第128講 病院の土地建物だけ親が持っている― 事業承継の見落とし
第ⅩⅢ部 相続・事業承継・院長の万一
診療所の土地建物が親個人の所有である場合、理事長交代や持分の処理だけでは、不動産の承継は終わりません。誰が所有し、法人はどの契約で使い、親の死亡・病気・売却にどう備えるかを整理します。所有権を移す方法だけでなく、親が所有を続けて利用関係と相続を整える方法もあります。
この講では、土地建物が親名義であることで承継にどんな穴が空くのか、誰が持つのが望ましいのか(法人か、後継者か、他の相続人か)、移し方の選択肢(売買・贈与・相続・賃貸借の継続)と税務、そして相続時に他の相続人との公平をどう作るかを整理します。第119講(配偶者・親名義と使用貸借)と第125講(兄妹の公平)を、承継の場面で結び直す講です。
例えば、父から息子への理事長交代と持分なし移行が済んだものの、診療所の土地建物は父の所有のままだったとします。法人は賃料を払っていました。遺言がないまま父が亡くなり、相続人の母・息子・娘の間で、誰が不動産を取得するかが問題になりました。娘は売却を希望していますが、それだけで売却や法人の退去が決まるわけではありません。
1 承継に空く穴
| 場面 | 何が起きるか |
|---|---|
| 親の死亡・遺言なし | 土地建物は遺産分割の対象。他の相続人が売却・分割・賃料の引上げを主張する。法人は賃借人として借地借家法の保護を受けるが、所有者が変われば賃貸人が変わる。共有になれば、共有者間の対立が賃貸借に及ぶ。 |
| 親の死亡・遺言で後継者に | 有効な遺言により取得先を定められる。他の財産・贈与・債務等も含めて遺留分侵害額を計算し、請求がある場合の支払原資と必要な登記等を準備する。 |
| 親の認知症 | 病名だけで契約能力が失われるわけではない。個別の判断能力と意思を確認し、必要に応じて後見等を利用する。既存の賃貸借が直ちに失効することもなく、法定更新や代理による管理等を検討する。 |
| 賃料の適正性 | 高額な賃料には、対価の相当性、利益相反、課税、認定制度上の特別な利益供与等の検討が必要。低額・無償の場合も、土地と建物、契約・権利金の有無、当事者を分けて判断する。低賃料がすべて贈与や借地権認定課税になるわけではない。 |
| 親の借入・担保 | 債務者・保証人と不動産の担保設定を分けて確認する。親自身の債務は原則として相続の対象で、第三者の債務を担保する不動産である場合もある。担保の実行と法人の賃借権の順位を調べる。 |
| 第三者承継 | 法人を存続させる承継と事業譲渡を区別し、物件の使用権、契約期間、賃料、担保・対抗要件を確認する。所有者が別であることだけで価値が一律に決まるわけではない。 |
2 誰が持つのが望ましいか
| 名義 | 内容 |
|---|---|
| 法人 | 利点:法人が所有すれば、親族所有者との賃貸借やその相続に伴う調整を減らせる。ただし法人自身の債務・担保実行等のリスクは残る。 難点:売主側の譲渡所得、法人側の取得資金・税・諸費用を試算する。購入は現金の減少や借入の増加も伴うため、取得価額だけ持分評価が上がるわけではない。 |
| 後継者個人 | 利点:後継者が所有し、法人に賃貸する。法人と個人の財産が分かれ、後継者個人の資産形成にもなる。 難点:相続で取得させるなら、遺産全体の配分、遺留分、納税資金を検討する。後継者自身の将来の相続にも備える。生前の売買等を選ぶ場合は、その資金・税務を別に比較する。 |
| 他の相続人(娘等) | 利点:公平を作りやすい。娘は収益不動産を得る。 難点:売却後も対抗できる賃借権があるか、先行担保権や契約条件を確認する。優先買取り・売却通知等の合意も選択肢だが、合意だけで第三者への売却を当然に無効にできるわけではない。 |
| 親名義のまま | 利点:直ちに所有権を移す費用は不要。賃貸借、管理、将来の相続・売却への備えは必要。 難点:親の意思・生活資金と法人の利用継続を両立させ、遺言や管理体制を整える。 |
所有権を法人へ移す方法が常に最善とは限りません。取得費用、税、借入、家族の生活と将来の相続を比較し、所有と利用の双方を整えます。
3 移し方の選択肢と税務
| 方法 | 内容 |
|---|---|
| 法人への売買 | 内容:親が法人に時価で売る。法人は資金(借入)を用意する。 税務の要点:個人から法人への低額譲渡では、所得税上、対価が時価の2分の1未満なら原則として時価で譲渡したものとみなされる。法人側の受贈益等は別に検討する。取得税・登記費用、建物の消費税の取扱い等も確認する。 |
| 後継者への売買 | 内容:親が後継者に時価で売る。後継者が資金を用意する。 税務の要点:売主に譲渡所得の課税が問題となる。個人間の著しい低額譲受けでは、時価との差額について贈与税が問題となり、「2分の1未満」という法人への譲渡の基準で判断しない。価格の根拠と資金・返済実態を残す。 |
| 後継者への生前贈与 | 内容:親が後継者に贈与する。 税務の要点:贈与税と登記・取得に伴う税等を試算する。相続時精算課税には対象者・選択手続等の要件があり、2024年以後は年110万円の基礎控除、累計2,500万円の特別控除、超過部分20%の税率がある。相続時の加算、暦年課税に戻れない点、特別受益・遺留分も検討する。 |
| 遺言で後継者に | 内容:親の死亡時に後継者が取得。 税務の要点:土地等には、小規模宅地等の特例が適用される場合がある。貸付事業用と特定同族会社事業用では、法人・取得者・用途等の条件と減額範囲が異なる。建物そのものへの評価減ではない。遺留分と登記も別途確認する。 |
| 賃貸借の継続+遺言 | 内容:親名義のまま、法人が賃借を続け、遺言で承継先を定める。 税務の要点:賃料の適正性。親の判断能力があるうちに遺言。上記の相続税・遺留分。 |
| 家族信託 | 内容:親を委託者として土地建物を信託する。受託者と受益者、管理・処分の目的と権限を定め、本人の生活と法人との利益相反にも配慮する。 税務の要点:親を当初の受益者とする信託でも、登記等を含めすべて無税とは限らない。受益者が変わる時の贈与税・相続税、収益への課税、終了時の帰属を整理する。信託にすれば遺留分を回避できるわけではない。 |
親の意思・判断能力、家族構成、物件の権利関係、法人の資金力、税額をそろえて比較します。法務と税務の検討が食い違わないよう、関係する専門家で前提を共有します。
4 相続時の公平
土地建物を後継者に集中させれば、他の相続人との公平の問題が生じます。第125講と同じ構造ですが、土地建物には固有の解決策があります。
- 土地と建物を分ける 建物を法人が買えば、親の財産には売却代金や代金債権が残るため、相続財産が建物分だけ消えるわけではない。土地利用の契約を整え、相当の地代や無償返還の定め・届出を含めた課税を検討する。
- 他の相続人が所有する 娘が取得して法人に貸す方法もある。ただし他の遺産・取得額・合意内容によっては代償金や遺留分の問題が残る。賃料、修繕、契約期間、売却時の通知等を協議する。
- 共有する場合の備え 管理・変更・売却・共有物分割と費用・賃料の配分を整理する。共有が必ず紛争になるわけではないが、意見が割れた場合や次の相続も想定し、単独所有と比較する。
- 代償金の準備 不動産を取得する相続人が他の相続人へ支払う場合は、評価額、取得割合、個人の資金、借入・分割払いの条件を決める。法人が負う債務と混同し、法人資金を無断で支払に使わない。
5 冒頭の事案 ― どう収めるか
設例では、まず相続人・遺産・遺言の有無、不動産評価、賃貸借と担保を確認します。娘の売却希望だけで法人が直ちに退去するわけではありません。法人の使用権を守る対応と、相続人間の遺産分割を分けて進めます。
- 息子が取得する案 他の遺産・債務・贈与等も踏まえ、代償金と資金調達を協議する。土地建物の価格に法定相続分を掛けた額に必ず決まるわけではない。
- 法人が購入する案 売主側の権利・合意と法人側の必要な決議、利益相反、価格・資金・税務を整える。代金の配分は、遺産全体と分割の合意内容に応じて決める。
- 娘が土地建物を取得し、法人が娘に賃料を払い続ける(賃貸借契約と優先買取権を整える)。
- 母が取得する案 母の住まい・生活資金も考慮し、賃貸借と次の相続への備えを整える。単なる先送りとは限らない。
どの案も、関係者の権利と合意、資金・税務の条件を満たす必要があります。生前の準備は調整を減らす助けになりますが、遺言があれば交渉や争いが一切なくなるわけではありません。
6 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 診療所の土地建物の登記名義と、法人との賃貸借契約の有無・賃料を確認する
- 親名義なら、親の年齢・判断能力・相続人の構成を踏まえ、誰が持つべきかを決める
- 移し方(売買・贈与・遺言・信託)の税額を税理士に試算してもらう
- 親が生前に遺言を書く。土地建物の承継先と、他の相続人への配慮を含めて
やってはいけないこと
- 理事長交代と持分の処理で承継が終わったと考える
- 土地建物を親名義のまま、遺言もなく放置する
- 管理・費用・売却・分割のルールを検討せず、便宜的に共有とする
- 本人の理解と意思を確かめないまま、贈与・売却等への署名を求める
7 よくある質問
- 親から法人に土地建物を売る場合、法人に資金がありません。
- 法人の購入が必要か、賃貸借継続で目的を達成できないかを比較します。購入するなら、手元資金、融資条件、返済原資、個人保証・担保を検討します。現在の賃料を払えているだけで、購入融資が承認されるとは限りません。
- 小規模宅地等の特例で、相続税を減らせると聞きました。
- 要件を満たせば、貸付事業用宅地等は200㎡まで50%、特定同族会社事業用宅地等は400㎡まで80%の評価減があります。後者には被相続人・親族等の出資割合が50%超である法人の要件などがあり、持分なし法人にもそのまま適用できるものではありません。取得者の役員・保有要件、貸付・事業の継続、他の宅地との併用、申告・添付書類を確認します。相続時精算課税の贈与で取得した宅地等は対象外です。
- 親名義の建物を法人が増改築し、費用を法人が負担してきました。
- 支出の内容、賃貸借上の負担、所有関係、付合、費用償還の合意等を確認します。法人負担だから必ず親への贈与になるわけでも、後から貸付金と呼べば解決するわけでもありません。契約・工事資料・会計処理から実態を整理し、利益供与や課税、相続財産の評価への影響を検討します。
主な法令・参考資料
- 民法
委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 厚生労働省:持分なし医療法人への移行に関する手引書
持分あり・持分なしの類型と移行制度。期限等は資料の作成時点による。
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000940229.pdf
- e-Gov法令検索:借地借家法
建物賃貸借の更新・解約申入れ・借賃増減請求等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/403AC0000000090 - 国税庁:個人から著しく低い価額で財産を譲り受けたとき
No.4423。著しい低額かの個別判断、時価と対価の差額等。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4423.htm - 国税庁:相当の地代及び相当の地代の改訂
No.5732。権利金に代わる相当の地代の税務上の取扱い。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5732.htm - 国税庁:土地の無償返還に関する届出
C1-63。契約上の無償返還の定め、届出時期、個人土地所有者の場合の提出。
https://www.nta.go.jp/taxes/tetsuzuki/shinsei/annai/hojin/annai/1554_48.htm - 国税庁:小規模宅地等の特例
No.4124。利用区分、限度面積、減額割合、取得者等の要件。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4124.htm - 国税庁:時価より低い価額で譲渡したとき
No.3217。個人から法人への低額譲渡等の所得税。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/joto/3217.htm - 国税庁:相続時精算課税の選択
No.4103。対象者、控除、選択後の取扱い。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4103.htm - e-Gov法令検索:信託法
信託の設定、受託者の権限・義務等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/418AC0000000108