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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第80講】

示談か訴訟か ― 医療事故をどう終わらせるか

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第80講 示談か訴訟か― 医療事故をどう終わらせるか

第Ⅷ部 医療事故・紛争対応

医療事故の紛争をどう終わらせるか。示談か、調停・ADRか、訴訟か。この判断は、法的な責任の見通しだけでは決まりません。金額、時間、評判、職員への影響、再発防止、そして患者・家族との関係——複数の要素を、経営者として天秤にかけることになります。

この講は第Ⅷ部の締めくくりとして、解決方法の違いと判断の軸を整理します。責任の見通しと、時間・費用・患者や職員への影響を合わせて検討します。話し合いにも裁判にも役割があり、事案に合った方法を選ぶことが大切です。

例えば、調査の結果、説明の不足と確認の不備があったことが分かりました。患者側の代理人からは、損害賠償の請求額が示されています。
保険会社は「示談で解決したほうがよい」と言い、担当医は「自分に過失があったとは思えない、争いたい」と言い、職員は「早く終わらせてほしい」と言います。
院長は、決めなければなりません。

1 出口の選択肢

手段特徴と選び方
示談(和解)当事者が対象と条件を合意して解決する。通常の裁判外の示談では裁判所は関与しない。手続は公開の法廷で行うものではないが、早期解決や秘密保持が自動的に保証されるわけではない。
検討する場面:責任の見通しがある程度立ち、金額の折り合いがつく場合。早期解決を優先する場合。
医療ADR・調停弁護士会等の医療ADRや裁判所の民事調停で、第三者の関与のもとに話し合う。通常、手続は非公開。利用条件、費用、合意の効力は制度ごとに確認する。
検討する場面:直接の交渉が難航しているが、訴訟までは望まない場合。感情的な対立が強く、第三者の関与が必要な場合。
訴訟証拠に基づき裁判所の判断を求める。口頭弁論と判決の言渡しは原則公開。途中で和解することもある。期間は争点、証拠、審級等によって異なる。
検討する場面:責任や損害の評価が対立し、合意が難しい場合。証拠に基づく裁判所の判断が必要な場合。

訴訟の途中で裁判上の和解をすることもできます。裁判上の和解や成立した民事調停には、法令に従った調書等により、確定判決と同様の効力が認められます(民事訴訟法267条、民事調停法16条)。通常の裁判外の合意書だけでは直ちに強制執行できないため、支払の確実性も含めて方法を検討します。

2 判断の軸 ― 六つ

①責任の見通し。診療上の注意義務、説明義務、因果関係、損害を分けて整理します。「担当医が過失を認めない」ことも「悪い結果が起きた」ことも、それだけでは結論になりません。医学的な評価は専門医の意見等を踏まえ、法的な評価は弁護士と検討します。

②金額。示談で支払う額と、訴訟で認められ得る額(勝訴・敗訴の幅)と、訴訟にかかる費用(弁護士費用・時間・職員の負担)。保険の支払限度額との関係。

③時間。示談でも長期化する場合があり、訴訟でも早く和解する場合があります。想定される期間、今後の作業、院長・担当医・職員の負担を具体的に確認します。診療への影響や心身の負担を減らす支援も必要です。

④情報の扱いと評判。訴訟では公開の口頭弁論や記録の閲覧が問題になりますが、すべての手続や資料が無制限に公開されるわけではありません。示談も、当事者が公表する可能性はあります。必要な説明と個人情報の保護を両立させ、秘密保持が必要なら範囲と例外を合意します。

⑤再発防止。法的責任を争うことと、安全上の改善を拒むことは別です。責任の有無が争われていても、確認できた問題への改善と職員への適切な共有は進めます。解決方法にかかわらず、事実を隠さず報告できる体制を守ります。

⑥患者・家族との関係。何を知り、何を求めているのかを直接確かめます。金銭、説明、謝罪、再発防止など、希望は事案ごとに異なります。説明や必要な治療は示談の成立を条件にせず、実現できることとできないことを誠実に伝えます。

3 示談を選ぶなら ― 合意書の中身

示談は、誰と誰が、どの請求を、どの条件で解決するかを明確にします。患者本人、相続人、固有の請求を持つ家族、法人、勤務医など、当事者と代理権を確認してください。未成年者等が当事者になる場合や代理人との利益が対立する場合にも、適切な代理の確認が必要です。主な検討事項は次のとおりです。

  • 当事者と対象の特定——誰が当事者・代理人で、どの事故と請求を合意の対象にするか。合意に参加していない人の請求まで、当然に消滅するわけではない。
  • 支払——金額、支払方法、時期。分割なら期限と遅延時の扱い。
  • 責任についての記載——認める事実や責任の範囲、争いを残して解決する趣旨を明確にする。責任を認めない解決金でも、当然に保険で支払われるわけではない。必要な保険上の協議・承認を行う。
  • 清算条項——合意により解決する請求の範囲を明確にする。後遺症や将来の治療費が未確定なら、評価できる時期を待つか、一部の請求を留保するかも検討する。「一切解決」と書けば、未知の損害まで必ず争えなくなるわけではない。
  • 守秘条項——秘密にする情報、共有できる相手、必要な例外を定める。法令上の届出・報告、裁判所等への適法な提出、弁護士・保険会社等への必要な相談を妨げる内容にしない。
  • 再発防止の約束——合意に含める場合は、実行できる具体的な対応と説明方法を定める。合意の有無にかかわらず、必要な安全対策や法定の報告は続ける。

合意書は、当事者・権限、損害の範囲、支払条件、清算の範囲を弁護士と確認し、保険契約上必要な承認を得て締結します(第79講)。院長本人が作成すること自体が禁止されるわけではありませんが、ひな型の文言だけで重大な事故を処理することは避けてください。

4 訴訟に備える ― 期間・記録・職員の支援

訴訟になった場合は、次の点を確認し、期限を守って対応します。訴状を受け取ったら、放置せず速やかに弁護士へ連絡してください。

時間と人の負担。審理が長期化し、担当医の尋問が必要になる場合もあります。ただし、すべての事案で数年を要し、担当医が出廷するわけではありません。書面・証拠の準備に必要な時間を確保し、担当医や職員を支援します。

記録。争点に関係する診療録、画像、説明記録等を整理し、原記録と追記・訂正の履歴を保全します(第72講)。記録の不備があれば、その経緯を正確に確認します。記録に問題があるというだけで、直ちにすべての争点で敗訴が決まるわけではありません。

公開と情報保護。口頭弁論と判決の言渡しは原則公開ですが、準備手続まで一律に公開されるわけではありません。全判決が実名付きでインターネットに掲載されるわけでもありません。私生活上の重大な秘密等については、要件に応じて記録の閲覧制限も検討します(民事訴訟法92条)。

結果の不確実性。勝訴を確信していても、裁判所の判断は別です。敗訴した場合、示談で解決していた場合より高い賠償額が認められることもあります。

話し合いで解決できず、裁判所の判断が必要になる場合もあります。自分たちの見通しだけに頼らず、不利な証拠や相手の主張も検討し、和解の可能性を含めて方針を見直してください。

5 刑事との関係

医療事故が業務上過失致死傷(刑法211条)等の刑事事件になる場合、民事とは別の手続で判断されます。示談や被害弁償が情状として考慮されることはありますが、業務上過失致死傷は被害者の告訴を要する犯罪ではなく、示談や告訴の取下げだけで捜査・起訴が当然に止まるわけではありません。法定の届出・報告も示談で免除できません。刑事対応が必要なら早めに弁護士へ相談します。

6 第Ⅷ部を終えるにあたって

第Ⅷ部では、医療事故が起きた際に経営者が担う初動と手続を扱いました。適切な治療、医学的な原因分析、誠実な説明、法的な手続はいずれも必要です。手続を整えることは、診療上の問題の検証に代わるものではありません。

救命を優先した並行対応、記録の保全、事実と責任の区別、制度に沿った調査と報告、説明・開示、保険、解決方法の選択。これらを通じて、患者・家族に誠実に向き合い、職員を支え、再発を防ぐことが大切です。次の第Ⅸ部では、診療報酬と指導監査・行政対応を扱います。

7 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • 出口の判断を、責任の見通しだけでなく六つの軸で整理する
  • 患者・家族が何を求めているか(金銭・説明・謝罪・再発防止)を確認する
  • 示談するなら、当事者と締結権限、合意書の範囲、保険の条件を弁護士等と確認する
  • 訴訟を選ぶなら、担当医の負担と記録の状態を確認する

やってはいけないこと

  • 「勝てるかどうか」だけで出口を決める
  • 担当医の「争いたい」という感情だけで訴訟を選ぶ
  • 当事者・権限・将来の損害を確認せず、ひな型だけで合意する
  • 示談を、職員に説明なく「なかったこと」にする

8 よくある質問

担当医が示談に反対しています。院長の判断で進めてよいですか。
法人が当事者の場合、締結権限は代表者や適法に権限を与えられた代理人にあります。医療法人では通常は理事長が代表し、院長という役職だけで当然に示談できるわけではありません。法人内部の承認手続も確認します。勤務医個人を当事者とするなら、その本人又は権限ある代理人の合意が必要です。法人だけでの合意が勤務医の責任に及ぼす影響も、弁護士と整理してください。
示談金の相場はありますか。
すべての事故に共通する一律の相場はありません。治療費、休業損害、逸失利益、慰謝料、将来の介護費等を、診療内容、患者の状態、過失や因果関係の見通し、裁判例等を踏まえて評価します。請求された額や保険の限度額だけを基準にせず、弁護士・保険会社と検討してください。
家族が「お金はいらない、謝ってほしいだけだ」と言っています。
希望を尊重し、確認できた事実の説明、必要な謝罪、再発防止を誠実に進めます。ただし、その発言だけで損害賠償請求を放棄したとは扱わないでください。金銭を伴わない合意をする場合も、本人の意思と権限を確認し、何を解決し、何を残すかを明確にします。謝罪や説明を受ける条件として、安易に全面的な権利放棄を求めないことが大切です。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 民法

    415条・709条・715条の損害賠償、695条・696条の和解等。契約、委任、責任、相続・財産分与。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  3. 刑法

    211条の業務上過失致死傷、証拠隠滅、秘密漏示等。成立要件と対象を区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045

  4. e-Gov法令検索:民事調停法

    16条の調停の成立・効力、18条・24条の2・34条等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC1000000222
  5. e-Gov法令検索:民事訴訟法

    92条の閲覧制限、220条・224条の文書提出、234条・240条の証拠保全、247条の証拠評価、267条の和解、368条・382条等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/408AC0000000109
  6. 最高裁昭和43年3月15日判決(示談後の損害)

    昭和40年(オ)第347号。損害を把握し難い段階で早急に少額の示談をした事案で、予想できなかった後遺症等の請求を認めた判断。

    https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-53980.pdf

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