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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第130講】

事業承継は「院長交代」では終わらない ― 6つの承継を同時に進める

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第130講 事業承継は「院長交代」では終わらない― 六つの視点で引継ぎを進める

第ⅩⅢ部 相続・事業承継・院長の万一

院長や理事長が交代しても、決裁、診療、資金管理、職員や取引先との連絡が以前のままでは、後任が役割を果たしにくくなります。本講では、承継を整理するために六つの視点を用います。法律で定められた六つの必須手続ではなく、自院に必要な引継ぎを見落とさないための整理です。

この講では、経営権、財産、診療、職員、対外関係、理念と文化について、何を誰がいつまでに引き継ぐかを整理します。第121講から第129講の論点を踏まえ、状況に応じて使えるチェックリストを示します。

例えば、理事長交代の日、前理事長は理事会で挨拶し、新理事長が金融機関に紹介され、登記と届出が済みました。職員には「今日から息子が理事長です」と伝えました。
3か月後。金融機関は前理事長に電話をかけてきます。看護師長は「前の先生ならこうしていた」と言います。取引先の担当者は、新理事長の名前を覚えていません。前理事長は毎日出勤し、診察室に座り、新理事長の決めた設備更新を「まだ早い」と止めました。
新理事長は、交代したのは肩書だけだったと気づきました。

1 六つの承継

承継の要素内容
① 経営権

内容:理事長の選出・解職、管理者の選任、社員総会・理事会の意思決定と監督。役職ごとの権限・責任を引き継ぐ。

関連する講:第111講、第117講、第126講、第127講

② 財産

内容:出資持分、土地建物、事業用資産、法人への貸付・法人からの借入。所有権を移すか、利用契約を続けるかを選ぶ。債務・保証は別に整理する。

関連する講:第114講、第115講、第122講、第124講、第125講、第128講

③ 診療

内容:患者との関係、診療の方針と技術、医師の体制、診療科の構成。「診る人」が変わること。

関連する講:第121講、第123講

④ 職員

内容:雇用契約・労働条件の取扱い、指示系統、相談窓口、幹部職員との協力関係。

関連する講:第Ⅴ部、第112講

⑤ 対外関係

内容:金融機関、行政、医師会、取引先、地域の医療機関等との契約・手続・連絡窓口。

関連する講:第123講、第127講

⑥ 理念と文化

内容:何のための医療機関か、何を大切にするか、何をしないか。「守るもの」が引き継がれること。

関連する講:本講

設例では、役職の交代に実際の決裁・連絡の変更が追いついていません。財産の所有者を必ず変える必要はありませんが、利用契約や資金の権限は整える必要があります。各項目について、変えることと継続することを区別します。

2 各要素で何を引き継ぐか

①経営権

  • 後継者の職務に必要な資格と選任手続を確認する。社団の社員資格、理事、理事長、管理者は別の地位であり、副理事長の設置や就任は必須ではない。
  • 社員・理事の構成と意思決定の手続を点検する。適正な決議と監督が機能する体制を作り、既存の社員・役員の権利を尊重する。
  • 理事長の選出・解職、役員選任、管理者変更に必要な手続を区別し、登記・届出をそれぞれの期限内に行う。
  • 前理事長の退任後の地位、職務、権限、期間を定め、職員に伝える。理事として残る場合の監督等の責任まで放棄させるものではない。
  • 定款上の社員資格、入社、役員選任、不在時の対応を確認する。職務代行の呼称だけで代表権や管理者資格が引き継がれるとは限らない。

②財産

  • 持分の処理:保有継続、譲渡、相続、持分なし移行を比較する。認定制度の認定期限は2029年12月31日であり、移行完了の期限とは異なる。移行計画の期限は認定から5年以内。
  • 土地建物:所有を移す方法と、所有を維持して賃貸する方法を比較する。売買・贈与・相続・信託ごとに税負担、資金、利用の安定性を検討する。
  • 会計混同の解消:役員貸付金・借入金の整理、親族取引の適正化。
  • 個人保証:解除、保証なしでの継続、後継者による保証の必要性を金融機関と協議する。役職交代だけで旧保証が消滅するわけではない。
  • 前理事長の役員退職金:定款・規程と必要な決議、退職の実態、金額の相当性、支払時期・資金を検討する。肩書の変更だけで税務上の退職になるとは限らない。
  • 遺言:前理事長の個人財産の承継先と、他の相続人への配慮。

③診療

  • 患者への引継ぎ:病状、継続治療、検査予定等を伝える。共同での診療、紹介状、診療録の共有等から適切な方法を選び、患者の意思と個人情報に配慮する。期間は症例・体制に応じて決める。
  • 診療方針の共有と、変える部分の明示。後継者の診療科が違う場合、前理事長の診療科の医師の確保。
  • 前理事長が診療を続ける場合の勤務形態、担当、権限、見直し時期を決める。理事長、管理者、勤務医の役割を混同しない。
  • 医師の体制:必要な診療科と勤務体制を確保する。雇用条件を変える場合は本人との合意や労働契約法上の要件を検討し、承継を理由に一方的な不利益変更をしない。

④職員

  • 幹部職員(看護師長、事務長)への早期の説明と、後継者との関係づくり。
  • 指示系統:新体制の決裁・指示・相談の担当者を明らかにし、前理事長から矛盾する指示が出ない運用にする。
  • 雇用の取扱い:同じ法人の理事長交代では雇用主は変わらない。個人診療所の事業譲渡等で雇用主が変わる場合は、労働者の承諾など承継方法に応じた手続を行う。必ず退職・新規雇用にするわけではない。
  • 親族職員:本人の職務と雇用契約に即して協議する。前理事長の退任に伴って当然に退職させることはできない。退職金は規程・契約、適正額と必要な手続を確認する。
  • 職員への説明会:交代の理由、後継者の方針、変わること・変わらないこと。

⑤対外関係

  • 金融機関:新体制と経営計画を説明し、借入条件・保証・連絡先を整理する。保証解除等は金融機関との合意を得る。
  • 行政:開設形態と変更内容に応じた役員・管理者等の届出、保険医療機関の指定・届出、対応窓口を整理する。
  • 医師会・地域:後継者の入会、会合への出席、地域の医療機関への挨拶。
  • 取引先:契約の名義確認、担当者への紹介、支払・発注の権限の移転。
  • 顧問(税理士・弁護士・社労士):後継者との直接の関係。前理事長経由でしか話せない状態の解消。

⑥理念と文化

  • 前理事長が言葉にしてこなかった「大切にしてきたこと」を、言葉にする作業。後継者が前理事長に聞き、書き留める。
  • 変えるものと変えないものを、後継者が決め、職員に伝える。すべてを引き継ぐ必要はないが、何を引き継ぐかは決める。
  • 前理事長の功績や引き継ぎたい方針を共有する。退任への協力につながることはあるが、感謝の表明と法的な選任・解職手続は分けて考える。

3 時間軸 ― 何年かけるか

時期すること
準備開始後継者候補の意思、診療・経営体制、財産と資金を整理する。遺言、判断能力低下への備え、必要な認可等の工程を検討する。
体制の整備必要な役員選任、職務分担、職員・金融機関との関係づくりを進める。持分や不動産は選択した方法と条件に沿って処理する。
交代前診療情報と継続治療、雇用・契約・保証、退任後の役割を整理する。登記・届出の書類と期限を把握する。
交代時必要な決議と引継ぎを実施する。登記・届出は各期限に従う。職員・患者・取引先に連絡し、診療と決裁を途切れさせない。
交代後診療・労務・資金繰りを点検し、役割分担を必要に応じて見直す。認定制度を利用した場合は、移行後6年間の運営要件維持等を別に管理する。

必要な期間は、後継者の準備、許認可、資金、持分の処理、患者の引継ぎによって変わります。表は段階の例です。予定日から逆算するとともに、急病などで予定が早まる場合の代診・決裁・連絡体制も用意します。

4 個人診療所の承継

個人診療所で開設者を別の人に替える場合は、通常、旧診療所の廃止と後継者による新規開設の手続が必要です。財産や雇用、診療情報が自動で移るわけではありません。開設者・管理者の資格、開設許可または届出、保険医療機関の指定を事前に保健所・地方厚生局等と調整します。

  • 廃止・新規開設の届出または許可、保険医療機関の指定申請。遡及指定の可否・条件を地方厚生局に確認し、当然に認められるものとして診療日程を組まない。
  • 事業用資産の譲渡(売買または贈与)、賃借権の承継(賃貸人の承諾)、リースの承継
  • 雇用契約の承継について労働者の承諾等を得て、労働条件、勤続年数、退職金、有給休暇の取扱いを明らかにする。
  • 診療録の保存義務と個人情報の管理体制を整理する。事業承継に伴う提供には、個人情報保護法上、第三者提供に当たらない場合がある。承継前の利用目的の範囲、患者への説明、安全管理等を検討し、無制限に利用・提供しない。
  • 前院長の廃業に伴う税務(事業廃止届、消費税、所得税)

指定・届出の時期と実際の診療体制を調整し、診療や保険請求に支障が出ない工程を作ります。法人化すれば、将来同じ法人内で役員が交代する際に開設者は維持されますが、役員・管理者等の変更手続は残ります。設立認可、税務、運営負担も含めて比較します。

5 事業承継チェックリスト

事業承継チェックリスト ― 六つの承継

①経営権

  1. 後継者が決まり、合意書がある(第123講・第126講)
  2. 後継者の職務に必要な資格と選任・入社の手続を整理した
  3. 社員総会・理事会が適正に決定・監督できる体制を整えた
  4. 前理事長の退任時期が決まり、公表されている(第127講)
  5. 前理事長の退任後の地位・期限・関与の範囲が合意されている
  6. 定款(職務代行・社員資格・相続人入社)を見直した

②財産

  1. 持分の保有・移転・持分なし移行を比較し、選択した方法の条件と工程を整理した(第124講)
  2. 土地建物の帰属と移し方が決まっている(第119講・第128講)
  3. 役員貸付金・借入金・親族取引が整理されている(第114講・第120講)
  4. 保証の解除・継続等を金融機関と協議し、合意内容を書面で確認した
  5. 前理事長の役員退職金の規程・決議・額が決まっている
  6. 前理事長の遺言がある(第122講)
  7. 他の相続人への配慮(生命保険等)が設計されている(第125講)

③診療

  1. 患者の病状・継続治療に応じた引継ぎ方法と期間を決めた
  2. 前理事長の診療の継続の形と期限が決まっている
  3. 後継者以外の医師の体制と意思が確認されている

④職員

  1. 幹部職員に説明し、後継者との関係ができている
  2. 指示系統の一本化を、交代の日から実行する
  3. 親族を含む職員の雇用・労働条件を整理し、必要な本人の承諾等を得た

⑤対外関係

  1. 金融機関・行政・医師会・取引先・顧問に後継者を紹介し、連絡先を移した
  2. 役員変更・管理者変更・保険医療機関の届出の準備ができている

⑥理念と文化

  1. 前理事長が大切にしてきたことを、言葉にして書き留めた
  2. 後継者が、変えるものと変えないものを決め、伝える準備ができている
  3. 前理事長の功績を法人として認める場を設けた

万一への備え

  1. 前理事長の任意後見・信託を検討した(第129講)
  2. 後継者自身の万一への備え(代診・情報・遺言)を始めた(第121講)

6 今日やること・やってはいけないこと

今日やること

  • チェックリストを自院について「済・進行中・未着手・対象外」に分ける
  • 未着手のうち、判断能力・年齢・期限(認定医療法人)に照らして急ぐものを選ぶ
  • 後継者との間で、六つの承継の時間軸を共有する
  • 税理士・弁護士に、承継の全体設計を依頼する(どちらか一方ではなく)

やってはいけないこと

  • 理事長交代の登記と届出で承継が終わったと考える
  • 持分や肩書だけを変更し、診療・雇用・契約・資金への影響を検討しない
  • 交代の日を決めずに「準備が整ったら」と言う
  • 前理事長の功績を認めないまま、退任だけを求める

7 よくある質問

六つ全部は多すぎます。最低限、何から始めればよいですか。
まず、診療の継続、職員への指示、必要な開設・指定等の手続、資金決済に空白が生じないかを確認します。そのうえで後継者の意思と体制、財産・保証、遺言等を整理します。院長の健康状態や契約・制度の期限によって順番は変わり、診療や雇用を一律に後回しにはできません。
前理事長が「六つの承継」に協力しません。肩書だけ渡して、あとは今までどおりだと言います。
まず、残る役職・財産・契約と、何に協力が必要なのかを分けます。法人の役員解任や理事長の解職は適法な決議により行える場合があり、常に本人の同意が必要なわけではありません。一方、個人所有の財産や保証、診療情報などは別の調整が必要です。対立がある場合も診療・労務・資金決済を守り、弁護士等と手続を整理します。
第三者承継の場合も、六つの承継は同じですか。
六つの視点は第三者承継でも役立ちます。ただし、承継する資産・契約・診療科や、維持する方針は取引によって異なります。すべてをそのまま移すのではなく、法的な承継方法、患者と職員への対応、引継ぎ期間を契約と実行計画に落とし込みます。第141講以降で扱います。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・参考資料

  1. 医療法

    開設・管理者、医療安全、立入検査・監督、医療法人の役員資格・機関等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 民法

    委任・善管注意義務、契約上の責任、不法行為、使用者責任等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089

  3. 個人情報保護法

    利用目的、要配慮個人情報、委託・第三者提供、保有個人データの開示等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057

  4. 金融庁:経営者保証に依存しない融資慣行に向けた施策

    経営者保証に関するガイドライン、見直しに関する資料。

    https://www.fsa.go.jp/policy/hoshou_jirei/index.html

  5. 厚生労働省:持分なし医療法人への移行に関する手引書

    持分あり・持分なしの類型と移行制度。期限等は資料の作成時点による。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000940229.pdf

  6. 厚生労働省:社団医療法人定款例

    社員の入退社、社員総会の議長・決議、役員等に関する定款例。

    https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000205243.pdf

  7. e-Gov法令検索:労働契約法

    15〜19条。懲戒・解雇、有期契約、無期転換、雇止め。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
  8. 個人情報保護委員会・厚生労働省:医療・介護ガイダンス

    令和8年4月一部改正。医療情報の取得・利用・提供、安全管理、開示等。

    https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/
  9. 厚生労働省:移行計画認定制度のQ&A

    令和8年8月改訂。運営要件、料金、認定後の手続等。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000951888.pdf
  10. 厚生労働省:持分の定めのない医療法人への移行に関する計画の認定制度について

    制度通知。認定期限・運営要件と特定外国人患者請求額等の取扱い。

    https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001472438.pdf
  11. 国税庁:役員が分掌変更した場合等の退職金

    No.5203。退職の実態と職務変更、法人税上の取扱い。

    https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5203.htm
  12. e-Gov法令検索:任意後見契約に関する法律

    公正証書による契約、監督人選任と代理権。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/411AC0000000150
  13. e-Gov法令検索:信託法

    信託の設定、受託者の権限・義務等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/418AC0000000108

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