最もよくある立ち退き理由
現在の立ち退き要求の圧倒的多数は、「建物の老朽化・耐震性不足による建替え」を理由とするものです。旧耐震基準(昭和56年5月以前の建築確認)の建物が更新期を迎え、都市部では建替え・再開発の波が続いているためです。
まず法律上の整理から。建物が地震・火災等で全部滅失し、あるいは使用不能なほど朽廃すれば、賃貸借は履行不能により当然に終了します(民法616条の2)。しかし、そこまでに至らない「古い」「耐震性に不安がある」という状態は、契約を当然に終わらせず、借地借家法28条の**正当事由の一考慮要素(建物の現況)**として評価されるにとどまります。
借主側のチェックポイント
第8講で見た裁判例の対比が、そのまま攻防の設計図になります。
① 客観的資料の開示を求める。 「老朽化」の一言では正当事由は立ちません。耐震診断の結果(Is値等)、建築士の意見書、劣化状況の調査資料の開示を求め、資料がなければその旨を指摘します。
② 補強工事の可能性を検討する。 耐震補強が技術的・経済的に可能であれば、「建て替えるしかない」という貸主の主張は弱まります(東京地判平成22年9月7日参照)。借主側でも建築士に意見を求める価値があります。
③ 「危険なら、なぜ今まで・なぜ自分だけ」を問う。 長年放置してきた経緯、他のテナントとの交渉状況、建替え計画の具体性(設計・資金・スケジュール)は、貸主の必要性の真剣さを測る材料です。計画が具体的で実現可能性が高いほど正当事由は強まる方向に働くため(東京地判令和元年9月3日参照)、その見極めが交渉方針を決めます。
「危険な建物に住み続けろ」という話ではない
誤解のないように強調しますが、借主側の戦略は「絶対に退去しない」ことではありません。本当に危険性の高い建物なら、退去自体は合理的な選択です。問題は条件です。老朽化の程度と建替え計画の具体性を正確に見積もることは、①正当事由の強弱の見立て、②それに応じた立退料の適正水準、③交渉に使える時間、を測ることに直結します。「建物は確かに古い。だからこそ、失うものを正しく補償してもらって円満に移る」――これが老朽化型事案の現実的なゴール設定です。