『税理士法人・社労士法人の内部紛争30講 ― 共同経営「解消」の教科書 ―』【第7講】
「今すぐ辞める」は通るのか
― 「やむを得ない事由」による即時脱退への備え ―
内容証明郵便が届きました。「貴法人における社員間の信頼関係は既に回復不能な程度に破壊されており、会社法606条3項にいうやむを得ない事由が存在する。よって当職は本書面をもって退社する。持分の払戻しについては追って通知する」。
第6講で見たとおり、社員が自分の意思で辞めるには、6か月前の予告と事業年度末という時間のルールがあります。相手がそれを飛び越える唯一の一方的な手段が、この「やむを得ない事由」による即時退社です。残る側がこの主張にどう向き合うかで、時間の武器が生きるか死ぬかが決まります。そして意外なことに、この主張は残る側にとって、逆手に取る余地のある主張でもあります。
1 会社法606条3項の構造
会社法606条3項は、「やむを得ない事由があるときは、各社員は、いつでも退社することができる」と定めています。税理士法48条の21第1項、社労士法25条の25第1項によって士業法人に準用されています。
この規定の趣旨は、無限責任を負う社員を、その意思に反していつまでも法人に縛りつけるのは酷である、という点にあります。持分会社の社員は、株式会社の株主と違って持分を自由に譲渡できず、しかも法人の債務について全財産で責任を負います。そうした社員に、6か月前予告と事業年度末のルールを機械的に適用すれば、耐えがたい状況に1年以上置かれることになりかねません。そこで、真にやむを得ない事由があるときに限って、予告なしの即時退社を認めたのです。
条文の性質として、3つの点を確認しておきます。第一に、これは社員の一方的な意思表示で効力を生じる形成権です。相手の同意も、裁判所の許可も要りません。第二に、しかし「やむを得ない事由」の存在が客観的に要求されるため、事由がなければ退社の効力は生じず、その社員は依然として社員のままです。第三に、事由があるかどうかは、争いになれば最終的に裁判所が判断します。つまり、相手が内容証明で「退社する」と宣言しても、それだけでは何も確定していません。
2 「やむを得ない事由」の判断材料と、解散請求との違い
即時退社では、単に退社を望むことと、予告期間等を待たずに社員関係を終える必要性を区別します。具体的な判断材料は、入社時の前提、事情の変化、業務や健康への影響、対立の程度・継続期間、是正の可能性です。
文献上も、その範囲を狭く見る立場と、社員を取り巻く事情を広く考慮する立場が区別されています。
小西みも恵「合同会社における少数派社員の保護」(法と政治63巻1号、2012年)115頁は、社員個人の事情に限る旧来の見方と、会社側の事情を含めて総合考慮する見方を紹介し、単なる翻意と入社時等の前提の著しい変化を分けています。同論文は合同会社を対象とし、無限責任の合名会社との違いにも触れています。これを、士業法人についての一律の判定表と扱ってはいけません。
本講の当てはめとしては、重い疾病で職務継続が難しい場合、違法行為への加担を継続的に強いられる場合、重要な業務からの排除や深刻な対立が続き是正の見通しがない場合には、その程度と退社の必要性を資料で確認します。報酬や経営方針への不満も、名称だけで排除せず、合意違反の重大性、継続性、健康・財産への影響を検討します。単に条件を変えたいという事情だけで即時退社の要件が満たされるとは限りません。
解散請求は法人全体を終了させる制度で、個人の退社とは効果が違います。最高裁昭和61年3月13日判決の解散に関する判断を、そのまま606条3項の必要条件や立証基準に置き換えません。退社の可否は606条、解散の可否は833条2項に即して別に検討します(第24講)。
3 残る側の反論の組み立て
それでも、争う場面では争わなければなりません。残る側の反論は、次の4つの柱で組み立てます。
柱① 事由の不存在 ― 対立はあるが、業務は回っている
「信頼関係が壊れた」という表現だけでは足りません。出来事、日付、関係者、業務への支障、是正の申入れを確認します。ただし、売上が維持されている事実だけで疾病や重大な権利侵害による即時退社を否定することもできません。
柱② 事由を作ったのは相手側である
対立がどちらの行為に由来するかは、具体的な経過から評価します。相手の義務違反や信義則違反は反論材料になりますが、「本人にも原因がある」ことだけで606条3項の利用が常に排除されるとはいえません。
柱③ 予告ルールの潜脱に対する警戒
即時退社の主張が、実は独立の準備期間を短縮するためのものではないか、という視点です。相手が既に新法人の設立準備を進めている、事務所物件を押さえている、顧問先に個別の面談を重ねている、といった事情があれば、「やむを得ない事由」の主張は、競業禁止に縛られる期間を切り詰めるための道具として使われている可能性があります。そのような主張は、606条3項の趣旨(意に反する拘束からの解放)とは無縁であり、保護に値しないと論じます。
柱④ 仮に退社が認められても、清算計算と義務違反は別問題
最後に、退社の効力を争いつつ、仮に即時退社が認められたとしても、持分払戻しの計算(第12講以下)と、在任中の義務違反に基づく損害賠償(第16講)は、まったく別の問題として残ることを明確にしておきます。相手はしばしば「即時退社」と「自分に有利な清算」を一体のものとして要求してきますが、切り離して扱うのが残る側の基本姿勢です。
4 逆転の発想 ― あえて即時脱退を認めて基準日を固定する
ここまでは「争う」前提で書いてきました。しかし、残る側には、もうひとつの選択肢があります。相手の即時脱退を、総社員の同意という形で受け入れ、その代わりに脱退の効力発生日=持分払戻しの基準日を、こちらに有利な日に固定する、という選択です。
持分の払戻額は、「退社の時における持分会社の財産の状況に従って」計算されます(会社法611条2項の準用)。基準日が動けば、計算の土台が動きます。
第13講と同じく、当初の法人価値5,000万円、双方の持分50%、顧客流出による価値減少1,200万円という設例で比較します。税金、時間価値、別途の損害賠償債権はここでは除きます。
早い時点で払戻額を2,500万円に固定し、その後に1,200万円の価値が失われれば、残る法人の価値は5,000−2,500−1,200=1,300万円です。流出後の3,800万円を基準に払い戻すなら、払戻額も残る価値も1,900万円になります。早期分離によって流出自体を防げるなら、早い基準日でも残る価値は2,500万円です。したがって、早い基準日自体が有利なのではなく、業務の安定と価値減少を防ぐ条件に意味があります。
実際には、早期分離で守れる顧客、払戻資金、税理士法人の6か月ルール、在任中の義務違反に基づく請求を同時に検討します。違法な損失を別途回収する場合には、その債権の評価と相殺をつなぎ、二重計上を避けます(第16講)。
5 時間で戦うか、基準日で戦うか
相手が即時脱退を主張してきたとき、残る側の選択は、大きく次の2つに分かれます。
| 選択 | 向いている状況 | 得られるもの・失うもの |
|---|---|---|
| A 即時退社の効力を争う | 具体的な事由や通知内容に争いがあり、定款・606条に基づく時期を確認する必要がある | 調査と引継ぎの期間を確保し得るが、争う意思表示だけで脱退を止められるわけではない。対立継続による損失も見積もる。 |
| B 合意で時期・条件を確定する | 後任・業務分担・払戻資金を整え、早期分離の利益が見込める | 関係を早く整理できる一方、高い価値で払戻額が固定される負担、競業禁止の終了、6か月ルールを計算する。 |
どちらを選ぶにせよ、大切なのは、相手の主張に反射的に「認めない」と答えることでも、「わかった」と応じることでもなく、自分の法人にとってどちらが有利かを計算してから答えることです。相手が内容証明で期限を切ってきても、回答を急ぐ法的な義務はありません。
6 回答書の骨子 ― 2つの型
選択に応じた回答書の骨子を示しておきます。いずれも、実際の文面は事案に即して弁護士が作成することを前提とした、構成の説明です。
A型 即時退社の効力を争う場合
通知のどの事実を争うか、追加資料が何か、現時点の法的見解を示します。「同意しないので効力は生じない」とは書きません。退社日が争われる間の顧客対応・申請権限を暫定合意し、退社の効力が認められた場合の払戻しと損害賠償の権利を留保します。
B型 条件付きで即時脱退に応じる場合
冒頭で、通知書の「やむを得ない事由」の主張には同意しないが、当法人としては、総社員の同意による脱退(税理士法48条の17第3号/社労士法25条の21第3号)として、〇年〇月〇日を効力発生日とする脱退に応じる用意があることを述べます。次に、その前提条件として、持分払戻しの基準日を効力発生日とし計算方法を別途協議すること、承継する顧客のリストを確定し共同で通知すること、リスト外の顧客・従業員への勧誘を一定期間行わないこと、法人の借入れに係る連帯保証の処理、法人のデータ・ID・証明書の返還を、脱退合意書で定めることを列挙します。そして、合意書の締結までは退社の効力は生じておらず、社員としての義務が継続することを明記します。この最後の一文が、相手が合意書の締結前に動き出すことへの歯止めになります。
残る側の視点で押さえておくこと
606条3項の要件があれば、退社に残る側の同意は不要です。争う場合も事実・効力日・暫定運営を分けて対応します。早い基準日が必ず残る側に有利というわけではなく、払戻額と分離後に残る価値を同じ設例で比較してください。
【本講で引用した主な法令・裁判例】税理士法48条の14・48条の17・48条の21/社会保険労務士法25条の18・25条の21・25条の25/会社法606条・611条・833条/最高裁昭和61年3月13日判決(民集40巻2号229頁)
【判断材料の出典】小西みも恵「合同会社における少数派社員の保護」法と政治63巻1号(2012年)114〜115頁。同論文が紹介する各説と、本講の士業法人への当てはめを区別した。