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『税理士法人・社労士法人の内部紛争30講 ― 共同経営「解消」の教科書 ―』【第18講】

顧問先は誰のものか ― 「法人の顧客」と「顧客の自由」の二面性

『税理士法人・社労士法人の内部紛争30講 ― 共同経営「解消」の教科書 ―』【第18講】

18第Ⅳ部 顧客・従業員編第18講

顧問先は誰のものか
― 「法人の顧客」と「顧客の自由」の二面性 ―

「あの顧問先は、自分が開拓して、自分が10年担当してきた。自分の客だ」。脱退を申し出た共同経営者は、たいていこう言います。残る側は「法人の顧客だ」と言い返す。どちらも、半分だけ正しい。

顧問契約の当事者が法人であることと、顧客が誰に依頼するかを選ぶことは別です。法人に残る契約・情報を守りつつ、解除の意思、契約条項、引継ぎへの承諾を確認します。

第Ⅳ部・顧客・従業員編は、士業法人の内部紛争で最も感情的になりやすく、最も金額に直結する領域です。第18講はその総論として、争点がどこに収斂するのかを整理し、残る側が立つべき現実的な目標を設定します。

1 「自分の客」という言葉の法的な誤り

税理士法人・社労士法人の顧問契約は、法人と顧客との間で締結されます。契約書の当事者欄には法人の名称があり、報酬は法人の口座に入り、法人の売上として計上され、法人税の課税対象になります。担当する社員や職員は、法人の業務として顧客に接しているのであって、個人として契約しているわけではありません。

この構造は、士業法人の制度そのものから来ています。税理士法人の社員は、自分の税理士事務所を設けることができません(税理士法40条4項)。社労士法人の社員も同じです(社労士法18条2項)。社員が個人で顧客を受任する道は制度上閉ざされており、すべての受任は法人の受任です。「自分の客」という概念は、法律上は存在しません。

法人が業務上管理する顧客情報について、社員は自由に持ち出し利用できるわけではありません。契約上の義務、個人情報保護、営業秘密、顧客から預かった資料等の権利関係を分けて判断します。情報一般に物の所有権と同じ意味での「帰属」があるという説明は避けます。

開拓・担当の貢献は、報酬や損益分配の合意、評価の事実として確認します。既に全て精算済みだと推定してはいけません。他方、それだけで法人契約の移転権が生じるわけでもありません。脱退時には契約関係と貢献の精算を分けて協議します。

2 しかし顧客は自由である ― 民法651条

ここまでの話を聞くと、残る側は「では顧客は法人のものだから、相手が持って行くことは許されない」と考えたくなります。しかし、そうはなりません。

顧問業務が委任・準委任に当たる範囲では民法651条・656条が問題となり、原則として各当事者が解除できます。ただし、不利な時期の解除等による損害賠償、やむを得ない事由、契約の解除・予告条項を確認します。顧問契約に請負等の要素が含まれる場合も、業務ごとの契約内容を検討します。

顧客は社員間の財産分配の対象となる物ではありません。法人と脱退者が「この顧客を承継する」と合意しても、顧客の承諾なしに契約上の地位を移すことはできません(民法539条の2)。法人の契約上の権利と、顧客の選択を両方尊重する必要があります。

残る側は、まずこの点を受け入れる必要があります。「顧客は法人のものだ」という主張だけで相手の独立後の受任を止められると考えて、顧客に対して「移らないでほしい」「移ったら法的措置を取る」といった働きかけをすれば、顧客の信頼を失い、場合によっては相手から営業妨害だと反撃されます。

3 争点は「時期」と「態様」に収斂する

顧客は法人のものだが顧客の意思は自由である――この二面性から、法的な争点は自然に絞られます。相手に「顧客を持って行く権利」はなく、法人に「顧客を引き留める権利」もない。だから争点は、相手が、いつ、どのような方法で顧客に働きかけたかに収斂するのです。

調べる軸確認する事実
時期と地位社員・従業員・脱退後のどの行為か
行為と情報受任、勧誘、説明、データ利用の内容
契約と適用法法定義務、守秘、不勧誘、営業秘密等
損害因果関係、対象期間、収入と経費

図1 顧客引抜きの争点は「時期」と「態様」に収斂する

時期 ― 社員である間か、脱退した後か

在任中は法定の競業禁止と忠実義務を踏まえて、業務の受任、解約の働きかけ、情報利用、引継ぎの妨害等を個別に評価します。独立準備や退職の挨拶という名称だけで、適法・違法を決めません。

脱退した後は、法定の競業禁止も忠実義務も及びません。相手が顧客に働きかけること自体は、自由競争の範囲内です。違法になるのは、その態様が「社会通念上自由競争の範囲を逸脱した」場合に限られます(第20講)。

この境界線は、第6講で見た「時間の武器」と直結しています。相手が社員でいる期間が長いほど、残る側は法定の義務を根拠に相手を縛れる。だから相手は早く脱退したがり、残る側は総社員の同意を条件と引き換えにする。第Ⅱ部の交渉の構図は、この第Ⅳ部の争点をめぐる前哨戦でもあったのです。

態様 ― 挨拶か、勧誘か、奪取か

脱退後の働きかけについて、裁判所は態様を見ます。退職の挨拶の際に独立の予定を伝える、顧客から相談されて答える、という程度は適法とされます。他方、法人の顧客名簿を使って一斉に案内を送る、法人の信用を落とす虚偽の説明をする、法人の従業員を通じて解約を働きかける、といった態様は違法と評価されます。第20講で、裁判例を6つの軸で整理します。

残る側が把握しておくべきことは、この2つの軸のうち、「時期」は残る側がある程度コントロールでき、「態様」は相手の行動次第で証拠が積み上がるということです。前者は交渉で、後者は記録で戦います。

4 残る側の現実的な目標設定 ― 全部は守れない

ここまでの整理から、残る側が立てるべき目標が見えてきます。それは「顧客をすべて守る」ではありません。相手が綺麗に辞めて、顧客が自分の意思で相手を選ぶ限り、その顧客は法律では守れない。目標は3つに分けて設定します。

顧客の層 性質 残る側の目標と手段
①義務違反が疑われる移転在任中の競業、秘密情報の不正利用、虚偽説明、組織的な業務妨害等の具体的な事実がある時期・行為・契約・利益と損害を立証し、適用法を特定して請求する
②適法な競争で移る顧客相手の脱退後、顧客が自分の意思で相手を選んだ法律では守れない。営業で守る。担当の継続性、料金、サービスの手当て。移る顧客については、のれんの控除か承継対価で清算金に反映させる(第13講)。
③どちらでもない中間層担当者の変更に不安を持ち、様子見をしている顧客早期に確定させる。共同通知と選択期限(第29講)で、顧客が「どちらに頼むか」を早く決められる環境を作り、両者から引っ張られる状態を短くする。

実務で最も大切なのは、①と②を混同しないことです。②の顧客に対して法的手段を振りかざせば、顧客との関係も、裁判所での信用も失います。逆に、①の顧客について「顧客の自由だから仕方ない」と諦めれば、相手の違法行為を放置したことになり、清算金の交渉でも譲歩を重ねることになります。どの顧客が①でどの顧客が②かを、相手の働きかけの時期と態様の証拠に基づいて仕分けする。それが第Ⅳ部の作業です。

5 顧客の側から見た紛争

残る側と相手が顧客を奪い合うとき、忘れられがちなのが、顧客自身の視点です。顧客にとって、税理士法人や社労士法人の内部紛争は、自分の会社の申告や労務手続が滞るリスクにほかなりません。担当者から「独立するので付いてきてほしい」と言われ、法人から「担当が変わりますが業務は継続します」と言われ、双方から電話がかかってくる。顧客にとっての最悪は、この板挟みの状態が長く続くことです。

だから、残る側にとって最も効果的な顧客対応は、相手を非難することではなく、顧客の業務を止めないことです。担当者の変更を速やかに通知し、進行中の申告・手続の状況を引き継ぎ、質問に即答できる体制を作る。相手についての言及は最小限にとどめ、顧客に「この法人は混乱していない」と感じさせる。顧客が残る側を選ぶかどうかは、結局のところ、この時期の対応の質で決まります。

顧客への説明では、業務継続と権限確認に必要な事実を、正確かつ必要な範囲で伝えます。相手への非難や未確定の違法性の断定は避けます。一方、顧客の権利保護や法令上必要な事故報告まで控えるという意味ではありません。

6 第Ⅳ部の歩き方

本講で示した枠組みに沿って、第Ⅳ部は次の5講で構成されています。

  • 第19講 在任中の引抜き――競業禁止と忠実義務という残る側の最強カード。証拠化の実務。
  • 第20講 脱退後の引抜き――自由競争の範囲を逸脱したかを判断する6つの軸と、裁判例のマップ。
  • 第21講 社員の独立と職員の独立の違い――誓約書・競業避止特約の効かせ方。
  • 第22講 従業員の引抜き――担当職員が移れば顧客も移る、という士業法人特有の連動。
  • 第23講 データの持出し――顧客名簿・給与データ・マイナンバーをめぐる三重の保護。

いま相手が社員のままで、独立準備の兆候があるなら、第19講を先に読んでください。相手がすでに脱退し、顧客が移り始めているなら、第20講です。

残る側の視点で押さえておくこと

顧問契約の当事者は法人であり、「社員個人の客」は法律上存在しません。しかし顧客はいつでも契約を解除して他の事務所を選べます(民法651条)。だから争点は「持って行く権利があるか」ではなく、相手が「いつ、どのような方法で」働きかけたかに収斂します。残る側の目標は、違法な奪われ方だけを法的手段で潰し、適法な競争には営業で応じ、様子見の顧客は早く確定させること。そして、顧客に対して相手を非難しないことです。

次回 第19講「在任中の引抜きは違法 ― 競業禁止・忠実義務という残る側の最強カード」では、相手が社員である間の働きかけを、どう見つけ、どう記録し、どう使うかを扱います。


【本講で引用した主な法令】税理士法40条・48条の14/社会保険労務士法18条・25条の18/会社法593条/民法651条・656条/不正競争防止法2条

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