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『病院・クリニック経営150講 ― ステージ別・頻出過去問集 ―』【第20講】

医療法人の内紛が始まった72時間 ― 印鑑・口座・カルテ・登記・診療を守る

病院・クリニック経営150講 ― 院長が困る日の教科書 ―

第20講 医療法人の内紛が始まった72時間― 印鑑・口座・カルテ・診療報酬

第Ⅱ部 医療法人・ガバナンス・内部紛争

医療法人の内紛では、初動の対応が診療と法人運営に影響します。印鑑、口座、診療情報等の現状を把握し、適法な権限で保全することが大切です。先に確保した側が正当になるわけではなく、無断の持出しや実力行使は紛争を悪化させます。

本講では、内紛が表面化した直後の確認事項を、72時間を目安に整理します。法律上の期限や待機時間を示すものではありません。患者の危険、資金の流出、情報漏えい等があれば、時間割を待たず、診療側・弁護士・金融機関・システム管理者等が並行して対応します。

これは架空の相談例です。ある夕方、ネットバンキングのパスワード変更が判明し、翌朝には取引先から代表者交代について問い合わせが入りました。休診日や休日の前後も含め、責任者・連絡先・代替手順が分かる体制を平時から用意しておきます。

1最優先は患者の安全と、必要な診療の確保

最優先は患者の安全と、必要な診療を確保することです。安全な体制を維持できないのに通常診療へ固執せず、代診、診療の調整、転医支援等を検討します。緊急の法的対応や証拠保全も、役割を分担して並行して進めてください。

外来・当直・オンコールの担当、医薬品・材料、予約患者への影響を確認します。職員には実際の指揮系統、業務手順、相談窓口を示し、患者には診療変更など必要な情報を伝えます。対立する相手とも、患者安全と情報の適正管理について合意できる部分を探してください。

診療報酬は、請求から入金まで時間差があります。請求業務や入金口座が止まると資金繰りに影響するため、支払予定日、入金見込み、残高、給与・仕入等の支払予定を確認します。「数週間で必ず資金が尽きる」とは限らず、自院の資金計画で優先順位を決めます。

2 72時間で確認するもの ― 医療機関の資産リスト

第13講で扱った資産・情報の管理体制を、具体的な一覧にして点検します。診療や支払いへの影響が大きいものから確認してください。

領域確認する対象
お金法人の実印・銀行印・通帳・キャッシュカード、ネットバンキングの権限者とパスワード変更の有無、診療報酬の入金口座、当面の支払予定(給与・仕入・家賃・返済)
診療電子カルテの管理者権限、レセプトコンピュータ、予約システム、医薬品・材料の発注ルート、施設の鍵、当直と外来のシフト
法人の書類定款の原本、社員名簿、社員総会・理事会の議事録、登記事項証明書(最新のものを取得する)、印鑑証明書、契約書ファイル
人職員の雇用契約・就業規則、管理者と診療責任者、連絡窓口、顧問専門家の依頼者が法人か個人か、利益相反の有無
不動産・保険土地建物の名義と賃貸借契約の当事者、MS法人との契約(第19講)、医師賠償責任保険の被保険者の範囲

ここで大事なのは、「奪う」のではなく「現状を把握して記録する」ことです。何が誰の手にあるかを、日付を入れて書き出しておく。相手が変更を加えた形跡があれば、それも記録する。この一覧が、その後の交渉でも法的手続でも土台になります。

3 やってはいけない五つ

初動で避けたい行動を五つに分けて整理します。保全のつもりで行う行為にも、権限と方法の確認が必要です。

実力行使や権限のない操作。通帳を力ずくで取り戻す、無断で鍵を替える、相手のIDを停止する等は避けます。一方、不正アクセス等への緊急の権限制限が必要な場合まで放置する意味ではありません。正当な権限、根拠、診療への影響を確認し、金融機関・ベンダーの正規手順で対応し、操作記録を残します。

私的な資産・データの持出し。法人の現金を個人口座へ移す、患者情報を私物端末や私用クラウドへコピーする等は避けます。必要なバックアップや証拠保全は、適法な権限と目的の範囲で、法人の管理下で行います。原本・ログを保ち、アクセス者と保管先を記録してください。

職員に派閥への参加を迫ること。署名や支持表明を求めたり、従わない人に不利益を示唆したりしないでください。ただし、業務上必要な説明は欠かせません。診療予定、責任者、連絡先、給与・勤務への影響等について、確認できた事実と未確定の点を分けて伝えます。

患者に内部対立や未確認の非難を広めること。診療に影響する変更、担当医、予約、転医支援等の必要な説明は行います。説明を一律に控えるのではなく、患者の判断と安全に必要な情報を正確に伝え、個人的な争いの詳細は持ち込まないことが基本です。

SNS等で感情的に発信すること。患者情報、秘密情報、未確認の非難を投稿してはいけません。診療変更等の公式案内が必要なら、権限ある窓口から確認済みの情報を発信します。投稿は削除しても複製が残る可能性があります。

4 記録の作り方

記録は、事実確認と法的手続の重要な資料です。結論を先に書くより、何がいつ起き、どの資料や人から分かったかを追えるようにします。

まず、日付・事実・出所を記録します。「10月3日15時、事務長から、銀行よりパスワード変更の連絡があったとの報告を受けた」など、伝聞と自分で確認した事実を区別してください。メール等は日時・送受信者が分かる形で原データを保存し、評価は別に記載します。録音やデータの取得・共有も、権限、秘密情報、患者情報への配慮が必要です。

事業報告書等の届出、必要な役員変更の届出、税務申告等の期限も管理します。ただし、争われている役員変更を、根拠の確認なく届け出ればよいわけではありません。実際の決議・就任関係を確認し、所管窓口や専門家と対応を整理してください。

5 相手が先に動いていた場合

気づいたときには、社員総会で理事が入れ替わり、続く理事会で理事長が交代し、登記も変更されていた――という場合があります。社団医療法人では、理事の選任と理事長の選出は別の機関の権限です。どの決議が行われたのかを、順に確認します。

招集権者、通知の時期・方法・議題、定足数、社員や理事の資格、議長・特別利害関係の扱い、決議内容を調べます。社員総会での書面・代理人による議決は、定款に別段の定めがない限り認められるため、明示的な許可条項が必要とは限りません。手続だけでなく、決議内容の適法性や権限、偽造・不存在の有無等も検討し、登記だけで有効性を決めないでください。

同時に、対外的な混乱を放置しないことも必要になります。銀行や主要な取引先が「どちらが代表者なのか分からない」状態のままだと、法人そのものが傷みます。何を、どの順番で、誰に伝えるか。ここは事案ごとの設計になりますので、動く前に相談してください。

保存版 内紛の72時間チェックリスト

【最初の24時間】

  1. 明日以降の外来・当直・オンコールが組めているかを確認する。
  2. 診療報酬の請求業務と入金口座が正常に動いているかを確認する。
  3. 給与・仕入・家賃・返済の直近の支払予定と、支払える資金があるかを確認する。
  4. 実印・銀行印・通帳・ネットバンキング権限の現状を、書き出して記録する。
  5. 電子カルテとレセコンの管理者権限、施設の鍵の所在を確認する。
  6. 登記事項証明書を取得し、現在の登記内容を確認する。

【48時間まで】

  1. 定款・社員名簿・議事録の所在を確認し、適法な閲覧・取得権限の範囲で写しを確保する。
  2. これまでの経緯を、日付・事実・出所だけの形式で書き起こす。
  3. 職員には、実際の診療体制、責任者、連絡先、勤務・給与への影響を確認できた範囲で説明する。
  4. 顧問専門家の依頼者・利益相反と、金融機関への連絡権限・窓口を確認する。
  5. MS法人・不動産・リースなど、法人の外にある資産の状況を確認する(第19講)。

【72時間まで】

  1. 社員・理事の資格、議案ごとの参加資格、任期・改選・会議予定を確認する(第14〜16講)。
  2. 持分あり法人なら、退社と払戻請求が絡む可能性を織り込む(第18講)。
  3. 行政への届出・税務申告など、期限のある事務を洗い出す。
  4. 弁護士と、既に始めた緊急対応を見直し、交渉・決議・保全や訴訟等の方針を具体化する。相談は72時間後まで待たない。

※ 相手方が先に動いていた場合は、この作業と並行して、招集手続・議題・定足数・議決権者の適格を洗ってください。

6 よくある質問

弁護士に相談するのは、もう少し状況が固まってからでよいですか。
逆です。固まってからでは、打てる手が減っています。とくに、相手方が先に動いている局面では、こちらが最初にとった行動が後の評価を左右します。まだ何もしていない段階でご相談いただくのが、いちばん選択肢が多い状態です。
相手が通帳と印鑑を持ち出しました。取り返せますか。
通帳・印鑑の所在を記録し、流出のおそれがあれば、正当な権限のもとで金融機関への連絡、必要な決議、仮処分等を並行して検討します。決まった順番で待つものではありません。登記内容だけでなく、実際の選任・解職の効力、契約上の届出権限、診療と支払いへの影響を確認してください。
職員が相手方についてしまいました。処分できますか。
どちらの経営者を支持するかという理由だけで処分してはいけません。業務命令違反や情報持出し等がある場合は、具体的な事実と就業規則・労働法上の要件を確認し、派閥争いとは切り離して対応します。安全な業務遂行と職員の相談窓口を確保してください(第Ⅴ部)。
患者から「院長先生はどうされたのですか」と聞かれます。
診療体制について必要な範囲で事実を伝えるにとどめ、法人内部の対立の内容には触れないでください。説明が必要な場面が生じたときは、文面をご相談いただくのが安全です。

作成日:2026年7月1日
改訂日:2026年9月17日

主な法令・公的資料

  1. 医療法

    社員総会、役員、管理者、医療事故調査、開設・承継に関する規定。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205

  2. 個人情報保護法

    個人データの取扱い、委託、仮名加工情報・匿名加工情報の区別。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057

  3. 厚生労働省:医療情報システム安全管理ガイドライン第7.0版

    2026年6月改訂の第7.0版。

    https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.html

  4. 社会保険診療報酬支払基金:診療報酬等の支払予定日

    2026年度の診療月と支払予定日。

    https://www.ssk.or.jp/seikyushiharai/shiharai_r02.html

  5. 厚生労働省:社団医療法人定款例

    社員の入退社、社員総会の議長・決議、役員等に関する定款例。

    https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000205243.pdf

  6. e-Gov法令検索:一般社団法人及び一般財団法人に関する法律

    医療法により準用される理事会の決議等。

    https://laws.e-gov.go.jp/law/418AC0000000048

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