第15講第Ⅳ部 交渉・手続編――進め方と落とし穴
交渉でやってはいけない五つのこと、そして弁護士でない交渉人
失敗は交渉の入口で起きる。相手を適法な主体に限定させることも防御である
この講の結論
立ち退き紛争の失敗の大半は、初動の数週間に起きます。その場で書面に署名する、口頭で退去の意向を示す、通知を無視し続ける、感情的な対立に持ち込む、一人で交渉を続ける。この五つを避けるだけで、失敗の大半は回避できます。書面は持ち帰る、回答は書面で、賃料は払い続ける、窓口は一本にする。これが基本の作法です。もう一つ知っておくべきことがあります。貸主側の交渉窓口として弁護士でない「不動産コンサルタント」「立ち退き代行業者」が現れることがありますが、報酬を得て立ち退き交渉を業として行うことは弁護士法72条に触れ、最高裁も、ビルの賃借人らとの立ち退き交渉を業として行った不動産業者について弁護士法違反の罪の成立を認めています。相手の立場を確認し、弁護士でない者が交渉主体として条件提示や説得を行ってくる場合には、その適法性を指摘して貸主本人または弁護士との交渉を求めること自体が、借主の防御になります。
失敗は交渉の入口で起きる
第1講で述べたとおり、立ち退き紛争の結論は、多くの場合、裁判所ではなく交渉の初期段階で方向づけられます。借地借家法は借主を強く守っていますが、その守りは「契約が続いている」ことを前提にしています。借主自身が退去に合意してしまえば、正当事由も立退料も出る幕はありません。当事務所が拝見してきた事案で結果が悪かったものの多くは、制度の問題ではなく、専門家に相談する前の数週間に起きた出来事が原因でした。
この講では、その数週間に起きる失敗を五つに整理し、それぞれについて「代わりに何をするか」を具体的に述べます。後半では、貸主側の交渉窓口として現れる「弁護士でない交渉人」の問題を扱います。
五つのNGと、代わりにすること
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| NG | なぜ危険か | 代わりにすること |
|---|---|---|
| 1 その場で書面に署名する | 「退去承諾書」「合意書」はもちろん、「説明を受けました」という体裁の確認書にも、後日「退去に異議がなかった」と主張される火種が潜む。合意は書面で証明されると覆しにくい | どんな書面も持ち帰る。「専門家に見せてから回答する」と伝える。写しをもらう。持ち帰りを拒まれたら、それ自体を記録する |
| 2 口頭で退去の意向を示す | 「まあ、いずれは考えますよ」程度の発言が「退去合意があった」「退去に前向きだった」と主張される。相手はメモを取っている | 回答は保留し、「検討のうえ書面で回答する」と伝える。面談後、自分の側でも発言内容を日時とともに記録する |
| 3 通知を無視し続ける | 解決を先送りするだけでなく、訴訟に移行された場合に交渉の機会を失う。誠実性の面で心証を損なう。賃料まで止めれば解除の口実を与える | 「検討のうえ書面で回答する」と受け止め、資料の開示を求める(第9講)。賃料は従前どおり払い続ける |
| 4 感情的な対立に持ち込む | 貸主側に「この借主とは交渉不能」と判断させ、早期の訴訟移行を招く。金額以外の条件(明渡時期、原状回復免除)を得る余地が狭まる。相手の言動を録音・記録されている | 立ち退きは最終的には経済条件の問題と割り切る。相手の挑発的な言葉には反応せず、記録する。窓口は開けておく |
| 5 一人で交渉を続ける | 相手は場数を踏んだ事業者・専門業者。情報量と経験の非対称のまま交渉を続けること自体が最大のリスク。何が「相場」で何が「法律」かの区別がつかない | 返事をする前に専門家に相談する。窓口を弁護士に一本化すれば、直接の接触も止められる |
五つのNGの共通点は、いずれも「悪意なく、良識的に振る舞った結果」として起きることです。相手が丁寧で、説明が筋の通ったものに聞こえるからこそ、その場で応じてしまう。立ち退き交渉を専門に行う担当者は、この心理をよく知っています。
署名を求められる書面の種類と危険度
立ち退き交渉の初期に、貸主側から署名を求められる書面には、いくつかの型があります。題名が穏やかでも、中身が退去への合意を含んでいることがあります。
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| 書面の型 | 典型的な文言 | 危険度と理由 |
|---|---|---|
| 退去承諾書・合意解約書 | 「賃借人は、○年○月○日限り本件建物を明け渡すことに同意する」 | 最も危険。合意による契約終了の直接の証拠。正当事由も立退料も問題にならなくなる |
| 説明確認書 | 「賃借人は、本件建物の建替え計画について説明を受け、その内容を了承した」 | 危険。「了承」の一語が、計画への同意、ひいては退去への同意と主張される。「説明を受けた」事実の確認にとどまるかは文言次第 |
| 退去意向調査・アンケート | 「退去時期の希望:○月頃」「移転先の希望条件」 | 要注意。退去を前提とした回答をすること自体が、退去に前向きだったことの証拠として使われる |
| 更新しない旨の合意書 | 「本契約は○年○月○日の期間満了により終了し、更新しないことを確認する」 | 最も危険。これに署名すれば、法定更新の主張ができなくなる |
| 定期借家への切替契約 | 「本契約を定期建物賃貸借契約に変更する」 | 危険。次の期間満了で正当事由も立退料も要求されなくなる(第2講) |
| 立入り・調査の同意書 | 「耐震診断のための建物への立入りに同意する」 | 低〜中。調査への協力自体は問題ないが、文言に退去に関する記載が混ざっていないかを確認する |
| 受領書 | 「上記書面を受領した」 | 低。受領の事実の確認にとどまる限り問題ない。ただし「内容を了承した」等の文言が混ざっていないか確認する |
書面を渡されたら、題名ではなく本文を読み、「同意する」「了承する」「確認する」「終了する」「更新しない」という語がどこにあるかを見てください。判断に迷う書面は、すべて持ち帰るのが原則です。
口頭のやりとりをどう扱うか
面談や電話のやりとりは、記録が残らないように見えますが、相手側は担当者が報告書を作り、場合によっては録音しています。借主側も、面談の日時、場所、出席者、相手の発言、自分の発言、提示された条件を、その日のうちに記録してください。
自分が当事者として参加している会話を録音することは、相手の同意がなくても、それ自体が違法になるものではなく、裁判での証拠としても一般に用いられています。相手の発言の中には、貸主の本当の動機や、提示額の上限を示唆する言葉、他のテナントとの条件についての言及など、後の交渉で価値を持つものが含まれることがあります。記録を残す習慣が、交渉の材料を蓄積します。
逆に、自分の発言も記録されていると考えて話してください。「出てもいいと思っている」「いくらならいいですか」といった言葉は、退去に前向きであることの証拠になります。回答は保留し、条件の提示は書面で行うのが、口頭のやりとりで失点しないための基本です。
通知への回答の作法
通知を受け取ったら、回答は書面で行います。最初の回答書に書くことは、三つで足ります。第一に、通知を受領したこと。第二に、内容を検討するために資料の開示を求めること(第9講の開示要求)。第三に、開示を受けたうえで改めて書面で回答すること。退去に応じるかどうかについての見解は、この段階では示しません。
通知に「○月○日までに回答してください」と期限が書かれていても、その期限に法律上の意味はありません。期限を過ぎたからといって退去に同意したことになるわけでも、権利を失うわけでもありません。ただし、無視は避け、期限の前に「検討中であり、追って回答する」旨だけでも書面で伝えておくのが、誠実な対応として望ましいところです。
回答書には、こちらの連絡先と窓口を明記します。弁護士に依頼した後は、弁護士が受任通知を送り、以後の連絡は弁護士宛てにするよう求めます。これによって、貸主側の担当者が自宅や店舗に直接訪ねてくることを止めることができます。
交渉の場をこちらで設計する
貸主側の担当者は、借主の自宅や店舗に予告なく訪ねてくることがあります。営業中の店舗で、客の前で、あるいは高齢の借主の自宅で、その場で話を進めようとする。これは借主側に最も不利な交渉の場です。
面談に応じる場合は、日時と場所をこちらで指定し、同席者を確保し、その日は「聞く」だけで「答えない」ことを決めて臨みます。営業時間中の来訪は断り、書面での連絡を求めることも可能です。高齢の借主の場合は、家族の同席を必須にしてください。弁護士に依頼すれば、面談の場は弁護士事務所になり、借主本人が同席する必要すらなくなります。
感情と経済を切り分ける
立ち退きは、借主にとって生活や営業の根幹を揺さぶられる出来事であり、怒りや不安が生じるのは当然です。しかし、その感情を相手に向けて発散することは、交渉上は損失にしかなりません。貸主側の担当者は、借主の感情的な反応を「交渉不能」の根拠として社内に報告し、早期の訴訟移行を提案します。訴訟それ自体が借主に不利とは限りませんが、選択権は自分で持つべきです。
逆に、貸主側の担当者が挑発的な言葉(「不法占拠だ」「裁判になれば負ける」「他の人はみんな出た」)を使うこともあります。これらは事実の指摘ではなく、心理的な圧力です。反応せず、記録してください。その言葉の多くは、法的には根拠のないものか、誇張です。
「立退交渉の代行業者」は違法の可能性――弁護士法72条
貸主側の交渉窓口として、弁護士でない「不動産コンサルタント」「立ち退き代行業者」「事業協力者」が登場することがあります。名刺には不動産会社の名前があり、話は丁寧で、条件の提示も説得も手慣れている。しかし、この活動は違法である可能性があります。
弁護士法72条は、弁護士または弁護士法人でない者が、報酬を得る目的で、訴訟事件、非訟事件その他一般の法律事件に関して、鑑定、代理、仲裁もしくは和解その他の法律事務を取り扱い、またはこれらの周旋をすることを業とすることを禁じています(他の法律に別段の定めがある場合を除く)。これに違反した者は、2年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金に処せられます(77条3号)。
立ち退き交渉は、賃貸借契約の合意解除、明渡しの時期、立退料の額をめぐる交渉であり、貸主と借主の間に法律上の権利義務の争いがある「法律事件」に関する「法律事務」です。弁護士でない者が報酬を得てこれを業として代行することは、72条の禁止に正面から当たり得ます。
最高裁平成22年7月20日決定
この点についての最重要判例が、最決平成22年7月20日(刑集64巻5号793頁)です。事案は、弁護士資格のない不動産業者が、ビルの所有者から委託を受けて、ビルの賃借人ら(74名)との間で、賃貸借契約の合意解除と明渡しの実現に向けた立ち退き交渉を約10か月にわたって業として行ったというものでした。
最高裁は、この立ち退き交渉が、立ち退き合意の成否、時期、立退料の額をめぐって交渉において解決すべき法的紛議が生ずることがほぼ不可避である案件に係るものであったとして、弁護士法72条にいう「その他一般の法律事件」に関するものと認め、非弁活動として同条違反の罪の成立を認めました。
この決定が示しているのは、立ち退き交渉が「まだ紛争になっていないから法律事件ではない」という言い逃れを許さないということです。立ち退きを求める側と求められる側の間には、合意の成否、時期、金額をめぐる紛議が構造的に内在しており、それを報酬を得て業として代行することは、弁護士でなければできません。加えて、最判昭和38年6月13日は、弁護士資格のない者との間で弁護士法72条・77条に抵触する内容の契約は公序良俗に反して無効であるとしており、貸主と非弁業者の間の委託契約自体が無効と評価される可能性もあります。
管理会社・不動産業者はどこまでできるか
すべての管理会社や不動産業者の関与が違法になるわけではありません。線引きの目安を整理しておきます。
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| 関与の内容 | 評価 | 理由 |
|---|---|---|
| 貸主の通知書を借主に届ける、貸主の意向を伝達する | 問題になりにくい | 貸主の意思表示の伝達であり、業者自身が交渉主体になっていない |
| 借主の質問を貸主に取り次ぐ、日程を調整する | 問題になりにくい | 事務的な連絡にとどまる |
| 業者が立退料の額を提示し、増減の交渉をし、退去を説得する | 72条違反の可能性が高い | 法律事件に関する法律事務を業として行っている。報酬目的があれば要件を満たす |
| 業者が退去承諾書・合意書を作成し、署名を求める | 72条違反の可能性が高い | 和解契約書の作成と締結の代理・周旋に当たる |
| 業者が「法的に出なければならない」等の法的評価を述べて説得する | 72条違反の可能性が高い | 法律事件についての鑑定・法律事務に当たる |
| 新ビルへの再入居や移転先の賃貸借契約の媒介 | 宅地建物取引業として適法 | 賃貸借契約の媒介は宅地建物取引業法上の業務。ただし立ち退き交渉の代行を媒介の名目で行えば別問題 |
| 貸主自身、または貸主の従業員(報酬を得ない親族など)が交渉する | 72条の問題は生じない | 当事者本人の行為。ただし正当事由と立退料のルールは同じ |
線引きの核心は、「業者が交渉の主体になっているか」です。伝達や取次ぎにとどまるなら問題になりにくく、金額を提示し、説得し、書面を作って署名を求めているなら、その業者は法律事務を取り扱っている可能性が高いといえます。
非弁業者が現れたときの対応
図1 弁護士でない交渉人が現れたときの対応
- 1相手の氏名・所属・立場を確認し、記録する名刺、委任状、貸主との契約関係。「貸主の代理人か」「報酬を得ているか」を尋ね、答えを記録する。貸主の従業員なのか、外部の業者なのかで評価が分かれる。
- 2その者が交渉主体として振る舞っているかを見る金額の提示、増減の交渉、退去の説得、書面の作成と署名の要求があれば、法律事務に当たる可能性が高い。
- 3適法性を書面で指摘し、貸主本人または弁護士との交渉を求める「貴社が報酬を得て立ち退き交渉を業として行うことは弁護士法72条に抵触する可能性があるため、以後の協議は賃貸人本人または弁護士との間で行うことを求める」という趣旨を、貸主と業者の双方に書面で送る。この指摘によって、貸主側は交渉体制を組み替えざるを得なくなる。
- 4交渉の相手を適法な主体に限定させる貸主本人が交渉に出てくれば、その意思決定の構造が直接見える。弁護士が出てくれば、法律に基づいた交渉になり、根拠のない圧力は減る。どちらに転んでも、非弁業者との交渉より借主側に有利な場になる。
交渉の相手方を適法な主体に限定させること自体が、借主の防御。
非弁業者が交渉の窓口から外れると、貸主側の交渉力は一時的に低下します。業者の「手慣れた」圧力が消え、貸主本人か弁護士が法律に基づいて話をする場になるからです。この対応は、感情的な拒絶ではなく、法律上の適法性の問題を冷静に指摘するものであり、借主側の交渉ポジションを整える有力なカードです。
相手が弁護士のとき、自分が弁護士を立てるとき
貸主側に弁護士が就いた場合、交渉は法律に基づいたものになります。弁護士名義の通知は迫力がありますが、それは貸主の依頼を受けて貸主に有利な主張を書いているのであって、その主張が正しいと第三者が認めたわけではありません。弁護士が就いたからといって、正当事由と立退料のルールが変わることはありません。
借主側が弁護士を立てる時期は、「返事をする前」が原則です。第4講で見たとおり、初回提示額と最終解決額が大きく異なることは珍しくなく、その差は多くの場合、弁護士費用を上回ります。もちろん、事案の規模によって費用対効果は異なりますので、初回相談で見通しと費用を確認したうえで判断してください。当事務所では、合意書のレビューのみのご依頼もお受けしています。
借主側に弁護士が就くと、貸主側の弁護士は、正当な理由なく借主本人と直接交渉することができなくなります(弁護士職務基本規程52条)。借主本人への直接の接触が止まり、交渉は代理人同士で法律に基づいて進むことになります。これだけでも、借主の負担は大きく軽くなります。
PRACTICE NOTE
回答書の骨子
最初の回答書に盛り込む要素を挙げます。文面は事案に応じて調整しますが、退去に応じるかどうかの見解は含めません。
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| 要素 | 記載の趣旨 |
|---|---|
| 受領の確認 | 「○年○月○日付の貴通知を○月○日に受領した」。到達日を自分の側からも記録に残す |
| 手続についての留保 | 通知の時期が26条1項の通知期間の枠外であれば、「本通知は同項の通知期間内にされたものではなく、契約は同条により更新されたものと理解している」旨(第14講) |
| 資料の開示要求 | 耐震診断書、建替え計画、自己使用の具体的内容、提示する立退料の内訳と根拠など(第9講) |
| 契約の継続と賃料の支払い | 「契約は継続しているものとして、賃料は従前どおり支払う」旨。受領を拒む場合は供託する旨 |
| 今後の対応 | 「開示を受けたうえで、当方の見解を改めて書面で回答する」。期限を切られている場合は、その期限に法律上の意味がないことを前提に、検討中である旨 |
| 窓口の指定 | 連絡は書面で、指定の宛先に。自宅・店舗への予告なき来訪は控えるよう求める。弁護士に依頼済みなら弁護士宛て |
| 相手の立場の確認 | 差出人が貸主本人でない場合、その立場と代理権の根拠の明示を求める。非弁の疑いがあればその指摘 |
回答書は、配達証明付きの内容証明郵便で送るのが確実です。控えを保存し、以後のやりとりはすべて書面で行う流れを作ってください。
実務チェック
- いかなる書面にも署名しておらず、渡された書面はすべて持ち帰って写しを保存した。
- 口頭で退去の意向を示しておらず、面談・電話の内容をその日のうちに記録している。
- 通知に対して、受領の確認・資料の開示要求・書面での回答予定を記載した回答書を送った。
- 賃料は従前どおり払い続けている。
- 面談の日時・場所・同席者はこちらで設計し、営業中や自宅への予告なき来訪は断っている。
- 交渉相手の氏名・所属・立場・代理権の根拠を確認し、弁護士でない業者が交渉主体になっていれば、その適法性を指摘して貸主本人または弁護士との交渉を求めた。
- 返事をする前に専門家に相談し、窓口を一本化することを検討した。
よくある質問
管理会社の担当者が来て「建替えのお知らせを受け取った確認のサイン」を求めています。サインしてよいですか。
本文を読んでください。「受領した」という事実の確認にとどまる文言なら、受領書としての意味しかありませんが、「内容を了承した」「計画に同意する」といった語が含まれていれば、退去への同意と主張される火種になります。判断に迷えば、持ち帰って専門家に見せてから回答すると伝えてください。受領の事実は、相手が配達証明を取ればそれで足りるのですから、借主がその場でサインしなければならない理由はありません。
貸主から委託されたという「コンサルタント」が、立退料の金額を提示してきました。この人と交渉してよいですか。
その人物が弁護士でなく、貸主の従業員でもなく、報酬を得て立ち退き交渉を業として行っているのであれば、その活動は弁護士法72条に抵触する可能性があります。最高裁は、ビルの所有者から委託を受けて賃借人らとの立ち退き交渉を業として行った不動産業者について、弁護士法違反の罪の成立を認めています(最決平成22年7月20日)。相手の立場と報酬の有無を確認して記録し、貸主本人または弁護士との交渉を求める旨を書面で伝えることをお勧めします。
相手の話を録音しても問題ありませんか。
自分が当事者として参加している会話を、相手の同意なく録音することは、それ自体が違法となるものではなく、裁判の証拠としても一般に用いられています。面談や電話の内容は、後に「言った」「言わない」の争いになりやすく、録音は有力な記録手段です。あわせて、日時・場所・出席者・発言内容のメモも残してください。
弁護士に頼むと、大家との関係が決定的に悪くなりませんか。
借主側に弁護士が就くことは、権利の確認と条件の交渉を法律に基づいて行うための手段であり、対立を煽るものではありません。むしろ、感情的なやりとりが代理人同士の冷静な交渉に置き換わり、貸主側にとっても見通しが立てやすくなる面があります。事業者である貸主の多くは、法的に的確な主張をする借主に対して、社内で増額の根拠を説明しやすくなります(第19講)。関係を悪くするのは弁護士を立てることではなく、感情的な対立と、根拠のない主張の応酬です。
弁護士費用を払うと、立退料が増えても手元に残らないのでは。
事案の規模によります。初回提示額と最終解決額の差が数百万円から数千万円になる事案では、弁護士費用を差し引いても手元に残る額は大きく増えるのが通常です。他方、住居の簡易な事案で差額が小さいと見込まれる場合には、合意書のレビューだけを依頼するなど、関与の範囲を絞ることも選択肢です。初回相談で見通しと費用の見積りを確認し、費用対効果を判断してください。返事をする前に相談することだけは、事案の規模を問わず、お勧めします。
この講の主な根拠条文・裁判例・資料
- 弁護士法〔e-Gov法令検索〕72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)、77条3号(罰則)
- 借地借家法〔e-Gov法令検索〕26条、27条、28条
- 民法〔e-Gov法令検索〕90条(公序良俗)、95条(錯誤)、96条(詐欺又は強迫)、494条(供託)
- 弁護士職務基本規程52条(相手方本人との直接交渉の禁止)
- 最判昭和38年6月13日弁護士資格のない者との契約で弁護士法72条本文前段・77条に抵触するものは公序良俗違反により無効とした判例
- 最決平成22年7月20日刑集64巻5号793頁弁護士資格のない不動産業者がビル所有者から委託を受けて賃借人らとの立ち退き交渉を業として行った事案について、立ち退き合意の成否・時期・立退料の額をめぐって法的紛議が生ずることがほぼ不可避である案件であったとして、弁護士法72条の「その他一般の法律事件」に関するものと認め、同条違反の罪の成立を認めた決定
条文のリンクは法令本文へ移動します。記載の条番号から各規定をご覧ください。裁判例の原文は、裁判所ウェブサイトの裁判例検索や判例集で裁判年月日から確認できます。本講の記載は執筆時点の法令・裁判例に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。
公開日 2026年8月9日/改訂日 2026年9月23日 執筆者 坂本龍亮、お問い合わせ先:info@meitoku-law.jp