第10講 開業前デューデリジェンス― 「契約してから相談」をなくす最終チェック
第Ⅰ部 開業前・開業設計
開業前のデューデリジェンス(DD)とは、重要な約束をする前に、事実とリスクを調べることです。本講では第1〜9講を、場所と契約、お金、器と人、業者、家族と将来の5領域・25項目にまとめます。承継開業には、追加の8項目も用意しました。契約は署名より前に成立する場合があるため、申込みや条件への承諾の前から確認に使ってください。
契約を交わした後に相談すると、選べる対応が限られることがあります。それでも、変更交渉、解除・取消し等の根拠、損失を抑える方法は検討できます。大切なのは「次から気をつける」で終わらせず、残っている判断を先に整理することです。これから開業する場合は、次の表で契約前の確認を進めてください。
1 開業前DDの考え方 ― 「全部完璧に」ではなく「空欄を知っている」
確認事項には優先順位がありますが、必要な許可・届出、管理者・人員の要件、医療安全などは、未解決のまま開業してよい項目ではありません。各項目を「契約・開業前に解決する」「条件を契約に織り込む」「開業後も継続管理する」に分け、担当者・期限・裏付け資料を付けます。後から変更しにくい契約や保証だけでなく、法令・安全・個人情報への影響も含めて優先順位を決めてください。
2 5領域25項目の点検表【保存版】
領域① 場所と契約(第2・4講)
- 候補地と開設条件――外来医師過多区域の指定、必要な許可・届出、施設・人員の条件を確認したか。事前届出の対象なら原則として開設日の6か月前から逆算したか(第6講)。
- 賃貸借の型――普通借家か定期借家か。契約期間は内装投資の回収期間と釣り合っているか。
- 中途解約と原状回復――撤退時にいくらかかるかを、金額で言えるか(スケルトン返しの範囲を含む)。
- 契約の一覧表――全契約の相手方・名義・総額・期間・解約条件・保管場所を1枚にしたか(第4講の表)。
- 契約当事者と引継ぎ――個人と法人のどちらが契約するか、保証人は誰かを確認したか。設立前の法人を当然の契約主体にせず、成立前の責任主体と成立後の引継ぎ・相手方の承諾を決めたか。
領域② お金(第5講)
- 返済可能額――売上だけでなく、入金時期、経費、税金・社会保険料、設備更新、個人の生活費等を踏まえ、借入元本の返済と予備資金まで月別に試算したか。
- 運転資金――保険診療の入金が原則として診療月の翌々月になることや返戻等による遅れを織り込み、入金が支出を下回る期間に必要な資金を試算したか。固定費だけでなく返済・税金等も含めたか。
- 保証の一覧――誰が・どの債務に・いくら保証するか。配偶者・親の保証は本人に説明済みか。
- 親族資金の性質決定――貸付か贈与かを決め、書面にしたか(税務は顧問税理士に確認)。
- 撤退試算――3年目に撤退した場合の残債・リース残・原状回復費の試算を1枚作ったか。
領域③ 器と人(第3・6〜9講)
- 個人か法人か――節税だけでなく、責任・お金・家族・承継・出口の5軸で比較したか(第3講)。
- 管理者と勤務体制――医療法上の要件に加え、保険指定を受ける場合は研修修了時期・経験・勤務時間・資格・経過措置を確認したか。管理者候補が実際に職責を果たせる勤務を組めるか(第6・9講)。
- 共同開業の9項目――退出・死亡・報酬の決め方から書面化に着手したか(第7講)。
- 意思決定の設計――社員総会の定足数・議長・決議要件と理事会の権限を確認し、意見が割れた場合の協議・退出の手順を決めたか(第8講)。
- 名義と実態の一致――届出上の開設者と運営主体が一致し、管理者が必要な情報を得て、安全上の是正等を行える体制か。全経営事項を院長が単独決裁できるかという問題とは区別したか(第9講)。
領域④ 業者(第2・4講、第Ⅲ部予告)
- 利益相反の確認――業者や専門家が誰から報酬・紹介料を受け、誰のために助言するのか確認したか。重大な契約について、自院の立場で独立して評価する専門家に相談できるか。
- 相手方の重複チェック――契約一覧の「相手方」列に、同じグループ名が何度も出ていないか。
- 紹介会社の条件――手数料率と早期退職時の返金条項を、複数社で比較したか。
- システムの出口――電子カルテのデータ返還(エクスポート)と解約時移行支援を確認したか。
- HP・ドメインの権利と管理――著作権・利用許諾、ドメインの登録名義、管理ID、データの引渡し・移管条件をそれぞれ確認したか。広告表現の適法性を確認する担当と手順はあるか。
領域⑤ 家族と将来(第Ⅻ・ⅩⅢ部予告)
- 家族の関与――社員・役員・職員・貸主・貸付人・保証人など、誰がどの立場になるかを整理したか。複数の立場を兼ねる場合の権限と利害関係も確認したか(第3講)。
- 家族名義の資産――開業に使う不動産・資金の名義と原資を記録したか。
- 保険の設計――医師賠償責任保険の被保険者の範囲、生命保険(共同開業の精算原資・遺族への手当)を確認したか。
- もしもの初動――自分が倒れた翌日に、誰が何を判断するか(代診・権限・連絡網)を1枚にしたか(第1講)。
- 専門家チームの分担表――税理士・社労士・弁護士・金融機関の「誰に何を聞くか」を決めたか。
※ 印刷して、サインを求められるたびに該当する領域・番号へ戻る使い方を想定しています。全項目の詳細は各講をご覧ください。
3 承継開業のDD ― 「居抜き・引き継ぎ」で開業する先生への追加確認
承継開業では、施設や人員、既存の患者との関係を引き継げる可能性があります。ただし、患者やスタッフが必ず残るわけではありません。また、事業譲渡と法人そのものの承継では、契約・債務・許認可の扱いが異なります。上の25項目に加え、次の8点を確認します。
| 確認項目 | 見るべきポイント |
|---|---|
| ①承継の器 | 個人診療所の事業譲渡か、医療法人ごとの承継(社員・役員の交代)か。器によって、引き継ぐもの・引き継いでしまうものの範囲が根本的に違う(第3講・第ⅩⅤ部)。法人ごとの承継は、簿外債務や過去の経緯まで法人と一緒に引き継ぐ形であることを理解しているか。 |
| ②契約の承継可否 | 事業譲渡では、契約上の地位の移転について相手方の承諾等を確認する。同じ法人が契約を続ける承継では、役員等の交代だけで契約が当然に移転するわけではないが、支配者変更・届出・保証人変更等の条項に注意する。 |
| ③スタッフの承継 | 事業譲渡で労働契約を移す場合は、原則として各労働者の承諾が必要。同じ法人が使用者のままなら、役員・社員の交代だけで雇用をいったん終了させる必要はない。勤続・有休・退職金・未払賃金を確認し、退職・再雇用で当然に過去の問題が消えると考えない。 |
| ④カルテと患者情報 | 診療録等の保管者、保存義務、閲覧・開示対応、システムの移行を確認する。事業承継に伴う個人データの提供は第三者提供に当たらない場合があるが、承継前の利用目的や安全管理の条件がある。事前調査での共有も契約と範囲を整え、患者への案内を行う。 |
| ⑤保険・行政関係の履歴 | 施設基準、過去の指導・監査、返還・未処理の指摘、保険指定や新規届出の必要性を資料で確認する。担当者の説明だけでなく、通知・届出書・請求資料を照合し、未開示事項への契約上の対応も決める。 |
| ⑥前院長の残り方 | 引き継ぎ期間の勤務、非常勤での残留、近隣での再開業の予定。患者の移行には前院長の協力が最大の資産になる一方、「いつまでも前院長の医院」になる出口も設計しておく。 |
| ⑦対価の中身 | 内装・機器・営業上の価値など、対価の対象と評価根拠を分ける。患者の継続受診は保証されない。同じ法人の承継では、資産は法人に残るため、持分・基金・貸付金・退職金等のどの権利や支払いが取引対象かを整理する。 |
| ⑧新制度との関係 | 承継のスキームによっては開設・管理者の変更手続が生じ、区域の扱い・管理者要件(第6講)の確認が必要になる。計画が具体化した段階で、その時点の取扱いを個別に確認する。 |
承継開業は「買う側のM&A」であり、売る側の視点(第ⅩⅤ部)と鏡合わせです。本格的な論点は承継・M&A編で扱いますが、「そろっているから早い」ではなく「そろっているから確認が要る」――この一点だけは、開業編のうちに持ち帰ってください。
4専門家の使い方 ― 重要度に応じて分担する
まずご自身で資料を集め、未解決事項を一覧にすると、専門家に依頼する範囲を絞りやすくなります。賃貸借・保証・共同開業・承継の契約は重点項目ですが、それだけで十分とは限りません。医療安全、開設・保険指定、雇用、個人情報、税務なども、案件の内容に応じて担当の専門家に確認を依頼してください。
第Ⅰ部はこの講で一区切りです。開業はゴールではなく、経営者としての初日にすぎません。開業後の世界――法人のガバナンス、スタッフ、患者、行政、家族、そして出口――を、第Ⅱ部以降で一つずつ地図にしていきます。
5 よくある質問
- 開業まで時間がありません。何から確認すればよいですか。
- まず、予定日に適法かつ安全に診療を始められるかを確認します。開設・保険指定、管理者・人員、施設・安全管理に未解決事項があれば優先して対応してください。その上で、資金繰りと、賃貸借・保証等の重大な契約条件を確認します。時間が足りなければ、未解決事項を抱えて進むより、契約や開業時期の延期を検討すべき場合もあります。
- 承継開業の話が来ています。新規開業よりお得でしょうか。
- 「お得かどうか」は、第3章の8項目を確認して初めて比較できる問いです。承継対価が安く見えても、承継できない契約・見えない負債・前院長の残り方次第で、実質は変わります。数字の比較の前に、確認事項の回答を書面で集めることから始めてください。
- この点検表は、開業後にも使えますか。
- 使えます。むしろ開業後こそ、年1回(決算のタイミングを推奨)この表に戻って、契約・保証・家族の関与の変化を棚卸ししてください。法人化・分院・承継といった節目には、同じ表がそのままDDの土台になります(第4講・第141講)。
主な法令・公的資料
- 医療法
社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
- 医療法施行規則
管理者変更等の届出、面接指導実施医師(65条)、記録・安全管理。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323M40000100050
- 民法
契約、委任、責任、相続・財産分与。768条の改正を含む。
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 厚生労働省:保険医療機関の管理者の要件・責務
臨床研修修了時期による経験要件、勤務要件、代替要件、経過措置。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_70739.html
- 近畿厚生局:保険医療機関・保険薬局の指定等に関する申請・届出
外来医師過多区域の事前届出と保険指定期間、管理者変更等の手続。
https://kouseikyoku.mhlw.go.jp/kinki/shinsei/shido_kansa/hoken_shitei/index.html
- 社会保険診療報酬支払基金:診療報酬等の支払予定日
2026年度の診療月と支払予定日。
https://www.ssk.or.jp/seikyushiharai/shiharai_r02.html
- 個人情報保護委員会:個人情報保護法ガイドライン(通則編)
事業承継に伴う利用目的、個人データの提供と、契約前の調査での安全管理。
https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/guidelines_tsusoku/