第60講 院内の噂・LINEグループ・派閥― 法律になる前の組織リスク
第Ⅵ部 ハラスメント・院内人間関係
職場には、公式の連絡とは別に、休憩室での会話や職員同士の私的なグループがあります。親しい人が集まること自体を問題視する必要はありません。問題にすべきなのは、情報漏えい、中傷、排除、業務の妨害などの具体的な行為です。
問題は、それが患者情報の漏えい、特定の職員への誹謗、時間外の業務連絡、そして証拠として残るチャットという形で、法律の問題に転じる瞬間があることです。この講は第Ⅵ部の締めくくりとして、法律になる前の組織リスクをどう扱うかを整理します。
例えば、職員のLINEグループが二つあることを、院長は知りませんでした。一つは院長も入っている業務連絡用。もう一つは、職員だけのグループです。
そちらでは、患者の悪口、勤務医の評価、院長の私生活の噂が、日々やり取りされていました。ある日、そのスクリーンショットが、退職した職員から院長に送られてきました。
「これが、あなたのクリニックの実態です」
1 非公式なやり取りが法律問題になる四つの場面
| 場面 | 何が問題になるか |
|---|---|
| 患者情報の書き込み | 患者情報の扱いは、媒体名だけで決まらない。診療に必要な院内共有と、私的な雑談や無権限者への送信を区別する。利用目的、共有先の権限、情報量、安全管理を確認し、漏えいのおそれがあれば拡大防止と報告・本人通知の要否を検討する。 |
| 特定の職員への誹謗 | 集団での中傷、無視、業務情報からの排除などはハラスメントになり得る。私的グループであっても職場との関係や影響を確認する。事業主は、把握後の対応だけでなく、平時の相談体制や防止措置も整える。 |
| 時間外の業務連絡 | 時間外の閲覧・返信・処理を明示又は黙示に求める場合、実際の対応時間が労働時間になり得る。送信時刻から翌朝まで全時間が当然に労働時間になるわけではなく、待機の拘束も含め実態を確認する。 |
| 相談・通報、労働条件の協議 | 労働条件や安全上の問題について相談することを、中傷と同一視しない。公益通報者保護法の保護には対象事実や通報先等に応じた要件がある。労基署への申告やハラスメントの相談、正当な組合活動にも、それぞれ不利益取扱いの禁止等がある。 |
2 チャットは証拠になる ― 双方にとって
医師には刑法134条、保健師・看護師・准看護師には保健師助産師看護師法42条の2などの守秘義務があります。医療事務なども、雇用契約・服務規律等に基づく秘密保持の義務を負い得ます。施設は個人情報保護法に基づく従業者の監督などを行いますが、職種ごとの刑事責任まで一律に同じになるわけではありません。
職員のLINEグループの内容は、紛争になったとき、証拠として提出されます。それは職員の側から法人の問題を示す証拠にもなれば、法人の側から職員の問題行動を示す証拠にもなります。
院長自身の業務チャットも、後に判断資料となることを意識して書きます。他方、提供されたスクリーンショットは、日時、参加者、前後の会話、編集の有無、提供経緯を確認してください。画像に書かれた噂が真実とは限りません。原本や関連記録を適法な方法で保全し、閲覧者を絞って調査します。
患者情報の漏えいが疑われる場合は、処分の検討より先に、共有の停止、アクセス制限、送信先の確認などの拡大防止を進めます。証拠を安全に保全しつつ、不要な複製を減らしてください。要配慮個人情報を含む個人データの漏えい等は、法定の報告・本人通知の対象になり得ます。削除を求めるだけで対応を終わらせてはいけません。
3 派閥 ― 人ではなく具体的な行為を見る
情報が特定の職員に集中すると、周囲が意見を言いにくくなることがあります。ただし、勤続が長い、同僚から信頼されている、院長に異論を述べるというだけで、問題の中心人物と決めつけてはいけません。必要な情報が届いているか、誰かが排除されていないかを確認します。
対応の基本は、周知、相談、評価の経路を分かりやすくすることです。組織の大きさに応じて管理職と役割を分担し、全職員に必要な情報が届くようにします。個別面談や評価基準の明示も役立ちますが、それだけで対立が解消するとは限りません。
中傷や業務妨害が疑われる場合は、誰が何をしたかを公正に確認し、必要な指導や措置を行います。一方、職員同士の労働条件の相談、労働組合の結成・加入・正当な活動を「派閥」として抑え込んではいけません。不利益取扱いや組合への支配介入は、労働組合法7条の問題になります。
4 ルールを置く ― 禁止ではなく、線引き
職員の私的なLINEグループを禁止することは、私生活への介入であり、現実的でもありません。置くべきルールは、次のような線引きです。
- 患者情報は、施設が利用目的と安全性を確認した承認済みの手段で扱う。送信先、アクセス権限、端末管理、退職時の削除・権限停止を決め、私的な雑談用グループへ投稿しない。業務用と名付けるだけでは安全管理にならない。
- 業務連絡の時間帯。原則として勤務時間内に行い、時間外は次回勤務時の確認でよいことを明示する。緊急連絡が必要な職務では担当、連絡条件、労働時間の記録、賃金の扱いを決める。「返信不要」と書いても、実態として即応を求めていれば別に判断する。
- 中傷やプライバシー侵害を防ぐルール。具体的な禁止行為と対応を定める一方、正当な批判、相談、通報、組合活動を妨げる規定にしない。私的グループでの行為も、職場との関係と影響に応じて判断する。
- 退職時の扱い。業務グループやシステムの権限を停止し、業務情報の返却・適切な削除を確認する。守秘の範囲と正当な相談・通報の扱いを説明する。証拠保全が必要な記録を一律に消去させたり、誓約書への署名を賃金支払の条件にしたりしない。
5 第Ⅵ部を終えるにあたって
第Ⅵ部では、ハラスメント、私的関係、医師同士の対立、噂への対応を扱いました。共通するのは、ラベルや印象だけで人を評価せず、具体的な行為と診療・就業への影響を確かめることです。職場の相談が届く仕組みは、問題の早期発見にもつながります。
記録を残し、公正に確認できる担当者を置き、必要な保護と診療の継続を両立させる。その際、院長自身の言動や制度の不備も点検します。次の第Ⅶ部では、患者との関係を取り上げます。
6 今日やること・やってはいけないこと
今日やること
- 患者情報の共有先・目的・安全管理を点検し、私的グループへの流出がないか確認する
- 時間外対応の要否と緊急時の担当を明示し、実際の対応時間を記録する
- 中傷・プライバシー侵害への対応と、正当な相談・通報・組合活動の保護を、ルールに明記する
- 院長から全職員に直接情報が届く経路(全体周知・個別面談)を作る
やってはいけないこと
- 私的グループを一律に禁止し、私用端末や履歴を無制限に提出させる
- 業務用グループで、感情的な言葉や特定の職員への批判を書く
- 入手したスクリーンショットを根拠に、事実確認なしで処分に動く
- 派閥の中心人物と対決する形で対応する
7 よくある質問
- 職員のLINEグループに患者の悪口が書かれていました。処分できますか。
- 患者の特定可能性、共有先、目的、拡散の範囲などを確認します。氏名がなくても、病状や受診日時から特定される場合があります。漏えい対応と並行し、懲戒は就業規則の根拠、行為の重大性、本人の説明などに照らして判断してください。患者を特定できない発言でも、侮辱や業務への影響などが問題となることはあり、個人情報の有無だけでは決まりません。
- 業務連絡をLINEで行っていますが、問題ですか。
- 媒体名だけで直ちに適法・違法とは決まりません。患者情報を扱うなら、共有先の確認、認証、端末、保存・転送、退職時の権限停止などを施設として管理できるか点検してください。個人のアカウントや私的グループで患者情報を扱う運用は避け、厚生労働省の安全管理ガイドライン等に沿って承認した手段を使います。
- 退職者から送られてきたスクリーンショットに、院長への不満が書かれていました。
- 不満や批判があることだけで処分しないでください。労働環境への具体的な指摘は、事実を確認して改善を検討します。中傷や情報漏えいが疑われる場合も、前後の文脈と提供経緯を確認し、必要な範囲で調査します。相談・通報への報復や、通報者を探すための無差別な端末調査は避けてください。
主な法令・参考資料
- 労働基準法
法定労働時間、36協定、割増賃金、宿日直、有期契約に関する137条の例外。
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- 刑法
証拠隠滅、秘密漏示、窃盗・横領。成立要件と対象を区別。
https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045
- 個人情報保護法
個人データの取扱い、委託、仮名加工情報・匿名加工情報の区別。
https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057
- 厚生労働省:医療情報システム安全管理ガイドライン第7.0版
2026年6月改訂の第7.0版。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.html
- e-Gov法令検索:労働契約法
16〜19条。解雇、有期契約、無期転換、雇止め。
https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128 - 個人情報保護委員会・厚生労働省:医療・介護ガイダンス
診療情報の取扱い、漏えい等の報告、第三者提供。
https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/iryoukaigo_guidance/ - 厚生労働省:労働時間の適正把握ガイドライン
準備・待機・研修の労働時間、始業終業の記録、自己申告制の運用。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html - 消費者庁:公益通報者保護法と制度の概要
現行制度、令和7年改正と2026年12月1日の施行。
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview - 個人情報保護委員会:漏えい等の対応
初動、報告対象事態、本人通知、報告手続。
https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/leakAction/ - e-Gov法令検索:保健師助産師看護師法
42条の2。保健師・看護師・准看護師の守秘義務。
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000203 - e-Gov法令検索:公益通報者保護法
通報者の範囲、通報先に応じた保護要件等。
https://laws.e-gov.go.jp/law/416AC0000000122 - e-Gov法令検索:労働施策総合推進法
30条の2(相談対応・不利益取扱い禁止)、30条の5・6(援助・調停)。
https://laws.e-gov.go.jp/law/341AC0000000132 - e-Gov法令検索:労働組合法
7条。不利益取扱い、正当な理由のない団体交渉拒否、支配介入等の禁止。
https://laws.e-gov.go.jp/law/324AC0000000174 - 厚生労働省:医療情報システムの安全管理に関するガイドライン第7.0版・システム運用編
端末の管理、認証、アクセス権限、施設の管理外の機器への対策等。
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/001716295.pdf