第6講全体像と初動
ドタバタ内紛劇の最中も、会社を止めずに動かす!
従業員・銀行・取引先・ITの危機管理
この講の結論
紛争への対応と事業の継続は、どちらかを先に済ませてから他方に取りかかるものではなく、同時に進めるほかありません。誰にどの権限があるのかを根拠に基づいて確かめたうえで、日常の支払、契約、情報管理を止めずに維持し、重大な変更には承認と記録の手順を設けます。従業員、金融機関、取引先への説明は、確認できた事実と業務への影響に絞り、未確認の非難を広めないことが、後の紛争処理にも事業にも役立ちます。
守る業務を具体的にする
内紛の最中に会社が傾く原因の多くは、紛争そのものではなく、紛争に気を取られている間に日常の業務が止まることにあります。まず、重要な業務を「支払」「受注と納品」「雇用」「情報システム」「許認可と法定の手続」に分け、それぞれについて期限、責任者、代行者、必要な認証情報を一覧にします。社長が替われば自然に引き継がれるという前提は置かないことです。実際には、社長個人の携帯電話にしか届かない取引先からの連絡、社長しか知らないパスワード、社長名義で契約しているサービスが、必ずといってよいほど見つかります。
給与、税金、仕入代金、賃料、借入金の返済のどれを優先するかは、一律には決められません。支払期日、支払わなかった場合の操業への影響、契約違反になるかどうか、会社の財務状況を踏まえて判断します。給与については、毎月1回以上、一定の期日を定めて全額を支払わなければならず(労働基準法24条)、内紛を理由に遅らせることはできません。資金繰りに不安がある局面では、親族や一方の株主だけに支払を続けることが、後に他の債権者や株主から問題にされることもあります。
誰の指示が有効か――権限の根拠を確かめる
従業員も取引先も金融機関も、「誰の指示に従えばよいのか」を最初に知りたがります。この問いに答えるには、感情や序列ではなく、権限の根拠を示さなければなりません。会社を代表して対外的な行為をする権限は代表取締役にあり(会社法349条4項)、取締役会設置会社では取締役会が代表取締役を選定・解職します(362条2項3号)。代表権のない取締役に社長や副社長といった名称を付けていた場合、会社はその取締役の行為について善意の第三者に責任を負うことがありますが(354条)、それは対外的な信頼の保護であって、社内で指示する権限の根拠にはなりません。
重要な財産の処分や譲受け、多額の借財は、取締役会設置会社では取締役会が決めなければならず、取締役に委任できません(362条4項1号・2号)。何が「重要な財産」に当たるかについて、最高裁は、財産の価額、会社の総資産に占める割合、保有の目的、処分の態様、会社における従来の取扱いなどを総合的に考慮して判断するとしています(最判平成6年1月20日民集48巻1号1頁)。内紛の最中に一方の役員が単独で会社の不動産や事業用資産を処分しようとする場合、この決議を経ているかどうかが、その取引の効力を左右し得ます。取締役会の決議を経ずに代表取締役が行った取引は、原則として有効ですが、相手方が決議を経ていないことを知り、または知ることができたときは無効になります(最判昭和40年9月22日民集19巻6号1656頁)。この無効は原則として会社だけが主張でき、会社以外の者は、取締役会が無効を主張する旨の決議をしているなどの特段の事情がない限り主張できません(最判平成21年4月17日民集63巻4号535頁)。相手方の役員が「決議がないから無効だ」と言うだけでは、取引は覆らないということです。
取締役が会社と取引をしたり、会社が取締役の債務を保証したりする利益相反取引には、株主総会(取締役会設置会社では取締役会)の承認が必要です(356条1項、365条1項)。内紛の中で「暫定的な合意」を結んだとしても、これらの法定の手続を省略することはできません。暫定ルールは、法定の決議を代替するものではなく、決議が必要な事項とそうでない事項を仕分けし、決議が不要な日常業務を止めないための取決めです。
従業員への説明
従業員は、どの役員の指示が有効なのか、給与は払われるのか、雇用は続くのかを知りたいと考えています。説明の窓口を一人に決め、現在の業務の指示系統、勤務に関する連絡先、確認できた変更点を伝えます。紛争のどちらかに同調することを求めたり、証言を強要したりしてはいけません。それは従業員に対する不当な圧力であるだけでなく、後にその証言の信用性を失わせます。
事実確認のために従業員から話を聞く場合は、誘導的な質問や、不利益をほのめかす言い方を避けます。業務命令として保存を求めることができる業務上の資料と、従業員の私的な通信や私物の端末の中身は区別します。使用者は、労働者が生命や身体の安全を確保しながら働けるよう必要な配慮をする義務を負っており(労働契約法5条)、内紛によって職場が対立の場になること自体が、この義務との関係で問題になり得ます。配置転換、休職、解雇は、会社法上の役員人事とは別に、労働法上の要件を満たす必要があります。客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇は無効です(労働契約法16条)。「相手側の人間だから」という理由は、この要件を満たしません。
金融機関との連絡
代表権が争われていることを金融機関が知ると、取引の安全を確かめるために、送金や借入れに制限がかかることがあります。登記事項証明書、決議の資料、仮処分が出ていればその決定書、届出印、インターネットバンキングの利用者権限を整理し、担当者に必要な情報を伝えます。金融機関は、登記上の代表者と届出のある権限者からの指示に従って取引を行うのが原則であり、株主や他の役員からの申出だけで取引を止めたり再開したりする義務を負うものではないと考えられます。
金融機関に連絡すれば希望どおりに口座が凍結されたり解放されたりするとは限りません。取引を一律に止めれば、給与や納税の支払も止まります。緊急に必要な支払がある場合は、対象と必要な金額、承認の方法を示して、金融機関の手続に従って協議します。代表者の交代を届け出る場合は、変更登記の完了、新しい届出印、権限者の変更を、金融機関ごとに行う必要があります。取締役の職務執行停止と職務代行者選任の仮処分が発令された場合は登記されますので(917条)、その登記事項証明書を示せば、金融機関にも権限の所在が明確に伝わります。
取引先への説明
連絡する取引先は、代表者の変更を伝える必要があるか、契約上の通知義務があるか、支払や納品に影響が出るかという観点で選びます。紛争の詳細を全取引先に一斉に送ることは避けるべきです。未確認の事実に基づいて相手を非難する文書を送れば、名誉毀損(刑法230条、民法709条・710条)や信用毀損(刑法233条)の問題を生み、非難の対象が自社と競争関係にある事業者(相手方が設立した別会社など)であれば、営業上の信用を害する虚偽の事実の告知・流布として不正競争に当たるおそれもあります(不正競争防止法2条1項21号)。取引先は紛争の当事者ではなく、当事者の主張の正しさを判断する立場にもありません。
説明の文書は、「変更の事実」「当面の窓口」「契約と業務の取扱い」「次回の連絡方法」を中心に組み立てます。継続が確定していない取引について、影響が絶対にないと保証するような表現も避けます。取引先への説明は、いずれ相手方の目にも入るものと考え、後で読み返されても問題のない内容にしておきます。
ITと認証情報の引継ぎ
電子メール、会計システム、販売管理システム、電子契約サービス、インターネットバンキング、ドメイン、DNS、SNSのアカウント、バックアップの保存先を対象に、契約の名義と管理者権限を一つずつ確かめます。会社で使っているサービスであっても、社長個人の名義で契約されていたり、個人のメールアドレスで登録されていたりすることは珍しくありません。契約名義が個人であれば、会社の代表者が替わっても、そのサービスの管理者が替わるわけではありません。各サービスが定めている正規の権限移管の手続を使います。承諾なく他人の識別符号でログインして権限を書き換えることは、不正アクセス禁止法の問題になります(同法2条4項、3条)。
権限を変更する前に、必要なログと業務データを保全します。退任した役員のアクセスを制限する場合も、その人が取締役や従業員として残る地位があるか、係争中の地位があるかに配慮し、停止する範囲と理由を記録します。紛争に関する資料を消すための一括削除は、後に証拠を隠したと評価される材料になります(第4講)。
暫定権限表のひな形
表は横にスクロールできます。
| 業務 | 通常の担当 | 不在時の担当 | 追加の承認と記録 |
|---|---|---|---|
| 給与・定例の支払 | 適法な支払権限者 | 指定した代行者 | 金額と宛先の照合、処理の記録 |
| 高額の送金・新規の借入れ | 所定の決裁者 | 権限規程による | 必要な機関決定(362条4項)、利益相反の確認(356条、365条) |
| IT管理 | 管理責任者 | 予備の管理者 | 変更履歴、ログの保全 |
| 対外説明 | 統一した窓口 | 指定した代行者 | 確認済みの説明文、通知先の記録 |
| 緊急対応 | 適法な権限の範囲内で判断 | 個別に指定 | 対応の理由と事後の報告 |
暫定ルールによって、法定の取締役会決議や利益相反取引の承認を省略することはできません。重大な資産の処分まで「通常業務」に含めてしまわないよう、金額だけでなく取引の性質も定義しておきます。また、暫定ルールには対象、責任者、期限、見直しの日を入れ、紛争の進行に応じて更新します。
PRACTICE NOTE
支払を止める前に分類する
表は横にスクロールできます。
| 支払の類型 | 最初に行う確認 |
|---|---|
| 給与・税金・通常の仕入れ | 支払の根拠、期限、承認の権限、継続に必要な資金 |
| 争いのある役員への支払 | 報酬なのか貸付金の返済なのかという性質、根拠となる決議や契約、弁済期 |
| 関係会社への臨時の送金 | 対価の有無、契約、利益相反取引の承認、回収の見込み |
疑わしい支払と、続けなければ会社に損害が生じる支払を、見分けることが要点です。役員報酬は、定款や株主総会の決議(総会が定めた総額の枠内で取締役会などが個別の額を決めた場合を含みます)によって具体的な額が定まっていれば、その額は会社と取締役の間の契約内容となり、原則として本人の同意なく一方的に減額したり止めたりすることはできません(361条1項、最判平成4年12月18日民集46巻9号3006頁。第3講)。相手方の役員への報酬を「紛争中だから」という理由で止めれば、その分は未払報酬として残り、後の和解や判決で精算することになります。逆に、根拠のない支払を漫然と続ければ、支払を承認した側が任務懈怠の責任を問われ得ます(423条1項)。どちらの方向にも責任が生じ得ることを踏まえ、支払ごとに根拠を確かめて記録を残します。
実務チェック
- 直近1か月の支払予定と契約の更新期日を一覧にする。
- 各システムについて、契約名義、管理者、適法な代行と復旧の手段を確かめる。
- 対外的な説明文と窓口を統一し、未確認の情報を広めない。
- 暫定ルールに対象、責任者、期限、見直しの日を入れ、法定の決議が必要な事項を除外する。
- 止める支払と続ける支払を分類し、それぞれの根拠を記録する。
よくある質問
相手の不正を止めるため、銀行口座を全面的に止めてよいですか。
必要性、権限、事業への影響を確かめてください。口座を全面的に止めれば、給与、納税、仕入代金の支払も止まり、会社の信用と従業員の生活に直接の影響が出ます。特定の送金だけを対象とする差止めの仮処分(360条)や、取締役の職務執行停止と職務代行者選任の仮処分など、目的に合わせて範囲を限定した手段で足りる場合があります。金融機関が株主や役員個人の申出だけで口座を止めることは通常期待できませんから、止めるには権限の所在を適法に変えるか、裁判所の判断を得る必要があります。
社長交代と同時に、前社長のアカウントを全部消してよいですか。
削除の前に、引継ぎと証拠の保全が必要です。利用の停止、管理者権限の移管、データの保存は別の作業ですから、分けて実施します。前社長に残る地位に応じて、残すべき権限が変わります。一括削除を避けるべきことは第4講で述べたとおりです。
従業員に「どちらの側に付くか」を聞いてもよいですか。
避けるべきです。従業員は紛争の当事者ではなく、どちらの側に付くかを表明する義務もありません。踏み絵のような質問は職場の秩序を損ない、後に不利益な取扱いがあれば、それ自体が争いの対象になります。従業員に伝えるべきことは、誰の指示に従えばよいか、給与と雇用がどうなるか、業務上の連絡先はどこかという、業務に必要な情報に限ります。
この講の主な根拠条文・裁判例
- 会社法〔e-Gov法令検索〕349条、354条、356条、360条、361条、362条、365条、423条、917条
- 労働基準法〔e-Gov法令検索〕24条
- 労働契約法〔e-Gov法令検索〕5条、16条
- 刑法〔e-Gov法令検索〕230条、233条
- 民法〔e-Gov法令検索〕709条、710条
- 不正競争防止法〔e-Gov法令検索〕2条1項21号
- 不正アクセス行為の禁止等に関する法律〔e-Gov法令検索〕2条4項、3条
- 最判昭和40年9月22日民集19巻6号1656頁取締役会の決議を経ずに代表取締役がした取引は原則として有効であり、相手方が決議を経ていないことを知りまたは知り得たときに限り無効になるとした判例
- 最判平成4年12月18日民集46巻9号3006頁株主総会の決議等で具体的に定められた取締役の報酬額は会社と取締役の間の契約内容となり、本人の同意がない限り、その後の総会決議で無報酬としても報酬請求権は失われないとした判例
- 最判平成6年1月20日民集48巻1号1頁「重要な財産の処分」に当たるかは、財産の価額、総資産に占める割合、保有目的、処分の態様、会社における従来の取扱いなどを総合的に考慮して判断するとした判例
- 最判平成21年4月17日民集63巻4号535頁取締役会の決議を経ていないことを理由とする取引の無効は、原則として会社のみが主張でき、会社以外の者は特段の事情がない限り主張できないとした判例
条文のリンクは法令本文へ移動します。記載の条番号から各規定をご覧ください。裁判例のうち裁判所ウェブサイトに掲載されているものは、裁判例検索で裁判年月日から原文を確認できます。旧商法下の判例は、判断の前提と現行法との違いに注意してお読みください。
公開日 2026年7月1日/改訂日 2026年8月1日/改訂日 2026年9月21日