。決算書の経費内訳を一行ずつ確認し、「休業しても発生するか」で仕分けてください。
積算の手順② 従業員の休業手当
従業員を抱える事業では、休業期間中も雇用を維持するために手当を支払う必要があります。算定要領は、休業手当相当額を、平均賃金に補償率(100分の80を標準として、100分の60から100分の100の範囲)を乗じ、補償期間の日数を乗じて算定するとしています。労働基準法26条が使用者の責に帰すべき事由による休業について平均賃金の100分の60以上の休業手当を義務づけていることと整合する水準です。
従業員の人数と賃金の額は、賃金台帳と雇用契約書で裏付けます。正社員だけでなく、パート・アルバイトについても、休業期間中に雇用を維持する必要があるなら補償の対象に含めて主張します。逆に、移転を機に従業員を解雇せざるを得ない場合は、営業廃止や規模縮小の補償(後述)として解雇手当相当額を主張することになります。
積算の手順③ 得意先の喪失
店舗の営業補償で最も事案の個性が出るのが、得意先喪失の補償です。算定要領の式は、従前の1か月の売上高に、売上減少率を乗じ、限界利益率を乗じるというものです。売上減少率は業種と移転先の商圏の関係(同一商圏内か、商圏外か)によって表から選択され、限界利益率は売上から変動費を除いた利益の割合です。
この式が示しているのは、得意先喪失の補償が「その業種がどれだけ立地に依存しているか」と「移転によってどれだけ商圏を離れるか」で決まるということです。同じ売上規模の店でも、近隣の常連客で成り立っている居酒屋と、ウェブ経由の予約客が大半を占める専門店とでは、移転による喪失の程度がまったく違います。
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| 示したい事実 | 資料 | 見方 |
|---|---|---|
| 顧客の多くが近隣に住み、または近隣で働いている | 会員・予約データの住所、ポイントカードの登録情報、配達エリアの記録、アンケート | 徒歩圏・自転車圏の顧客比率が高いほど、商圏を離れる移転の喪失は大きい |
| 顧客が「その場所」を目的に来ている | 駅からの導線、周辺施設(病院、学校、オフィス、商業施設)との関係、通行量 | 駅直結、病院前、オフィス街のランチ需要などは、場所そのものが売上の源泉 |
| 常連客の比率が高い | 来店頻度の分析、予約台帳の反復、口コミの内容 | 反復来店客は、移転先が遠ければ戻らない |
| 移転先候補が商圏外にしかない | 周辺の空き物件の調査結果、不動産業者の意見書 | 同一商圏内に移転できないことが、喪失率を押し上げる |
| 過去の移転・改装で売上がどう動いたか | 過去の月次売上の推移 | 実績があれば最も説得力がある |
得意先喪失の補償を主張するには、「顧客がどこから来ているか」を数字で示す必要があります。POSデータや予約システムに住所情報が残っていれば、その集計が最も強い資料になります。残っていなければ、一定期間のアンケートや、配達記録、駐輪・駐車の状況の記録など、できる範囲で立地依存性を可視化してください。
休業期間は「移転工程表」で決まる
収益減、固定的経費、休業手当はいずれも「休業期間の日数」に比例します。算定要領は、休業期間を移転工程表によって求めるとしています。つまり、移転先の確保、内装工事、設備の搬入、許認可の取得、開店準備という各工程に現実に何日かかるかを積み上げたものが休業期間であり、「だいたい3か月」という決め方ではないのです。
業種によって、休業期間を長くする要因は異なります。
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| 業種 | 休業期間を左右する主な工程 | 根拠となる法令・手続 |
|---|---|---|
| 飲食店 | 厨房・排気・グリストラップなどの設備工事、保健所の施設検査と営業許可、深夜酒類提供の届出 | 食品衛生法に基づく営業許可(施設基準への適合が必要)。酒類を深夜に提供する場合は風営法上の届出 |
| 美容室・理容室 | シャンプー台・給排水・換気の工事、保健所への開設届と構造設備の確認 | 美容師法・理容師法に基づく開設届と、保健所による構造設備の確認 |
| クリニック・歯科 | 診療室・レントゲン室の工事、医療機器の移設・再設置、開設届、保険医療機関の指定 | 医療法に基づく診療所の開設届。健康保険法に基づく保険医療機関の指定(地方厚生局への申請。開設者が同一で移転先が従前の診療所から原則2km以内であれば移転日に遡って指定を受けられる運用〔遡及指定〕があるが、毎月の申請締切に遅れると指定が翌月にずれ、その間は保険診療ができない) |
| 薬局 | 調剤室の設備、開設許可、保険薬局の指定 | 医薬品医療機器等法に基づく薬局開設許可。保険薬局の指定 |
| 工場・作業場 | 大型設備の解体・搬出・据付・試運転、電気容量・排水・騒音の対応、消防・環境関係の届出 | 設備の性質による。工場立地法、消防法、各自治体の環境条例など |
| 物販・サービス | 什器・在庫の移転、内装工事、看板・ウェブ・地図情報の変更 | 業種による許認可(古物商、酒類販売業免許など) |
| 学習塾・スクール・保育 | 教室の工事、生徒・保護者への説明、学期の区切りとの調整 | 認可保育所等では自治体の認可・届出 |
休業期間を主張するときは、工程ごとに「何日かかるか」と「なぜその日数か」を、業者の工程表や行政の標準処理期間で裏付けてください。特に許認可が絡む業種では、申請から許可までの標準的な期間と、申請前に工事が完了していなければならないという順序を示すことで、休業期間が長くなる理由を説得的に説明できます。
営業廃止――移転すれば店が成り立たない場合
移転先が確保できない、または移転すれば営業が成り立たない場合には、営業休止ではなく営業廃止の補償(損失補償基準43条)の枠組みで考えます。営業権(免許など)の正常な取引価格、資産の売却損、従業員の解雇手当、転業に通常必要とする期間中の従前の収益相当額が、その内容です。
営業廃止に当たる典型例は、次のようなものです。高齢の院長が長年その場所で診療を続けてきたクリニックで、移転して新たに開業する体力も資金もない場合。地域に密着した老舗で、その場所を離れれば顧客のほとんどを失い、再開しても採算が取れない場合。許認可に地域的な制限があり、同一地域内に移転先を確保できない場合。工場で、設備の移設費用が設備自体の価値を上回り、移転が経済的に成り立たない場合。
営業廃止の補償を主張するには、「なぜ移転が成り立たないのか」を、移転先の調査結果、採算の試算、許認可の制約、経営者の年齢や健康状態などで具体的に示す必要があります。この主張は、正当事由の判断でも借主側の使用の必要性を強める方向に働きますので、正当事由と立退料の両方で効いてきます。なお、移転先で規模を縮小せざるを得ない場合には、営業規模縮小の補償(45条)の枠組みが当てはまります。
内装・設備・造作――投下資本をどう回収するか
飲食店やクリニックでは、開業時に数百万円から数千万円の内装・設備投資をしていることが普通です。立ち退きによってこの投資の多くが無に帰することは、営業補償とは別の項目として主張します。
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| 項目 | 考え方 | 資料 |
|---|---|---|
| 移設できない内装・造作の残存価値 | 壁・床・天井の内装、造り付けの什器、配管・配線・ダクトなど、建物と一体化して持ち出せないものの、投下額から減価償却を経た残存価値 | 工事請負契約書、見積書、領収書、固定資産台帳、減価償却明細 |
| 移設できる設備の移転費 | 厨房機器、医療機器、美容機器、工作機械など、持ち出せるものの解体・運搬・再設置・試運転の費用。移設によって性能が落ちるものはその損失 | 設備業者・メーカーの見積書 |
| 移転先の内装工事費 | 移転先で同等の営業を再開するために必要な内装工事費。移転先がスケルトンか居抜きかで大きく変わる | 移転先候補を前提とした内装業者の見積書 |
| 原状回復費用の免除 | 現店舗をスケルトンに戻す費用は、建物を取り壊すなら合理性がない。免除を合意書に明記することで、立退料の実質的な上乗せになる | 原状回復の見積書(免除の価値を示すため) |
「移設できない内装の残存価値」と「移転先の内装工事費」は、重なり合う面があります。前者は「失った投資」、後者は「再開のための投資」であり、両方を全額認めると二重の補償になるという指摘を貸主側から受けることがあります。裁判例でも、いずれか一方を中心に認定したり、双方を認めつつ調整したりと扱いは分かれます。主張の際は、両者の関係を整理し、どの部分が重複しないかを明確にしておくことが、説得力を高めます。
造作買取請求権という別の武器と、その限界
賃貸借が期間満了や解約申入れによって終了するとき、借主は、貸主の同意を得て建物に付加した畳、建具その他の造作を、時価で買い取るよう貸主に請求できます(借地借家法33条1項)。空調設備、給排水設備、内装の造作などがこれに当たり得ます。
ただし、この権利には二つの限界があります。第一に、この権利は特約で排除できます。借地借家法37条は、31条、34条、35条に反する借主に不利な特約を無効としていますが、33条はこの中に含まれていません。実際、多くの事業用賃貸借契約書には「賃借人は造作買取請求権を行使しない」「造作は無償で賃貸人に帰属する、または賃借人の費用で撤去する」という特約が入っています。第二に、買取請求の対象は「貸主の同意を得て付加した造作」であり、同意の有無や、何が「造作」に当たるかが争いになります。
したがって、実務では、造作買取請求権が使える事案は限られます。しかし、特約で排除されていても、造作・内装に投下した資本の損失は、立退料(営業補償・移転実費)の交渉材料として主張していくのが実務です。造作買取請求権の排除特約は「造作の買取りを請求できない」という意味であって、「内装への投資が立退料の考慮から外れる」という意味ではありません。契約書で特約の有無を確認したうえで、いずれのルートで主張するかを整理してください。
店舗の借家権価格
商業地の店舗では、借家権価格が立退料の大きな柱になることがあります。島田氏の前掲論文によれば、裁判所鑑定が行われた36件のうち、借家権割合による方法(割合法)を適用した鑑定が17件(47%)、賃料差額による方法(差額法)を適用した鑑定が9件(25%)あり、他方で借家権の取引慣行が認められる事案はほとんどなく、損失補償基準(用対連基準)を適用または準用する鑑定が多数を占めているとされています。
割合法は、更地価格に借地権割合と借家権割合(財産評価上は現在すべての地域で30%)を乗じ、借家部分の面積割合で按分するといった計算で借家権価格を求めます。差額法は、同等の建物を新たに借りる場合の賃料と現在の賃料の差額を一定期間分積み上げます。第5講で見たとおり、不動産鑑定評価基準は税法上の借家権割合を安易に適用してはならないとしており、島田氏も、割合法の適用は評価基準に反した運用が広がっていると批判しています。この批判は、借主側にとっては諸刃の剣です。割合法による借家権価格が高く出る事案では割合法を主張したくなりますが、鑑定人がそれを採用しない可能性を織り込んでおく必要があります。
もう一つの注意は、営業権や造作代との重複です。不動産鑑定評価基準は、営業用建物の借家権には借家権の対価のほかに営業権(暖簾)や造作代が含まれることがあると述べています。借家権価格と営業補償と内装の損失をすべて別項目で全額主張すると、重複計上という反論を招きます。裁判例には、借家権価格を認めたうえで営業補償の一部を加算したもの、借家権価格を認めず営業補償と移転実費で算定したもの、借家権価格の2分の1や3分の2を採用したものなど、様々な調整があります。どの組み合わせが自分の事案に合うかは、地域、業種、貸主側の必要性の強さで変わります。
裁判例に見る店舗の実額
裁判例の金額は事案の個性への依存度が高く、「この判決でいくらだったからうちもいくら」という使い方はできません。それでも、裁判所が店舗の立退料をどのような項目で組み立てているかを見ることには意味があります。以下は、近年の公表裁判例の一部です。
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| 裁判例 | 業種・事案 | 立退料 | 算定の内容 |
|---|---|---|---|
| 東京地判令和4年3月4日 | そば店。新宿駅直結の希少な立地。築50年以上。賃料は歩合制 | 2億9650万円 | 立地の希少性と営業実態を反映した高額の認定 |
| 東京地判平成30年8月28日 | 店舗。賃料月約195万円 | 2億円 | 借家権価格1億1900万円と営業補償等7785万円を合算 |
| 東京地判平成27年3月6日 | 店舗。賃料月約261万円 | 1億3000万円 | 借家権割合方式による借家権価格を中心に、営業休止補償等を考慮して認定 |
| 東京地判令和2年12月10日 | 個室ビデオ店。昭和40年建築の旧耐震建物で、震度6以上で倒壊の危険。賃料月120万円 | 5238万3000円 | 営業補償を中心とした認定 |
| 東京地判令和4年7月28日 | 自動二輪の販売・整備業。築40年以上で倒壊のおそれ。賃料月13万8000円 | 4540万円 | 賃料の水準に比して極めて高額。営業実態と設備の損失が反映 |
| 東京地判令和3年11月10日 | ケータリングサービス。築55年以上、建替え計画あり。賃料月57万円 | 4055万円 | 営業補償を中心とした認定 |
| 東京地判平成26年10月8日 | 診療所。賃料月約52万円 | 3760万円 | 損失補償基準に基づく移転補償額7520万円の50%。診療機器の購入費を加味 |
| 東京地判令和4年10月28日 | 居酒屋。築58年以上、外壁のクラック多数。賃料月20万2000円 | 3058万円 | 借家権価格939万円ではなく損失補償基準による2550万円を採用し、併合による増分価値508万円を加算 |
| 東京地判令和4年8月3日 | 飲食店。築70年以上の木造。賃料月30万円 | 2037万5000円 | 借家権価格の3分の2である800万円に、損失補償1037万5000円と営業補償の2分の1である200万円を加算 |
| 東京地判令和5年3月23日 | 喫茶店。築50年以上で新耐震基準に適合せず、倒壊の危険性が高い。賃料月27万円 | 1940万円 | 営業補償と移転費用を中心とした認定 |
| 東京地判平成25年4月16日 | 青果店(住居兼用)。築57年。先代を含め約50年営業。賃料月2万6000円 | 720万円 | 借家権価格240万円、営業補償360万円(年120万円×3年)、引越費用50万円、住居補償70万円 |
表から読み取れることは三つあります。第一に、立退料の額は賃料の額と比例していないこと。賃料月13万8000円の整備業で4540万円、賃料月2万6000円の青果店で720万円という数字は、賃料基準では説明できません。第二に、営業補償と借家権価格の組み合わせ方が事案ごとに異なり、借家権価格を採らずに損失補償基準で算定した例(令和4年10月28日)も、借家権価格を柱にした例(平成27年3月6日)もあること。第三に、耐震性の不足が認定され正当事由が肯定された事案でも、立退料は数千万円に及んでいること。「危険な建物だから安く出て行け」という理屈は、裁判例の実態とは合っていません。
正当事由が否定された店舗の事案
金額の話ばかりになりましたが、店舗の事案でも、正当事由そのものが否定されて貸主の請求が棄却された裁判例があります。東京地判令和4年11月28日は、タクシーの洗車場として使われている築20年程度の建物について、顕著な老朽化はなく、借主にとって立地が重要であることなどから、正当事由を否定しました。東京地判令和3年3月12日は、築37年の建物のバーについて、修繕が可能であり、貸主の計画の具体性が乏しいことなどから、正当事由を否定しています。いずれも、建物が現に使用でき、貸主側の必要性が具体性を欠く事案です。第3講の領域Aに当たる事案では、店舗であっても「出るかどうか」を争えるということです。
業種別の着眼点
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| 業種 | 大きくなりやすい項目 | 特に集めるべき資料 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 飲食店 | 得意先喪失(立地依存が強い)、厨房設備と内装の損失、休業期間(保健所の許可) | 予約台帳、POSの時間帯別・曜日別売上、常連客の比率、厨房工事の契約書 | 歩合制賃料の場合、賃料基準の提示は特に実損と乖離する |
| 美容室・理容室・エステ | 顧客の喪失(指名客・会員)、シャンプー台・給排水・内装の損失 | 顧客カルテ・予約システムの住所データ、指名率、内装工事の契約書 | スタッフが顧客を持って独立するリスクが移転を機に高まる点も損失として説明する |
| クリニック・歯科 | 休業期間(保険医療機関の指定の時期)、医療機器の移設・再取得費、患者の喪失 | レセプトの患者住所分布、機器の購入契約と減価償却明細、保険医療機関指定の手続資料 | 高齢の院長では営業廃止の枠組みが当たることがある。移転先での再開が現実的かを冷静に見る |
| 薬局 | 近隣の医療機関との関係(処方箋の応需元)、休業期間(許可と保険薬局の指定) | 処方箋の発行元別の枚数、許可・指定の手続資料 | 門前薬局は移転先の立地で売上が決まるため、得意先喪失率が極めて高くなり得る |
| 物販 | 在庫の移転・処分、什器の損失、通行量に依存する売上の喪失 | 売上の曜日別・時間帯別データ、在庫台帳 | ウェブ販売の比率が高いと得意先喪失は小さく評価される |
| 事務所 | 移転費、内装・什器・ネットワーク設備の損失、賃料差額 | 移転先の募集条件、内装・配線工事の見積り | 営業補償は小さく評価されがち。賃料差額と借家権価格が中心になる |
| 工場・倉庫 | 設備の解体・搬出・据付・試運転、移転中の生産停止、取引先への納期影響 | 設備メーカーの移設見積り、生産計画、取引先との契約 | 設備の移設費が設備価値を超えるなら営業廃止・規模縮小の枠組みを検討 |
| 学習塾・スクール・保育 | 生徒・利用者の喪失、学期や年度の区切りと移転時期の関係 | 生徒の居住地分布、在籍の推移 | 移転時期の調整(年度末まで猶予)が金額以上に重要になることがある |
借主が会社である場合に整えておくこと
借主が法人である場合、正当事由の判断における使用の必要性も、立退料を受け取る主体も、法人です。第1講で触れたとおり、契約名義と実際の営業主体が一致しているかを最初に確かめてください。個人名義の契約で法人が営業している場合、貸主側から無断転貸や無断譲渡の主張を受けることがあり(第12講)、営業補償の主張主体も曖昧になります。
法人が受け取る立退料は、原則として全額が益金となり、移転費用や内装の除却損などの損金と通算されます(第18講)。同じ事業年度に受領と支出を収めるか、期をまたぐかで税負担が変わることがありますので、合意書における支払時期の設計は税理士と連携して行います。
また、会社の中で立ち退きへの対応方針が割れることがあります。移転して営業を続けるのか、この機会に廃業するのか、立退料を誰にどう配分するのか。役員や株主の間でこうした意見の相違が紛争に発展したときの整理は、兄弟連載の『企業内部紛争36講』で扱っています。
「賃料の何か月分」発想から自由になる
事業用の立ち退きで、貸主側から「相場は賃料の2〜3年分」といった提示がされることがあります。しかし営業補償は賃料ではなく利益と費用の実額から積み上げるものです。前掲の裁判例で、賃料月20万2000円の居酒屋に3058万円、賃料月13万8000円の整備業に4540万円が認定されていることは、賃料基準の提示が実損とどれほど乖離し得るかを示しています。
月商、営業利益、固定費、従業員の賃金、内装・設備の投下額、顧客の分布、移転工程に要する期間。これらを数字で示せば、賃料基準の提示額が実損に遠く及ばないことを可視化できます。逆に、これらの数字を示せなければ、裁判所も「賃料の何か月分」という粗い認定に流れます。決算書と月次資料を持って、提示に返事をする前にご相談ください。返事の前と後では、交渉の組み立てがまるで変わります。
PRACTICE NOTE
店舗の営業補償・積算の実例
次の例は、算定の考え方を示すための仮の数字です。ご自身の事案では、決算書と見積書の実額を置いてください。
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| 項目 | 前提 | 金額 |
|---|---|---|
| 事業の概要 | 駅前の飲食店。営業15年。月商300万円、年間営業利益480万円、従業員3名(月額賃金合計60万円)、賃料月25万円 | (基準) |
| 休業期間 | 移転先の確保後、内装工事2か月、保健所の許可と開店準備1か月。移転工程表で90日 | 90日 |
| 休業期間中の収益減 | 480万円×90/365 | 約118万円 |
| 休業期間中の固定的経費 | 移転先の賃料(先行して発生)、リース料、減価償却費、保険料、法定福利費、借入利息など月40万円×3か月 | 120万円 |
| 従業員の休業手当 | 60万円×80%×3か月 | 144万円 |
| 得意先喪失 | 従前1か月の売上300万円×売上減少率×限界利益率。近隣客の比率が高く商圏外への移転となることを資料で示し、減少率と利益率を業種と実績から設定 | 事案により数百万円規模 |
| 移転広告費等 | 移転通知、看板、ウェブ・地図情報の変更、開店案内 | 50万円 |
| 移設できない内装の残存価値 | 開業時の内装工事2000万円のうち、減価償却後の残存価値 | 約600万円 |
| 設備の移転費 | 厨房機器等の解体・運搬・再設置 | 150万円 |
| 移転先の内装工事費 | スケルトン物件で同等の店舗を作る工事費。残存価値との重複を整理して主張 | 1500万円(重複調整あり) |
| 新規契約費用・賃料差額 | 保証金の償却部分、礼金、仲介手数料、賃料差額の一定期間分 | 数百万円規模 |
| 借家権価格 | 商業地であれば割合法・差額法で算定し、営業権・造作との重複を整理 | 地域と事案により |
| 金額以外の条件 | スケルトン返しの原状回復(見積300万円)の全部免除、保証金の全額返還、移転先確定後6か月の明渡猶予 | 合意書に明記 |
この例では、営業補償だけで数百万円、内装と移転費を合わせると2000万円を超える水準に達します。「賃料の2年分(600万円)」という提示との差は、資料で埋まる差です。しかも、原状回復の免除300万円は、金額に表れない価値として別に確保します。
実務チェック
- 直近3期分の決算書・確定申告書と、月次の売上・損益資料を揃えた。
- 経費を「休業しても発生するもの」と「発生しないもの」に仕分けた。
- 従業員の人数・賃金を賃金台帳で確認し、休業手当の額を算定した。
- 顧客の居住地・勤務地の分布と常連客の比率を示す資料を集め、立地依存性を可視化した。
- 移転先の確保から開店までの工程表を業者と行政の標準処理期間で組み、休業期間を日数で示した。
- 内装・設備の工事契約書、固定資産台帳、減価償却明細を確認し、残存価値と移転費を算定した。
- 契約書で造作買取請求権の排除特約と原状回復の定めを確認した。
- 借家権価格を主張する場合、営業補償・内装の損失との重複を整理した。
- 金額以外の条件(原状回復免除、保証金返還、明渡猶予)を一覧にした。
よくある質問
「店舗の立退料は賃料の2〜3年分が相場」と言われました。
営業補償は賃料ではなく、営業利益、固定費、従業員の賃金、得意先の喪失、内装・設備の損失といった実額から積み上げるものです。裁判例でも、賃料月20万円前後の居酒屋に3000万円を超える立退料が認定された例や、賃料月14万円弱の整備業に4500万円を超える立退料が認定された例があり、賃料の月数では説明できません。決算書と月次資料から自分の数字を置いて、提示と比較してください。
個人事業で、確定申告の利益は小さいです。営業補償は望めませんか。
収益減の補償は営業利益(所得)を基礎にしますので、利益が小さければその項目は小さくなります。しかし、営業補償は収益減だけではありません。休業中も発生する固定的経費、従業員の休業手当、得意先の喪失、移転広告費は、利益の額とは別に立ちます。さらに、内装・設備の損失、移転先の内装工事費、賃料差額は営業補償とは別の項目です。利益が小さい事業でも、これらを合わせれば相応の額になることが多いのです。
契約書に「造作買取請求権を放棄する」「原状回復はスケルトン返し」と書いてあります。内装の投資はあきらめるしかありませんか。
造作買取請求権の排除特約は有効ですが、それは「造作の買取りを請求できない」という意味であって、内装への投資が立退料の考慮から外れるという意味ではありません。移設できない内装の残存価値と移転先の内装工事費は、立退料の項目として主張していきます。また、建物を取り壊す予定であるなら、スケルトン返しの原状回復を求めることに合理性はなく、原状回復義務の全部免除を合意書に明記することが実務では広く行われています。免除される原状回復費用は、立退料の実質的な上乗せに相当します(第17講)。
クリニックです。移転すると保険診療の再開までに時間がかかると聞きました。
診療所を移転すると、医療法に基づく開設届に加えて、健康保険法に基づく保険医療機関の指定を移転先で改めて受ける必要があります。開設者が同一で、移転先が従前の診療所から原則として2km以内であれば、移転日に遡って指定を受けられる運用(遡及指定)があり、この場合には保険診療の空白は生じません。他方、遠方への移転で遡及指定が認められない場合や、地方厚生局の毎月の申請締切に遅れた場合には、指定が翌月にずれ、内装工事が完了しても保険診療を再開できない期間が生じます。立ち退きによる移転では、同一商圏内に移転先を確保できるかどうかがこの点でも重要になり、遡及指定を受けられない場合の空白期間は休業期間として営業補償の対象に含めて主張します。加えて、医療機器の移設・再取得の費用、患者の喪失(レセプトの患者住所分布で示す)が大きな項目になります。高齢の院長で移転して再開する見通しが立たない場合は、営業廃止の枠組みで検討することになります。
従業員に説明する時期はいつがよいですか。
法的に決まった時期はありませんが、交渉が合意に至る前に「店が閉まる」という情報が従業員から顧客や取引先に広がると、売上の減少やスタッフの離職が先に起きて、営業補償の立証に影響することがあります。他方で、移転工程を組むには従業員の協力が必要です。一般的には、方針(移転して継続するのか)が固まった段階で、時期と条件を含めて説明するのが実務的です。この点も、交渉全体のスケジュールと合わせて設計してください。
立退料の交渉中に売上が落ちてきました。どう扱われますか。
営業補償の基礎は直近3年程度の決算書ですので、交渉中の一時的な売上の減少がそのまま基礎になるわけではありません。ただし、貸主側は直近の数字を持ち出して補償額を低く見積もろうとすることがあります。売上の減少が立ち退き問題の影響(近隣での取壊しの噂、周辺テナントの退去による集客力の低下など)によるものであれば、その因果関係を説明し、従前の実績を基礎にすべきことを主張します。月次の推移を記録しておくことが、この場面で効きます。
この講の主な根拠条文・裁判例・資料
- 借地借家法〔e-Gov法令検索〕28条(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)、33条(造作買取請求権)、37条(強行規定。33条は含まれない)
- 労働基準法〔e-Gov法令検索〕26条(休業手当)
- 公共用地の取得に伴う損失補償基準(昭和37年10月12日用地対策連絡会決定、最近改正令和2年1月31日)43条(営業廃止の補償)、44条(営業休止等の補償)、45条(営業規模縮小の補償)
- 国土交通省近畿地方整備局「営業補償調査算定要領」収益減の補償(年間の認定収益×1/365×補償期間)、休業手当相当額(平均賃金×補償率〔80/100を標準として60/100〜100/100〕×補償期間)、得意先喪失の補償(従前の1か月の売上高×売上減少率×限界利益率)、固定的経費の範囲、休業期間を移転工程表により求めること
- 不動産鑑定評価基準 各論第1章第3節(借家権)税法上の借家権割合を安易に適用してはならない旨、営業用建物の借家権には営業権や造作代が含まれることがある旨
- 島田博文「建替えを前提とする賃貸人の建物明渡請求訴訟に係る立退料の判例分析」(土地総合研究2025年夏号)平成28年以降の建物明渡請求訴訟64件(賃貸物件70件、うち店舗55件)の分析。裁判所鑑定36件のうち割合法適用17件、差額法適用9件。損失補償基準(用対連基準)を適用・準用する鑑定が多数との整理と、割合法の運用に対する批判
- 法務省「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」(令和7年3月、令和7年10月公表)分析対象137件の最高額8億3000万円(東京地判令和5年7月13日、借家権価格・移転費用等・営業補償の合計額)
- 東京地判平成25年4月16日、東京地判平成26年10月8日、東京地判平成27年3月6日、東京地判平成30年8月28日、東京地判令和2年12月10日、東京地判令和3年3月12日、東京地判令和3年11月10日、東京地判令和4年3月4日、東京地判令和4年7月28日、東京地判令和4年8月3日、東京地判令和4年10月28日、東京地判令和4年11月28日、東京地判令和5年3月23日本文の表に掲げた店舗等の立退料に関する裁判例
条文のリンクは法令本文へ移動します。記載の条番号から各規定をご覧ください。裁判例の原文は、裁判所ウェブサイトの裁判例検索や判例集で裁判年月日から確認できます。本講の記載は執筆時点の法令・裁判例・資料に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。積算の実例は考え方を示すための仮の数字です。解決実績に関する記載は個別事案の結果であり、同種事案の結果を保証するものではありません。
公開日 2026年8月9日/改訂日 2026年9月23日 執筆者 坂本龍亮、お問い合わせ先:info@meitoku-law.jp